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クリスマスらしいことを

今年もあと数日だというのに
まだまだ年の瀬という実感が湧かない。
まぁ私に実感があろうがなかろうが
2024年は暮れてゆき、元旦の朝には
日が昇って新年を迎えるのだけれど。
in-kyoの年内の営業もあと2日。
そうかといって焦る気持ちもあまりなく、
いつになくぼんやりとした年末だ。

24,25日が今年はちょうどin-kyoの定休日中。
クリスマスだからというのでもなかったのだが、
イブの日は前々から予定していた夫の両親を
我が家に招いての食事会。

こんなことでもないと!と、ご近所の精肉店で丸鶏を予約し、
24日は「奥さまは魔女」的、アメリカのホームドラマ
のような気分で朝からローストチキンの仕込み。
ローストチキンやローストビーフは時間はかかるけれど、
オーブンから出してテーブルに運んだ時の
「じゃーん!」といった大きな手柄感があっていい。
義父も義母も殊の外喜んでくれた。

ツリーが無くても裏山のヒバやエゾ松の枝を少し束ねて
活けるだけで雰囲気が出たし、玄関に飾ったリースは
アケビの蔓をくるりと輪にしたもの。
そんなお山で手に入る素朴なものだけでもクリスマスらしさは
十分に演出できるのだ。


実家は自営業で私が幼い頃の年末はまさに「師走」の通り、
大晦日まで大忙しだった。
それでも電飾がチカチカと点るクリスマスツリーが
リビングに飾られて、25日の朝には枕元にちゃーんと
クリスマスプレゼントが用意されていた。
クリスチャンでも何でもないのだが、
絵本やテレビの影響か、夕食は骨付きチキンがお決まりで…
時間が無い中、あれこれと母がやりくりしながら
準備をしてくれていたのだろう。

ケーキはというとお取引先メーカーの、おそらく営業の方が
毎年サンタクロースの恰好をして届けてくれていた。
あれは一体いつ頃まで続いていたのかまでは覚えていない。
生クリームではなく、バタークリームのケーキだと
兄と一緒になってがっかりしているような贅沢な子どもだった。
夕食時に全員が食卓に揃うことはなかなか無く、
クリスマスケーキは兄と祖母と3人で炬燵に入って
テレビを見ながら食べていた。
その頃、毎年のようにテレビでやっていた人形劇の
「くるみ割り人形」が大好きだったっけ。

子どもの頃はあたり前に思っていたそれらのひとつひとつは、
冬の大切な思い出なのだと今頃になって思い知る。
オーブンの中のローストチキンから部屋中に漂う香ばしい香りが
記憶の蓋を開けるスイッチとなったのか、
徐々に濃くなっていく焼き色を眺めているうちに
忘れかけていた昔の記憶がするすると思い起こされていった。