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『真夜中の五分前』良の世界観

『僕のいた時間』で拓人がALSとして生きていく強い意志を勝ち取った。それは一人では到底できず。周りの深い愛情があったから。ほんとに考えさせてもらった作品。
その後、いつ撮影したかはわからないけれど。公開日は2014年12月末だと記憶している。前年は舞台2本『海盗セブン』『五右衛門ロックⅢ』をやりこなし次の年は『ラストシンデレラ』と『僕のいた時間』が続いたので、久しぶりの映画だから観に行かなきゃ!行かなきゃ!と焦っていた記憶。結局年末の年末だから行けなかった。それからはミステリアスなストーリーはどうだったんだろう?と思いつつも観ていなかった。
2020年春馬くんがこの世界からいなくなってからDVDを購入して観ることができた。ずっとゆっくりと時間が進む雰囲気。無駄な音がなく中国語の響きも慣れていないのに、春馬くんは中国語でペラベラと話すから不思議。(春馬くんは英語ならともかく中国語の不思議なイントネーションはどうやって覚えたんだろう?)本来は日本での撮影が上海での撮影になった経緯はわかないけれど。そのおかげでミステリーなストーリーが際立ったように思う。
プールで泳ぐシーン。競争する試合ではないから当たり前なのかもしれないけど良はクロールを一つも無駄な水しぶきをたてずに泳いでいた。春馬くんの所作は食べ方から笑い方や言葉の発声や言葉の置き方などいつも美しい。これは演技というより元々身についている気がする。
泳ぎ方もプールの水と一体になっていた。ずっと台詞がなく笑うことも少ない良。時計職人として片目にレンズをつけて作業する良。プールで知り合ったルオランと少しずつ少しずつ距離を縮めていく。亡くなった恋人を思って静かに生きてきた良だったんだろうな。 
一滴の水が落ちてきたような出会いで、お付き合いが始まる。良とルオラン。二人で良の部屋で触れ合う姿は、直前の『僕いた〜』の元気な頃の拓人とメグのよう。この映画の演出のせい?春馬くんが元々持っている魅力的な所作のせい?
何回も言ってしまうけど。人間としている一人の男性なのに美しい✨という感想が出てしまう。春馬くんはどんな人だったんだろう?とも。
ルオランと共にいる良は双子として生まれ生きてきた苦悩を知り、静かに受け止めていた。二人で行った旅行なのに。一人は事故で亡くなり一人だけ戻ってくる。助かった一人が目を覚ますと良ではなく婚約者のティエルンの手を握る。亡くなったのは良の恋人ルオラン。
帰ってきてからティエルンがルーメイではなくルオランではないか!という想いに囚われてどんどん自分を周りを追い詰める。この時のそれぞれの心理を皆とても上手く表していた。私も一瞬戻ってきたのはルオランで。ルーメイとして生きていこうと思いうそをつく?でもそれはやはりないと思った。双子のうちルーメイのほうが自由気ままに過ごしていて、ルオランのほうが耐え忍ぶという生き方をしていたように見える。でもそれはある一面を見たときにはそう見えるということ。ルーメイはルーメイでルオランにはわからないことで苦悩を感じていたのかもしれない。
婚約者のいわれのない自分に対する仕打ちをされて。初めて自分と対極にいるルオランの苦悩を想像できたんじゃないかと。行くところもなく。どうしていいかもわからないルーメイは、ルオランが過ごした愛した良のところに行く。それはルオランの人となりを感じたかったから。良とどうにかなるという気持ちではなくルオランをもう一度知るために。
ベッドで寝て起きたときに、前ルオランが過ごしたように、朝ごはんを作ったり一緒に食べたりする体験をする。こうやってルオランも、ご飯を食べて過ごしていたんだ。と感じるルーメイ。今この(noteを書いているが時計を見たら夜中の5分前。12時5分前だ!ちょっと偶然) この後出ていったルーメイと良の物語が続くか続かないか?とか。ルーメイではなくルオランが生きていた?とか観ている側の想像というか妄想でこのストーリーが完成する気がした。
監督は『東京公園』での春馬くんの光司をみてこの作品の良に選んだときいたように思う。何もかも受け入れて溶け合うようなキャラクターの光司を見つけたからなのかな〜と真夜中の五分前に妄想する私です。美しい映画だった。✨
その後、春馬くんを偲ぶために行った一人旅で、鎌倉や土浦にも行き。土浦セントラルシネマズにて初めてスクリーンで『真夜中の五分前』を観ることができた!スクリーンの良はますます美しかった✨





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