父の夢を見た!
よく夢を見る。ここのところ心が弱くなっているからか?久しぶりに私の夢に父が出てきてくれた。
いつも前しか向かないような私が心が弱くなったと言ってしまう今。
それは心の奥に。春馬くんが私達の世界からいなくなってから3年半経ってしまった現実にむきあいはじめたからかも。
この3年半。春馬くんの気配を探すためにあちらこちらに行ってきた。
それは私には必然なことだった。そしてぐるりとまわって360度戻ってきたような気持ちにも。2020年7月の悲しい日以降から続けて私の夢に出てきてくれた春馬くん。すぐ近くでお話したり。嬉しそうな姿を見ることができたり。何回か見たあと2021年2月の1日か2日、今からだと3年前に見た夢は。体育館のようなところで白シャツに薄めの色のブルージーンズの姿で元気に走ってきた春馬くんが、満面の笑顔で「もうすぐ茨城に帰るんだ!」と言った。夢を見るといつも起きてすぐにメモをするのでいつまでも記憶に残ることになる。その夢からはしばらくして見たことはあるが、私の中ではその半年間の夢が強く記憶に残っている。私にできる限りの気配探しをしてきたことは私にとっては必要なことだったと思う。
先日『森の学校』では(はーちゃん)と呼ばれていたマトの弟。後に臨床心理士になられた河合隼雄さんの息子さんが『ラジオ深夜便』の番組でお父様との出会いについて話されていた。お父様とは生きているうちは2回出会って亡くなられたあと3回目の出会い(息子としてそれまで知っていたお父様とまた違う素敵なところに出会ったという意味)があったとのこと。それを聞いたときに私は生きているときから春馬くんのことを応援して見てきたけれど。違う世界にいってしまってからもまた違う素敵な春馬くんに出会うために気配探しをしてきたんだな〜。と腑に落ちた。いま現実に同じ世界にいないとしても対峙することができる!そう想ってこれからも共に生きていたいと想う。そう思っているはずなんだけど。時々寂しさが倍増することもある。
そんな自分でもつかみきれないもやもやした気持ちで落ち込んでいる今なんだと想う。もしかしたら別の世界にいった春馬くんはひっそりと静かなところでゆったりしたいのかもしれないけれど。
まだまだ気配だけだから探すことを許してね。という気持ちです。
昨日というか。今朝方見た父の夢は。
誰も住まなくなった長野の父の生家にて子どもの頃からお盆、お正月などは帰省していたからほぼ長野の行事しか知らなかった。いつもは隣の県に住んでいるんだけれど。(ここは父が生前取り壊していたので今はない)土間があり台所は奥その前が畳の部屋そこは物置になっていた。土間を上がるとすぐに板の間。歩くとギシギシと音がしていた。そこには囲炉裏が出せるようになっていて、たぶん大昔の特別な日にはそこで火を起こしあったまったり、五平餅を作って焼いて食べていたと思う。(見たことはないけど話は聞いたことがあった。)天井は太い大黒柱がむき出しになって黑いすすがついていた。普段は板をはってあった。その奥が畳の部屋が3部屋。そこに仏壇もあった。
中央は親戚の方が来てご飯を食べるところ。左側はお客さんの部屋。右側は祖父母の部屋。2階はその時使っているのは一部屋。左側にもう一つ階段がありそこにいくつか部屋があったが使われていなかった。父はそこに誰かと遊びに来ていて少し若い頃だった。3人いたうちの一人は母ではなく知らない人。もしかしたらはるか昔に亡くなっていた父の姉?なんだか昔の着物のようなものを着ていたような?こんなことを書くのは。実は跡継ぎである私の兄が体調を崩し、長野にある先祖代々のお墓の墓じまいを昨年の秋したためかもしれない。近くに住んでいらっしゃる父の兄弟姉妹も亡くなったり高齢になりお墓のお世話ができなくなってきていた時に兄もできなくなったから。お寺のおっ様と話し合ってお墓じまいをしてそこにある永代供養塔に移してもらった。ご位牌は本堂にあるので変わらず。父が生前大昔からある古いいくつかの墓石の横に母との墓標の石もつくってあったけれど。ずいぶん経ったから納得してくれるかな〜。と。それに父は亡くなる直前に『千の風になって』の歌を歌ってくれた!お墓にはいない。と。風や鳥になってどこかに行ってるから。
そんなよかったかな〜?という気持ちや春馬くんのことを想う気持ちがごちゃごちゃになり、ほんとに久しぶりに父が出てきてくれた気がする。そういえば父も午年。いくつになっても好奇心旺盛で病気になってからも運動のために歩いて山を歩き自由に行動していたと思う。春馬くんも自分のことを自由人なんです!と言っていたな〜。今は築地本願寺にいるけれど。きっと自由にあちらこちらにいっているね。
ある日、父が山歩きした時、木苺を取ってきてジャムにしてくれた一瓶の味は忘れられない。父が作ってくれただけでなくクセのない味の木苺でつぶつぶ感がほんとに美味しかった!農芸化学の高校の教師だったから生徒と何回も作って販売等もしていたはずだから上手かもしれないけど。手作りジャムを作っで瓶詰めしたら一度熱湯で茹でると密閉できること。母は料理が好きで美味しいものを振る舞うことが大好きだったこと。自分が歳を重ねて来るとそんな行動を思い出してよりよく生きていたいな〜とますます想うようになった。今は少し心が弱くなっているけれど。今このnoteを書き出して両親のことや春馬くんの生きていたことを思い出すとまた力が湧いてきた気がする。
心が弱くなったり明るくなったりしてもこれが生きていることなんだな〜と思える。私はそんな時にいつも夢に助けられてきた気がする。
これからも父や母そして春馬くんにも夢で会いたいな〜と想う。
今この世界にいない人でも。いつでも思い出すことにより対峙できるということ。無理しすぎず。一日一日を大切に過ごせたらと想う。