長谷川氏

長谷川氏

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小さいころの「私」を救うには

私は未だに分からない 母親とどう向き合えばよかったか、父親をどう想えばよかったのか。 去年の夏の暮れ、母の姉から連絡があった。 「あんたのお母さん病気になって大変なの、連絡して」 母とは、というか家族とはほぼ絶縁状態で連絡はおろか家の所在地も伝えていない程で、なんなら役所に行って"住基ロック"をかけている。それほど家族とは関わりたくないしもう無いようなものだった。それでもその一報が少し気になってしまいその連絡に返事をしてしまった。結果から言えば別になんてことはなく、精神的に参

    • あなたがいなくても大して世界は変わらない

      私はTwitterを10年以上続けている。その中の多くのフォロワーはもうTwitterをやめ日常に戻り家庭をもっていたり仕事に明け暮れている。よくライブに一緒に行っていた人たちも、もうライブにはほとんど行ってない人が多い。そんな中私は相も変わらずTwitterを続けライブに行く生活を送っている。 2013年ごろ私は本格的にTwitterをはじめ、今より高頻度でどうでもいいことをツイートしフォロワーたちと日々戯れる生活を送っていた。当時の私は引きこもりで学校にも行けておらず、

      • 九月は讃美歌による。

        the cabsが解散したあの年、私はまだ15歳だった。 はじめて聴いた時「いいな」と思いはしたが凄くハマる訳でもなく、ただ"知っている"だけだった。同時期にKEYTALKも知り、the cabsの解散とは裏腹に彼らはメジャーデビューをしていた。KEYTALKもthe cabsも同じようにハマっていったが両者の音楽はまるで対極にあったように思う。 12歳から本格的に精神を病んでいた私は暗い音楽によって支えられてきた。凛として時雨、syrup16g、THE NOVEMBERS、

        • 26歳の夏休み

          2024年8月4日、PK shampoo主催のPSYCHIC FESに行った。場所は大阪、心斎橋。私は大阪に降り立つこと自体初めてで、緊張と不安と楽しみで朝から気分が悪かった。「この場所でオフ会でもあるの?」というくらいTwitterのフォロワーたちが集まっていて、会えなかった人たちを含むと20人以上はいたんじゃないかと思う。 私はシンプルにライブを楽しみたい気持ちと、それにプラスして会いたかった人たちにたくさん会えるぞ!という楽しみがあった。なんせ住んでいるのが沖縄という離

          わたしたちはいつも死にたかった。

          朝、目覚めて朝日を見る。歯を磨いて顔を洗って 朝ご飯を食べる 学校や仕事に行く準備を終え 「いってきます」 誰かにいう 仕事をする、勉強をする 昼になってご飯を食べる だらだらと談笑をしながら もしくはひとり、ぼーっとしながら 午後になり仕事や授業へ戻る ああ、終わった 部活へ向かったり帰路へつく 夜ごはんを食べる テレビを見たり本を読んだりゲームをしたり 自分の時間を過ごしお風呂に入って 眠る準備をしたら 「おやすみなさい」なんて。 そんな日がいつ送れたろう。 理想をつらつ

          わたしたちはいつも死にたかった。