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vol.6 「ツバメ」 穀雨(4/19〜5/4)


 仕事場に向かって道を歩く私の横を、スーッと素早く小さな黒い影が通り過ぎていく。その影を追って空を見上げればツバメの姿。電線にとまって、こちらに何かを話しかけるようにチュピチュ、チュピチュ、キュルルルーと鳴いている。
「おはよう」
 私はよく何かにあいさつをする。春先には姿が見えなくてもウグイスの鳴き声に向かって、風にそよぐ草花や木々、のんきに道路を渡る野良猫にも。声に出してもそもそも歩いている人が少ないので、近くに人がいてギョッと不審がられることがないのがありがたい。自然との小さなやりとり。子どもの頃にはあたりまえにやっていたことを、三春で暮らすようになって数十年ぶりに思い出させてもらっている。

 暦の七十二侯(二十四節気をさらに五日間ずつの三つの期間に分けたもの)によると、清明の前期に「玄鳥至(つばめきたる)」とあるが、暦とはよくできているもので、毎年その頃になるとツバメがどこからともなくやって来る。朝のあいさつを気に入ってくれたのかどうなのか。その辺はどうかわからないが、ツバメがin-kyoの軒先にちょくちょくやって来るようになった。はじめは近くの電線から様子を伺うように。そして1日、また1日と通いながら巣作りをするための場所をチェックをするようになったのだ。
 
 昔からツバメが玄関先に巣を作ると縁起が良く、商売繁盛になるといわれている。実家が自営業を営んでいたことあって、そのことは幼い頃から聞かされていた。残念ながら実家の玄関先にツバメが巣を作ることはなかったが、確かに近所にあった人気のお団子屋さんの軒下には毎年ツバメが巣作りをしていた。
 
 「in-kyoにもどうぞ作ってくださいな」
 
 この言葉が届いたのかもしれない。やがてツバメはin-kyoの入り口にある大きなガラス窓の縁を、ちょうど土台になるように利用して巣を作り始めた。真下は花壇。雛が万が一落ちたとしても、クッションになりそうなハーブがワサワサと育っているから安心だろう。少しずつ少しずつ、巣の材料になるものを小さな体でせっせと運んで、上手に外壁を仕上げていく。あっという間に巣が出来上がったかと思うと、今度はどうやら卵をあたためているようで、ピンとした尻尾が、巣からはみ出しているのが見える。ツバメの卵は一体何日くらいで孵化するのだろう。あまり覗いては警戒してしまうだろうと思いつつも、朝の窓拭きの時も、店内からも、毎日毎日その様子を窺うのが楽しみでこちらまでソワソワしてしまう。これではまるで我が子の出産のようではないか。そして頼りない小さな声がピィピィと聞こえてくる日がやってくる。


 in-kyoに限らず、三春の町内にはツバメが巣を作っているお店やお宅を多く見かける。お隣の「一久屋商店」には、毎年入り口にあるライトのまわりにぐるりと展望台のような巣ができる。電球のあたたかさが程よいのかもしれない。さらにシャッターの内側にある場所だから雨風も防げるし、外敵から守ることもできて好都合なのだろう。それもご主人はわかっていて、ツバメの巣ができる頃になると、お店が休みの日でも親ツバメが行き来ができるようにと、シャッターを閉めきらずに少しだけ上げている。そんなやさしさがツバメの中でも評判なのか、シーズンに二度巣立ちを見ることができるほど人気の物件だ。
 シャッターに丸い穴のある空き家は、以前は何かご商売をされていたのだろうか。いつも前を通るたびに「あの穴は一体なんだろう?」と気になっていた。するとあるとき、ツバメがその穴に入って行くではないか。家主が不在となっても、ツバメはちゃんとその気遣いがわかっているのだ。それぞれの事情で巣を取り払われてしまう場所もあるけれど、巣はそのままに、フンを避けるために紙を敷いたりあれこれ工夫をしている玄関先もある。その景色に心が和まされる。場所の条件に合うように工夫された巣の形は個性的で、まるでツバメの住宅展示場でも見学しているようでおもしろい。

 
 ツバメのつがいは雛がかえると、エサを求めては飛び去り、見つけては雛の元へ帰ってきたり、甲斐甲斐しく子育てをする。雛たちも親鳥が巣に戻ってくると、ピピピピ!と巣から頭を出して大きな口を開け、我先にとエサをせがむ。親ツバメは、日が暮れると巣の側で雛たちを見守るように寄り添って、そのまま眠りにつく姿も微笑ましい。そしてまた朝になれば、忙しなく行き来を繰り返すのだ。
 in-kyoを始めたその年だったろうか。ポカポカ陽気で入り口のドアを開け放って営業していたら、スーッと燕尾服姿のご来店。親ツバメが店内に紛れ込んでしまったことがある。こちらも慌てたがツバメの方も異変を感じたのか、外へ飛び出そうと慌ててガラスに向かって体を何度も打ち付けた後、ようやく外へ。電線に止まってけたたましく鳴きながらこちらを見ている。

「怒っているでしょうけれど、もう入ってくるんじゃないよー。」

 またある年は、そろそろ巣立ちという頃に雛が一羽、上手く飛び立てずに巣から花壇へ落ちてしまったことがあった。他の兄弟たちはチチチチと威勢良く飛び立って、近くの電線に止まったり、飛び立てなかった一羽を誘うように近くを旋回。母親だろうか、何度も何度も近くまでやってきて、飛び方を教えるようにパタパタと翼を広げて見せた。雛も真似るように小さな羽を一生懸命バタつかせるが、低空飛行でまた花壇へ落下する。私は近くで見ていても何もできず、ただただ見守るばかり。日が暮れて辺りが暗くなると、親ツバメも仕方なくといった様子で姿は見えなくなってしまった。花壇で一晩を明かした雛もあくる朝にはもうそこにはいなかった。無事に旅立ったと信じるほかない。
 
 そうやって毎年小さなドラマが生まれ、何の予告もなく巣立ちという寂しくも、喜ばしい別れがやってくる。そしてまた翌年、約束でもしたかのようにツバメはどこからかやって来て、以前の崩れかけた巣を補修して新しい住処をこしらえる。地図などないのに、考えてみたら不思議なことだ。今年もまた巣立ちを見届けることができるだろうか。青空のキャンバスに、そろそろツバメの黒い点が模様を描き始める。