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さん喬の独演会。毎年一度の逢瀬

浮き草の暮らし

 コロナをまたいで、さん喬の独演会に通っている。

 浮き草のような暮らしをしていた若い自分は、ずいぶん寄席に通った。パリーグの試合も後楽園球場でよく見たから、毎日の身の処し方がよくわからなかったのだろうと思う。

 勤めに出るようになって、忙しくなった。
 二十五歳くらいからは演劇評論の仕事も始めた。
 激務をぬって、劇場に通い、批評を書いてきたから、時間がなかった。土曜日曜日に仕事をするのも当たり前だと思って来た。ヨタロウの生活から一転して、四十年余り、ずいぶん気ぜわしい時間を過ごしてきたと思う。

このごろの楽しみ


 このごろの楽しみは、年に一度、文京シビックセンターで開かれるさん喬の独演会である。家から歩いて行けるから、苦にならない。区役所の二階にあるチケット売り場に、前売り券を買いにいくのも、気持ちが浮き立つ。ネットを介さずに、すべてが完結するのは、こんなに気分がよいものかと思う。

 noteに書いた自分の記事を読み返して見るとさん喬の独演会には、二○一九年から行っている。
 その間には、さん喬の藝に気取りが感じられて、嫌になった時期もある。ところが、今年見たさん喬には、藝人の張りが感じられた。将棋指しは、連盟の会長になると雑務が忙しく、成績があがらなくなるのが通例である。さん喬も落語協会の会長についたがために、役職の多忙さに安住してはいけない、そんな意地が出てきたのかもしれない。

 二つ目の伊織の噺が終わり、さん喬が高座にあがる。
 すかさず客席から「会長」との声があがる。このときさん喬は、苦虫をかみつぶしたような顔を作って「そんなもんじゃねぇ」と吐き捨てた。

 上野の静養軒で集まりを持ってから百年。協会が続いてきたことを枕にふってから、「あと三年でつぶれるかもしれない」とくすぐりを入れる。上げて、下げるのが笑いの基本だけれど、これも、歴史を誇ることの野暮をふまえてのまくらに思われた。



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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。