vol. 1「落花生」立春(2/4〜2/18)
「鬼は~外!福は〜内!」
節分の豆まきはその家のあるじが行うものと、実家では子どもの頃から決まっていた。豆まきを始める頃には父は晩酌でほろ酔い。いい気分になっていて、家中盛大に豆を撒き、声もどんどん大きくなっていくのが子どもながらに恥ずかしかった。
実家を離れて東京でひとり暮らしを始め、晴れてあるじとなってからは「一人で狭い部屋に豆まきをしてもねぇ」と、申し訳程度に炒り豆を食べるか豆料理をするかで、豆まきをすることはなくなった。実家の隣り近所の家からも、声が聞こえてきていたなぁなんてことを思い返しては、懐かしがったりもしていた。
夫と三春で暮らすようになって3年目の節分の日。夕飯時の何気ない会話で驚かされた。
「ウチの実家の豆まきは落花生だったよ」
「えっ!?」
豆まきの豆は大豆と決まっているでしょう。落花生ってピーナッツではないか。鬼と一緒に絵本で描かれている豆だってまん丸だし、大豆以外のものを撒くという発想すら私にはなかった。しかも撒くのは殻つきのままだという。ちなみに夫は福島県の郡山市出身。私は落花生の産地、千葉県出身だけれども実家のあたりでは聞いたことがない。
「いやいや。あなたの実家だけでしょう?
「違うよ。節分に殻つきの落花生を撒く家は多いと思うよ」
「またまた〜」
三春に暮らし始めて数年が経っていたが、それまで聞いたことがなかった。その日の会話は半信半疑のまま終わった。いや、半分以上はその話を疑っていた。
翌朝、駐車場へ行くと、殻つき落花生がポトリと落ちていた。当時住んでいたのは、三春の定住者向け集合住宅で、目の前には世帯数の車が停められるように広い駐車場になっていた。どこかのご家庭で豆まきに使われた落花生が「鬼は〜外!」の声とともに、開け放った窓から勢いよくポーンとひと粒、外へ飛んで行ったのだ。
「え!?」
ほらねと言わんばかりの夫の得意顔。この辺りでは落花生が一般的なんだろうか?落花生を殻つきのまま撒けば後で見つけやすいし、拾って殻を剥けば食べることもできる。落花生を育てている農家も多いからということもあるらしい。理由を聞けば納得することばかりだけれど、何十年も信じて疑わなかったことが、一夜にしてあっさりと崩れ去ってしまった。
確かに父が盛大に撒いた大豆は、どんなにしっかりと掃除をしていても、忘れた頃にひょっこり部屋の隅の方から顔を出していた。まん丸のままならまだしも、グシャリと踏み潰されていたりすると、それも厄介だった。その点、殻つき落花生なら掃除で困ることもないだろう。それに食べ物を大事にするということが何より。妙に納得してこれからは我が家でも殻つき落花生をあるじに撒いてもらおうと決めた。
落花生といえば、茹で落花生にして食べる機会が増えたのも三春に移り住んでからのこと。それまではもっぱらカリカリの炒り落花生。茹でて食べる文化は実家では皆無だった。
野菜とパンのお店「えすぺり」で販売している生落花生を食べてからというもの、茹でて食べるのが今では当たり前のようになっている。その落花生は、高齢になる農家のおじいさんとおばあさんが育てていて、乾燥させた後ひとつひとつ手で丁寧に殻を剥いているそうだ。こぶし二つ分くらいの量がビニール袋に詰められていて、その姿も美しい。それだけでも大切に育て、扱われていることが伝わってくる。
おいしい茹で方はえすぺりさんに教わった。
鍋に軽く洗った生落花生と、少し濃いめの塩分濃度(約2〜3%)の塩水を豆がしっかりかぶるくらいの量を用意して入れる。火にかける前に15〜20分ほど浸水させてから中弱火にかけて20〜30分ほど茹でる。味見?硬さを見ると称して茹でながら何粒もポリポリ。季節によって自分の舌の味加減も変わるし、落花生の乾燥具合で、茹で時間も微妙に違ってくるのがおもしろい。火から降ろして湯水を切らずにそのまま冷ませばさらに塩味は浸みていく。 熱々の茹でたてもいいし、冷めてからも止まらないおいしさ。小粒ながらその分、旨味がギュッとつまっている。
食べる福豆の数もそろそろ食べきれないほどに増えてきたお年頃。この茹で落花生のおいしさに出会ってからは、うっかり食べてしまいそう。
住まいも身体も福を呼び込み、さっぱりとした心地で翌朝がやって来れば、新しい季節の1日が始まる。
*次回は雨水のはじまり2/19(水)UP予定