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「イースVIII -Lacrimosa of DANA-」 感想

「ヒロインのダーナが凄く良かった」「イースシリーズ最高傑作」「ダーナが最高」
タイムラインの内外からかなりの高評価を長いこと寝物語のように聞いていたイースⅧ。良作の評が枚挙に暇がないとはいいことです。アクションゲーはそこまで得意でなかったため敬遠していた節がありましたが、RTA in Japan Summer 2024にエントリーされたりSTEAMのサマーセールで割引されたりとプレイへの導線が重なり、これはもう星辰が揃ったな…と言わんばかりの状況に買い替えたばかりのPCへ早速インストール。

イースシリーズはかつて7とフェルガナをプレイしたっきり。え?7がPSPで出てもう12年???嘘だ…僕を騙そうとしてる…と眩暈を覚えつつ、およそ60時間にもおよび、10年近く振りにアドル・クリスティンの赤毛を目に焼き付ける無人島での戦いに身を投じていくのだった……



美しすぎるタイトル画面。これを見るためだけでもプレイした価値はあった(断言)


ゲームとしての「イースⅧ」

始めにアクションゲームとしての感想となりますがとんでもなく面白かった。ハイスピードアクションとしてのイースは7当時でも完成系なのでは?と思ってたけどそこから応用、発展がみてとれるのもあって疑いようのないクオリティだったし、属性の異なるパーティメンバーを入れ替えて攻略するゲーム性も前作より奥深くなっていてかなり良い。というか7の頃から思ってたんですが仲間のUI優秀すぎないか?
敵の攻撃に合わせてガードすることで一定時間すべての攻撃がクリティカルになるフラッシュガードが使いやすくなっているほか、いいタイミングで回避することで高速移動ができるフラッシュムーブも緊急回避的に用いられる仕様も、アクションが苦手でも上手く戦えてる!と爽快感がごまかしてくれて嬉しい限り。単純にキャラの動きが早いのもあってゲーム全体を通して爽快さが際立っています。
わざわざレベル上げ作業をしなくても道中の敵を倒していれば適性レベルになっているほか、回復・復活リソースが楽に入手できるから敵に迷いなく突っ込んでいけるのでテンポを阻害されずに楽しめるのもあってかなりユーザーフレンドリー。敵の攻撃が割と強めではあるものの、それが緊張感をもたらしつつヌルゲー防止に一役買っているため、「カジュアルにピンチになりつつスムーズに攻略できる」一見相反する要素を破綻なくシステム下に落とし込んでいるのもかなり好感度が高くて良い…。


特に恐竜がモチーフとなるモンスター「古代種」が魅力的。シナリオ上で強敵と何度も描かれるけど、明らかにフィールド到達時とかけ離れた高すぎるレベルから繰り出されるバインドボイスに見たことない状態異常、遭遇時に仲間も口を揃えて「今は勝てないから逃げよう!!!」と叫び、根気強く粘って倒しても体力0から復活…とまさしくセイレン島の頂点存在としてシステムとフレーバーの両面から脅威を突きつけてくるのがもう堪らない。霧の向こうからボスキャラみたいなデカさのティラノサウルスがのっそり出てきた時の「終わった」感、まさしくゲームでしか味わえない絶望感ですよ。

ファルコム作品と言えばBGMが評価に挙がるけれど、こちらもさすがの一言。ゲームミュージックにおいて他の追随を許さないと思っていたあの頃からその輝きが翳ることなく、アップテンポかつ疾走感が強くてゲーム体験をより盛り上げます。フィールドBGMが切り替わるごとに「この曲よすぎないか!?」と感嘆とするのはファルコム作品のなかでも随一だったかもしれません。正直前作の五竜戦こと「LEGEND OF THE FIVE GREAT DRAGONS」がボス戦の面白さと曲のクオリティの高さによって金字塔として長らく君臨していた(※個人の感想)けど、通常ボス曲の「DEADLY TEMPTATION」、そして終盤の山場となるオケアノス戦「OCEANOS」と両曲が目白押しでこちらも満足感が高い…。

正直BGMだけに話題を絞ったとしてもずっと話せないか?俺は熱帯の密林から一気に静謐な透明感のギャップで殴りつけてくる「ERODED VALLEY」、回想やしっとりとしたシーンに安らかな温かみをもたらして目頭を熱くさせる「RICORDO」、古代種が跋扈する峻厳な危険地帯ながら対抗手段を得てからは手が届く強敵に立ち向かう高揚感を掻き立てる「GENS D‘ARMES」をセットしてターンエンドです。え?「DANA」とそれに連なるアレンジBGMはみんな好きになるしそこからは領域が切り替わって互いにダーナのことを語るしかなくなる空間と化すから禁止カードだよ………


無人島の舞台たる意義


客船ロンバルディア号が巨大生物により沈没、アドル達乗客が魔の島と呼称されるセイレン島に漂着して幕を開ける本作。7が一つの国を舞台に各地を駆け回るタイプの作品なので一見してスケールダウンした感があったものの、密林や洞窟といったマップの作りこみがバラエティに富んでいるほか、未開の無人島というシチュエーションを最大限に活かして迫力のあるロケーションが垣間見えるのもあって実際のスケール感は引けを取らなくて嬉しいものです。何がいいって、土地とスポットの位置関係が明確化しており大体の場所から拠点となる漂流村が見えるので「こんなとこまで来たのか…」と折に触れて感じさせるのが、冒険に対する没入感を高めて芸が細かいんですよ。

仲間たちの会話の中で世界の様々な土地の名前が出ることが非常に良い。パーティメンバーやそのほかの漂流者であるNPCは出身も身分もバラバラであり、会話の中で前作のアルタゴをはじめ(シリーズの時系列としては7より前ではあるが)、過去作の舞台に触れたり次回作以降で重要となる土地によく触れる。ここ過去作や次回作に触れる導線になってて上手いよな~と感心した点でもあります。ナンバリングが重なると新規って入ってきづらくなるからな…。主に故郷の思い出や帰郷の願望を語るシーンが多く、彼らの故郷、ひいては遠く離れた世界にまで視野が向くようで、絶海の孤島にもかかわらず広大な世界がそこにあると実感させてくる細やかな配慮がアドルの持つ果てなき冒険心と相まって高揚感をかきたてます。

NPCたちの「役割」をゲームに落とし込む手法も上手い。漂流者たちはアドルたちと合流した後はそれぞれの個性を活かして裁縫や鍛冶、医療といった役割を果たしつつ、村の人数が一定以上になると島の開拓を行い行動範囲が広がるというシステムによって、NPCもただの店番ではなくアドル達とともに協力しているというフレーバーに説得力が出てくるのが偉い。更に村を襲撃する野生動物を倒す「防衛戦」において、別動隊として戦ったりスキルで支援するなどまさしく肩を並べている実感が増してくる(戦闘が終わった後は互いに労う会話まである!)。
時には会話で「探索を進めてくれてる間に薬草の調達をしてきましたよ!」など行間を補完するなど、NPC一人一人に愛着を持たせて個人として思い入れを深めることで、クエストなどをやらされてる感を削ぎ落す効果まである感情レベルでの描写に思わず唸る。

身分や故郷がバラバラな彼らが生存のために一致団結していくのは世界の縮図ともとれ、終盤でこの戦いがなんのために何を打倒するのか、それが明らかになってより輝きを放つ。このミクロ的な視点が世界や文明レベルのマクロな要素に拡大していくのが好きなんだ…。


また、キャラクターたちに通される「家族」の文脈によって連帯が強固になるのも見所です。特にパーティメンバーにその傾向が強いんですよね。

例えばラクシャは生真面目で融通が利かないタイプに描かれますが、それが没落する実家への焦りから来たりアドルに行方不明になった父親を重ねて反発していたと明かされ、さらに父親から得た知識が状況の打開に繋がるなどこれまでの経験を踏まえて確かに成長していく過程は序盤のターニングポイントで、アドルがベテラン冒険者として落ち着きのある分その未熟さや伸びしろが引き立ってとても良い。夜会話のシーンなんてヒロインポイント高すぎてびっくりしたもんな。
サハドは豪放磊落なパワーキャラ、とこれドギと被ってんじゃねーか!?となりますが、子持ちだったり漁師として大自然を相手に経験を積み悟りにも似た余裕が垣間見えたり、臆病な面や可愛げがあったり包容力が強いのもあって、兄貴分のドギ・父親役のサハドといった感じの微妙な立ち位置の違いがより「家族」の多層的なニュアンスを感じさせます。状況に翻弄されがちな序盤のラクシャをアドルとサハドが受け止める、といった流れも中~終盤ですっかり頼れるまでになったのを踏まえると感慨深いものですね。
リコッタは「パワーキャラの幼児」というすっげえオタクが好きな属性を詰め込んだな…となるけど(前作といいファルコムは少女をパワータイプにするの好きすぎじゃないか?)、彼女が加入したことでパーティの家族感が強まり、それぞれがこの子と世界を守護らねばならぬ…と責任を負い始めたり、逆に島で子供が生まれた時はリコッタをはじめ子供組に兄・姉の自覚が芽生えるなどこれまた家族の文脈を補強しており一貫性に感心します。それにさ、ちびっこの素朴な感性とか善性みたいのはやっぱりいつになっても好きだからさ……。


ちなみにパーティの中で好きなキャラはヒュンメルです。排他的な態度でミステリアスな風貌、銃剣というイース世界では珍しい武器を携え「運び屋」なるアウトローに身を置く青年…という設定から繰り出されるあまりにも実直な発言の数々で、次第にパーティも「こいつは当然のことしか言わない」「怪しく見えるけどまあ大丈夫でしょ」と信頼を置いていく流れで本当に笑う。寝不足は体に悪いとか飯はしっかり食べろみたいに言う奴がアウトローなわけないだろ!村で気づいたら子供たちと遊んでるし!

ここのツッコミに疲れたラクシャの顔すき。イースⅧのスクショのうちダーナとヒュンメルで8割くらいを占めています


そんなヒュンメルの好感度を上げた際に明かされる過去イベントは、これまでの言動や子供の相手をしていた幕間の風景、さらに石鹸やジャグリングボールといった贈り物などの背景が全て繋がりさらには家族に収斂されるのが秀逸で、その会話を子供たちに遮られるイベント終了時の流れも相まって完成度が非常に高い。銀髪なのでビジュアル好感度は最初から高かったんですが、それを差し引いても面白さや時には決める格好良さで惚れ惚れしました。彼はきっと今でも大道芸人の心のままに運び屋をしているんでしょうね。


終身名誉女房のドギさんは此度も健在だ

孤島にあってなお広がる世界を感じ、血縁でもないのに確かなつながりを感じて思いを馳せる。相反する属性が無人島において対の文脈を引き立て、さらに物語に昇華させるストーリー・フレーバーの構成が美しく、この辺りはかなり感嘆としたしました。遭難ジャンルとしても良いものを見れたと満足感がかなり高かったです。



ダーナに見せなくていい世界

…まあ途中で連続殺人鬼が出てきたのはビックリしたけどな!いやクローズドサークルに殺人鬼を放り込みたくなる気持ちは分かるし、「無人惑星サヴァイヴでも犯罪者が盤面を引っ掻き回すのはアクセント強かったもんな~。面白いこと全部やる気概いいねえ!」とは思ったけど、そこから前後の文脈を一切無視した思想の強いケヒャリストがワイヤーを射出してくるのは別の面白さじゃん!!フォロワーもイースⅧのレビュー的なサイトでもケヒャリストが出てくるとか言ってなかったのでこんなのデータにないぞ…と困惑してしまった。「善だの悪だの矮小な人間の理屈はセイレン島のサバンナでは通用しない!!真に正義なのは圧倒的な野生のPower!!」的な決着も含めて真夏の蜃気楼みたいな掴み所の無い異常空間すぎたし、かといって殺人鬼のせいで人死には実際に起こってるしあれ本当になんだったんだ…。


ダーナ


「ダーナが好き」「シリーズ屈指の人気キャラ」と誰かが言っていた。なるほどと感じながらも、でも趣味趣向には個人差があるよなとも思った。
今なら分かる。このゲームを終えた人はダーナについて語ることしかできなくなると。

ダーナについてはとにかく”良い”としか言えない。未来予知と強力な理力の才に恵まれた巫女とどこか儚げなビジュアルがマッチしながらも、しかしその実態は人懐っこくて奔放な少女というのはみんな大好きなギャップだろうが、困っていたり苦しむ人を見ると救わずにはいられない…と自己を顧みない危うさが一抹の影を落とすことで、予知の力などないプレイヤーに「その行く末」を想起させる設定のバランス感が光ります。素の状態だとまさしく少女といった声色なのに、女王と並ぶ権力者である巫女として語る際は威厳のある怜悧なそれに変えているのも、公私を明確に分けている責任感を一発で理解らせて上手い。

島に漂着したアドルの夢に現れる謎の少女で、かつて栄華を誇った国家エタニアの巫女として生きたダーナの半生を追想しながら島の探索を行う…というのが序~中盤の流れであり、最初は過去を見るだけだったのが、次第に意識がリンクしあってプレイヤーとして操作できるようになったり、互いの行動が土地や環境に影響しあうことで探索とエタニア滅亡の真実を解き明かす流れの二つのラインが無理なく合流するのがストーリー運びとして秀逸です。また、アドルパートでは無人島の地図だったマップがダーナ編ではセイレン島から先にも広がる文字通りのワールドマップとなり地名も表記されているあたりの芸の細かさもいいんですよ!
漂流村には家族に連なる文脈が強いとは前述の通りですが、「家族」に内包される継承といった要素がダーナによってさらに「次代へ繋ぐ」趣をより発展させているのもテーマの一貫性に唸る。


ダーナ操作パートはまさしく本作におけるメインストリームであり、そしておそらくプレイヤーにダーナへの愛着と彼女を巡る物語への没入感を最大限に高めるファクターでしょう。文明の絶頂を迎え国家間の争いが平定されて栄華を極めた古代エタニアにおいてダーナとプレイヤーはここが滅びることを知っており、毎日を平穏無事に生きる市井の人々を尻目に未来を救うための種を植えていく一連の流れは、今にして思えばダーナの人生とともに「後の世界でたった一人目覚めることとなるダーナの孤独」を追体験するよう。

ダーナ編はBGMもまた良く、現代編ではエレキギターが強めなお馴染みファルコムミュージックといった風味ながら、こちらはピアノや弦楽器の音色が美しくも疾走感があり、巫女として舞うように戦うダーナの清廉なビジュアルやいずれ崩壊を迎えるエタニアの寂寥感を掻き立てるのに十分な威力を発揮します。「YESTERDAY IN ETANIA」はクリアした今聞き返すとホロリとくる(というか「DANA」のメロディで特効が入る)し、世界が崩壊を迎える中で抗う悲壮と力強さが表現された「ICLUCIAN DANCE」が特に好き。



主従萌えの宗教画かな?

ダーナを操作するチャプターは複数あってそれぞれエタニアでの月日が飛ぶけど、街のモブキャラの人生が変転する様が描かれるのも辛さがある。道具職人の一家は娘が父親に反発しつつもその背中を追いかけ、バザールで鎬を削るライバルの商家は互いを認め合い後を託し、双子の姉妹は日々成長を続ける…。NPCに愛着が湧くのはアドルパートと同じなのに、明確にその終わりが決まっているので常に心を削ってくる。
個人的にかなり好きなNPCは衛士のラステルです。少年の頃から父親に憧れ衛士となった後はその実直さにより先輩に可愛がられる実直さが微笑ましく、なによりダーナと交わした「守る」という約束がその忠義を引き立てる!ダーナはダーナでどんどん成長する彼に感心しながらも幼い頃を懐かしむお姉さんムーブを発揮するので頭がおかしくなるよ~~~~~!!俺は主従関係とか年上の高貴な女性に憧憬とか敬意といった透き通った真っすぐな感情を抱く青年が大好きだからこの二人の絡みを見るたびに呻き声を上げながらスクショを連打してしてしまった。本当に巫女様は罪作りなお方じゃよ…………。序盤から終盤まで光の従者といった感じで非常に心が洗われました。これFEだったら無理にでも支援会話を発生されてペアエンドを迎えさせるんだけど残念なことにここのメーカーはインテリジェントシステムズではないんだよな。

作品によっては国家や文明が崩壊する場面は数多くあるし、絶望の中で興奮した民が牙を剥くシーンも珍しくはないものの、隕石の激突で崩壊したエタニアが氷河期に突入する中でダーナに好意的なものも敵視する者も皆等しく死に絶えていく場面はかなり強烈だった。これまで助けた人々に石もて追われるシチュは「こいつらしっぺ返しこねえかな~~~!?」という黒い感情が芽生えるものですが、前のチャプターで恨み節をきかせてきた人々が死に瀕してるのをまざまざと見せつけられるので、お、俺はこんなことを望んじゃいない…と狼狽えてしまう。この滅びに際して刻々と周辺国家が血で血を洗う地獄の様相を呈しているのが判明したり、ダーナの目的も少しでも長く人々を生かして穏やかな結末を迎える方向にシフトしていくのがただただ辛くて…。

ダーナ編におけるアドル達との相違点として「人を看取る」シーンが大きいと思っていて、アドルは船長が死んだ際に今わの際に寄り添い皆で弔うことで団結と決意の再確認をなしたけれど、ダーナ編は数多くの人々が死ぬのにそれを看取る場面はほぼないんですよね(暴走した竜種を介錯したくらい?)。チャプターが飛び人々の生活が行間で変わっていくように、ダーナの追体験において世界は変わっていったもので命は絶えていったもの。あくまで結果を突きつけられる、ともすれば零れ落ちるように寂寥な質感を突きつけられるのが、翻って「ダーナの物語をプレイヤーは受け止めるしかできない」と念押しされているようでした。

火野映司のときも衛宮士郎のときもフィーナのときも同じこと言った。俺は何度だって同じようなキャラを好きになる

イースシリーズにおいてヒロインはその作品しか登場しないため「現地妻」と称されることもありますが、それを逆手にとってかダーナはパーティ加入後も不意にいずれ来る別れを口にする場面がしばしばみられ、なおかつダーナ自身が前述の通り自己を顧みず前進する節があるので、もうやめてくれよ…と思いながらダーナの物語を直視せずにはいられない。俺気づいたらダーナのこと好きになってたんすよ



「蒼き波濤の果て」と選択肢

世界を救うためラスボスを倒した後に、極めて個人的な動機によって再び剣をとる。私の好きなシチュエーションです。
訳あって「蒼き波濤の果て」のサブタイトルは知っていたので、ここか…!と身構えた。いやもう凄かったです。最後の敵を倒して世界の秩序のために消え去ったダーナに対し、ただただ感謝と別れを告げるための最終決戦。装備品の強化が不可逆な本作において、ラスボスを倒すための武装が一段弱体化してるのも「この戦いは世界にとって必要なものではない」と示されるようだが、しかし最後の戦いに向かうモチベーションはともすればどの場面よりも高いのだと胸を打つ。暗闇の中で原生生物をモチーフとするボスを倒したかと思えば、黎明の光の中で更なる形態に移行する……神曲といって差し支えない「A-TO-Z」の美しくも激しい音色に彩られて、間違いなく本作の物語を締めるのに相応しいラストバトル。

戦闘を終えてダーナに会えた。会えました。本当に美しかった。世界を守るために神と化したダーナはただただ美しく、そしてそれゆえにもう人として生きることはないのだと声高に叫んでいるようで……。

本作において選択肢はそこまで大きな意味はなく、あくまで相手の反応が変わるくらいであり、それゆえどちらか好きな方を選ぶだけ。
ゲームにおける選択肢について考える。その選択が例えばルートの分岐やその後の展開を左右するなら、選ぶことに意味はあるでしょう。逆に言えば、何を選んでもその先の変化が乏しければただのクリックでありボタンを押す動作になると言ってもいい、とさえ思います。
しかしこの場面、この瞬間、果たして俺はその考えが消し飛んでしまった。過去において無茶に無茶を重ねて、自分が居た文明も人々も死に果ててなお未来を救うために眠り続け、その戦いの末に人であることすらやめてしまったダーナになんと声をかければいいのだろうか?その働きに報いなければあまりに気の毒ではないか?心配をしてあげなければ誰も彼女を顧みる者はいないのではないか?その先の未来がどうあっても変わらないにもかかわらず、しばらく放心して手が動かなくなってしまった。

ヒロインの末路、という点では前作7も同様に悲壮感が強い別れだったものの、ダーナは生い立ちから今に至るまでの生涯をまざまざと見せつけられたのもあって感情移入がより強く、キャラクターとしての造形も相まって没入度も高かったからこそ、この積み重ねが心を揺さぶられました。ヒロインの別れであり、主人公の末路、もとい生きた証を見届けたという感覚が近いのかもしれません。



エンディングにおいてそれぞれのキャラは己の人生を歩み始め、アドルもここでの冒険を胸に次の舞台を目指してゆく。文明の名残が消えたセイレン島ではダーナの面影が輝かしいばかりの笑顔を浮かべ、そして在りし日の巫女も女王も関係なくダーナと友が屈託なき安らぎを放つ。オープニングでアドルさんが語ったように、夜明けそのもののように爽やかで美しいダーナの決意とエンディングを忘れない、俺はこの少女を忘れないよ……。



いや納得できるかーーーーーーーーーッ!!なにがだ、なにがDana Foreverだよ!!ただひたすら他者のために戦い続けたダーナが迎える結末としてこんなんあんまりだろ!エタニア人として世界に取り残されて人類と共に生きるのは難しいだろうことは分かるけどこっちはダーナの好きなものも知らないんだぞ!無人島にいながら外の世界とのつながりが見える作品っていったけどダーナと繋がる世界はあの島に残ったエタニアの残滓だけってことかよくそ!!冒険を通してアドルに惹かれつつあったのも「進化の護り人として次代の護り人を選定していた」と定義されて人並みのさあ!感情もさあ!!今更だけどアドル以外のパーティメンバーは誰もが「家族」に連なる文脈があり人生の指針にしてる環境においてダーナは幼い日に救えなかった母親に対する自責の念に突き動かされ続けているの容赦がなくってさあ!!この「ヒロインを万力でギリギリ締めあげて心身ともに耐久試験しながら零れ落ちた一筋の輝きを尊ぶ」シナリオ運びの癖が強くない?ってひっくり返っちゃったよ。というかラクリモサによって人生はおろか文明単位で滅茶苦茶にされたダーナが今度はラクリモサを司る神になるってどういう了見だよ!「だから見せてね。ダーナちゃんの涙の日ラクリモサ・オブ・ダーナを!」ってこと!?あんまり舐めたこと言ってると簀巻きにしてオケアノスの巣に沈めてやるからな



久々のイースシリーズ、期待値高めで始めたⅧでしたがそれを上回る会心の出来で、語りつくせぬほどに満足です。これを書いてる時はまだRiJ2024夏は始まってないので、イースⅧもそれ以外の作品も楽しみにしています。
俺はここまで書いて、そして「EVERLASTING TRANSEUNT」を聴き返して…再び泣いた。


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