【劇評355】神も善意も金銭も恋も。蠱惑の舞台。白井晃演出の『セツアンの善人』を観た。
中銀カプセルを呼び出す
二〇二二年に解体された中銀カプセルタワーは、歌舞伎座からほど近い場所で異彩を放っていた。
建築家黒川紀章の代表作であり、シンプルな立方体を積み上げた設計だった。ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備されていて、ミニマムな住宅であり、都市の細胞でもあった。
白井晃上演台本・演出の『セツアンの善人』(酒寄進一訳)の舞台には、このカプセルタワーを思わせる装置が組まれている。正面と下手には、仮説のはしご。それぞれのカプセルのうがたれた窓からは、住人たちの姿が見える。
ペットボトルが舞台上に撒かれる。狂奔する群衆の頭上には、三基、三列の天井扇風機が旋回して、淀んだ空気をかきみだす。リドリー・スコットの映画『ブレード・ランナー』の一場面を私は思いだした。
寓話劇を近未来へ
白井の演出は、八十五年前にベルトルト・ブレヒトによって書かれた寓話劇を、近未来へと連れ去っていく。
その未来は、現在よりさらに猥雑で色彩感にあふれているが、人々は深刻な貧困にあえいでいる。このセツアンの町から脱出できない人々は、餓えていて、その日を生きるのに懸命だ。善人であることを貫けば、隣人の食い物になる。苛酷であさましい人類の業を突きつけてきた。
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。