vol.16「サイトヲさん」秋分 9/22〜10/7
蝉の鳴き声がいつの間にかリーンリーンという秋の虫の音へと変わっている。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、ついこの間まで「暑いですねぇ」が挨拶代わりになるほど。早く涼しくならないだろうかと思っていたのが、秋分を過ぎた頃、スーッと肌寒い風が吹くようになると急に寂しくなる。東北の秋は短い。日が暮れるのも早くなり、その先の寒く長い冬のことを思うと気持ちがシュンとちぢこまるのだ。勝手だなとわかっているけれど、もう少しだけゆっくりゆっくり秋を味わいたい。
そうかと言ってキャンプなど何かはっきりとした目的があるというわけでもないというのに。桜の季節のように、ただただ秋の気配や色、匂いを見逃すまいと躍起になってキョロキョロしながら町を散策したくなるのだ。
丘の上に建つ歴史民俗資料館の登り口には大きな銀杏の木がある。以前に住んでいた集合住宅からin-kyoへ向かう途中、いつも前を通っていたから葉が色づき始める様子も毎日のように観察していた。まっすぐでどっしりとした幹の形といい、枝ぶりの美しさといい、葉が豊かに生い茂る姿は見ていてホッとするお気に入りの銀杏の木。背が高くておっとりと優しい友人に、その様子がなんとなく似ていることから名前を借りて、その木を「サイトヲさん」と名付けることにした。不思議なもので名前をつけた途端、それまで以上に親近感がわいて身近になっていった。
「サイトヲさん、おはようございます」とか
「今日も暑いですねぇ」とか。
「あ、少しずつ色づいてきましたね」など。
声にこそ出さないけれど、そんな言葉を心の中で語りかけながらいつも大銀杏を見上げていた。と同時に友人のサイトヲさんの顔も思い浮かべていた。まだまだ町に知り合いもほとんどいない頃。今にして思えば、あたたかなあかりをポッと灯されたように心の支えにしていたところもあるし、日暮れが早い秋の寂しさを紛らせていたのかもしれない。
町に本格的な秋の訪れをいち早く知らせてくれるのも「サイトヲさん」だ。毎日のように見ていても「あ!」と思うほど、葉が輝くように鮮やかな黄色に包まれる日が突然やってくる。雲ひとつない秋晴れのカラッとした空気の中、キラキラと黄金色の葉をまとった見事なまでの「サイトヲさん」。拍手と歓声を送りたいほどの美しさで、ずっとずっと木のそばに佇んでいたくなるような、幸福な気持ちに満たされる。それもほんの数日。強風など吹こうものなら、あっという間に次の季節に向かうために葉を散らせる。散った葉の姿さえ、辺りを明るく照らすかのように美しいのだけれど。
「今年のサイトヲさんきれいだったよねぇ」
「葉が散っちゃってサイトヲさん寂しいねぇ」
我が家で通じるそんな会話。
引越しをした今の家の氏神様、北野神社にも大きな銀杏の木がある。木の高さ、幹の太さは「サイトヲさん」と同じくらいだろうか。こちらの枝ぶりは少々暴れん坊。色づき始めるのも山に近く日陰になるからか、少し遅い。馴染みになるようにその木の名前も考えてみることにした。「キタノさん」ま、そのままかぁ。では「タケシさん」どうだろう?まだ親近感がわかない。もっとしっくりくる名前はないかなぁと私が考えているうちに、暴れん坊の枝が選定されて、木はずいぶんと小さくなった。今は選定された枝先からようやく小さな葉が顔を出し始めた。名前はまだ決めていない。やっぱり近しい友人の名前がいいのかな。
通勤路が変わって、「サイトヲさん」は少し遠回りをしないと見ることができなくなってしまった。「あ!」の瞬間を見逃さないように、秋の始まりはせっせと遠回りをすることにしよう。「サイトヲさん」の目の前には桜川という小さな小川が流れていて、川沿いには紅葉の木もある。川の流れに沿ってバトンを渡すかのように美しい秋の色彩が目の前に広がる。緑から黄色、朱色、赤に茶。言葉と言葉の間には言い尽くせないほどの色の重なりがある。携帯を取り出し、どんなに必死になって写真を撮ったところで、目で見ているほどの美しさを捉えることはできない。そうわかっていながらもつい撮ってしまう。桜の頃と一緒だ。いや、夏や冬だって。その年、その季節の一瞬が、なんてことはない日々の中にすでにあることを、この町の自然に教えてもらっている。小さい秋、みぃつけた。