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死想少年


あなたが胎児だった頃に
その心臓を食べておけばよかった。

あなたを、僕の体内に宿すことが出来たなら
どんなに幸せだったろう。

また、蝉が鳴いている。

あの煩い羽根を、もぎ取って、
叫びたくても叫べないようにしてあげたいです、よ。

生命の輝きって、なんだろう。
僕にはわからない。

いつまで生きていれば、あなたと一つになれるのか。

「死のうよ」
心中なんかで救われるなら
そんなものを信じて終われるのなら

「ねぇシノブ、死のうよ」
シノブは分厚い本を熟読するふりをして、僕の言葉には答えない。
たまに反応したかと思うと
「……死ぬ? ふざけるな」
「本気だよ。僕たち、死のうよ。だって約束したじゃないか」
「いい加減にしろ。おまえの話は聞き飽きた。うんざりだ」
その、わざとらしく広げている本、ちっとも読んでいないの、知ってる。
頁が変わっていない。
よく眺めていられるよ、そんな、小さい字がぎっしりの、真っ黒い頁。
まるで、烏の――

溜め息一つ吐いて、黒い頁に顔を埋めたあなたの、頬にかかる黒髪が綺麗。
「シノブ。今、烏の大群に喰われているみたいだ、って、思ったんでしょ? そんな本、読むのやめなよ」
僕にはシノブの心がわかる。
だって、僕の心の傷は、シノブに伝染しちゃうから。
シノブだけが、僕の傷を舐めあってくれるから。

「おまえといると、気が狂いそうになる……」
感じていることは、僕と一緒。
苦しいなら、死ねばいい。
「だから今夜、死のうよ僕たち」
「俺は遠慮しておく。……もう、早く寝ようぜ、今日は」
「そうやってまた、心中計画を先延ばしにするんだね」
「なあ、アカツキ。ちょっと、俺の顔、真正面から見てくれ」
「どうして?」
「おまえの顔を、ずっと見ていたい気分なんだ」
「どうしたの急に。今まで無視してたくせ……」
シノブは僕を見据えると、すばやい動作で唇を重ねてきた。
彼の唇は切れているのか、生温い血液の味がした。

僕の髪を、
僕の頬を、
僕の肩を、背中を、首筋を、
心臓のある部分を、優しく撫でてくれるから、
堪え切れなくて涙を零した。

僕の嗚咽にかまわず、シノブは愛撫を繰り返す。

ほんとうは。
叶うなら、シノブと二人で生きていきたいけれど。
その道があまりに昏くて、むずかしくって、
僕ひとりぶんも生きていくのが重たくて、
だから、
だから、一緒に死んで――


あなたが胎児だった頃、
僕は満天の星空を夢見て、
空高く飛ぶ列車に憧れて、
あなたと何処までも一緒に、此岸も彼岸も乗り越えて
ずっとずっと遠くまで、泳いでいけると思っていた。

心中を夢見たのは、春の午睡のように穏やかな心

一掬(すく)いの希望

あなたと魂を一つにするための。


死想少年

梅雨が体を少し肌寒くさせる時節だった。
中学生になったばかりの双子、シノブとアカツキは、小学生の頃からそうしていたように、薄い毛布に一緒に包(くる)まって愛撫を続け、やがて静かな眠りに就いた。

弟のアカツキの心の悲鳴を、兄のシノブが聞くようになったのは、
十歳になった頃。
何も言われなくても、弟の気持ちが直につたわってきた。
しだいに、聞こえるだけじゃなく、感じるようになった。
悲しみも、苦しみも、そのままの痛みをともなって流れこんでくる。
弟の傷つきやすい性質が、しっかり者の兄を弱らせる。
二人の不幸が始まった。

大人には話していない。
親身になってくれる大人なんて、誰一人いないんだから……それが二人の一致した嘆きだった。
クラスメイトすら信じない弟に寄り添って、兄までもが孤立する。
これは二人だけの秘密だと、甘い痛みに身をひたす。

そんな関係が、おだやかであるはずもなく。
しかし、せめて二人で眠る時だけは、さびしさを埋めるように、体温を分けあった。

「シノブの呼吸のリズムは、生まれた時から知っているよ。僕たちは一緒に生まれたんだから」

ともに、この世界を知り、
ともに、ささえあってきた。
そんな、唯一無二のきょうだいがいる、それだけでじゅうぶんなはず、だった。

からだが別々に生まれたのだから、心だって別々で、
いつまでも一緒にはいられない。
二人は少年から大人へと成長し、おたがいに別々の世界をひろげていかなければならない。
生きるとは、そういうことだ。
そんなふうに、シノブはアカツキに諭した。
アカツキはそれを拒否した。

アカツキだって、もう子どもじゃない。
これ以上、求めてもどうにもならないことくらい知っていた。
それなのに、どうにかしようとして心中計画を連発する。
そんな弟にシノブはつきあい、しまいには現実から逃避する。
馬鹿げた遊戯。
終わらない苛立ち。
もう、行き場が、無い。

窓をつたう雨垂れが、蜜のように甘く流れる。

やまない雨音につつまれて、アカツキは幼少時の夢を見た。

――夕立の後の空は、真っ赤に晴れている。
弟は夕映えを指して、兄に笑いかける。
「シノブ、見て。おいしそうな色だよ」
「まったく、アカツキは食べることしか考えていないんだなあ」
微笑む兄の横顔が、茜色に照らされて綺麗だと、弟は見惚れる。
幼い二人は、神社の階段に座っている。
下のほうでは、群生した赤い彼岸花が揺れている。
「あの花の色は、なんか怖いね」
「ああ、曼珠沙華か」
「マンジュ? シャゲ?」
「うん。お彼岸の頃に咲くんだ」
「首から血が出ているみたいだよ。あの花、みんな死ぬ途中みたい」
「あはは、シノブは怖がりだなあ。大丈夫だよ、白い曼珠沙華もあるらしいから」
「どこに?」
「うーん、見たことがないからなあ。天国に咲くのかも」
「テンゴクって?」
「死んだ人が行くところ。永い間、幸せでいられるところだよ。きれいで、やさしくて、白い色 をしているんだ」
「へぇー、そうなんだ! 僕、大人になったら天国に行きたい! シノブも一緒に来てくれる? 」
「いいよ。一緒に行こうな」
「約束だよ!」

……アカツキが目が覚ました時、雨は降りやみ、蒼白い月光が窓から洩れていた。
冷えた空気に身震いし、寝惚け眼でつぶやく。
「ねぇシノブ、今ね、懐かしい夢を見たんだよ。昔、あの約束をした時のさ。覚えてる?」
寒さをしのごうと、毛布をたぐりよせた。
「死のうって約束したよね、僕たち。……シノブ?」
一枚の毛布にすっぽり自分の身が覆われてしまって、気付く。
シノブがいない。

「シノブ……?」

その時、シノブの足は屋上のフェンスを乗り越え、地上を離れていた。

心の傷は、伝染する。
憑かれたように、死を願う――

――あなたを、僕の体内に宿すことが出来たなら、
――(俺のすべてを、おまえの中に宿すことが出来たなら、)

シノブは一瞬、空を飛んだ。
次の瞬間にはじまる落下。
そこから世界は無になった。

――足の裏にくっついていた大地……から離れて……、
白い曼殊沙華の咲く……、あれは、どこだったっけ……?
なぁアカツキ、俺たちはどうして、あんな約束をしたんだろう――

異変に気付いたアカツキは一言「ひどい」とつぶやいて気を失った。

「アカツキ」

呼ばれている。懐かしい声。
声のあるほうに、影が現れる。
「シノブ」
綺麗なシノブ。僕のシノブ。心臓が蕩けそうに、大好きなシノブだ。
「シノブ、元気にしてたの?」
「ま、わりとね」
その笑顔は、華のように美しい。
また出逢えたんだ。僕たち、もう離れたくないよ。

向こうに、小高い丘がある。
「あれは何?」
「ああ、あれか」
きれいな形をした緑の丘。
思い出の中にあるようで、はっきりとした記憶が掴めない。
此処は見知らぬ土地だから、既視感(デジャヴ)なのかな。
「あの丘は、彼岸の時期になると白い花が咲き誇るんだ。
昔、この近くに火葬場があって、その灰があの丘に飛んできて、
その灰が、今でもあの花を咲かせているって話だ」
「じゃあ、死んだ人の想いが、積もっている丘なんだね」
「そうかもしれないな」
二人で丘に登ってみた。
短く刈られた草が一面にひろがっているだけで、なにもない。
こんなところに花が咲くなんて想像できないけれど、
きっと、美しい光景なんだろう。
丁重に掌を合わせる。
この弔いがお祈りとなって、天の人まで届きますように。

丘の上で、僕たちはおたがいの存在を確認するように、向かいあった。
幻覚じゃない。シノブが、ここにいる。
「アカツキ、背が伸びたな。顔つきも大人っぽくなった」
「そうかな。変わったのか。自分ではわからないけど。でも、ずいぶん永いことシノブと逢わなか ったからなぁ」
離れ離れになってから、シノブの視線の先には自分がいたことを、ようやく知った。
後悔しても、遅かった。
今も、大好きな彼の瞳には、どうしようもない自分が映っているだけで。
「シノブ。こんなこと、許してもらえるなんて思ってないけど」
でも、と言葉を紡ぎだそうとして、
途端に抑えてきた感情が喉元から押し寄せる。
だめだ、また、シノブを困らせてしまうのに。
あふれてしまう。
「僕ずっと、シノブにあいたかっ……」
声も、体も震えがとまらない。
その震えをしずめようと、シノブが僕を強く抱きしめてくれる。
どうして、いつも、そんなに優しいの?
「待ってたよ。おかえりアカツキ。必ず還ってきてくれると思ってた」
体中の熱が、心臓を締めつける。
歓喜が目頭にたまり、流れ落ちてゆく。
「僕が、……僕が死にたいなんていわなきゃ良かったのに、ごめ……なさ……」
「いいよ、もう。また、こうして会えたから」
僕は安堵して、睡魔に襲われる。
かつて、シノブと寄り添って眠る時、そうだったように。

その時、無数の白い花びらが天上から舞い降りてきた。
ひらひら、ひら、二人を祝福するように。
「花吹雪だ!」
雪と見紛う程の白さだった。それが、緑の丘を覆い尽くし、あたり一面を白く染めあげてゆく 。
僕はただ、花びらの動きに心奪われていた。
めまいがする。
なにかの魔術のように、生気が吸い取られてゆく。
薄れる意識の中で、倒れる僕を、シノブが抱いてくれたのがわかった。
それだけで、もうじゅうぶんだ。
この体温だけが、確か。

僕は、この仕合せを呪う。


アカツキが目が覚ました時、夢の内容をほとんど忘れていた。
半覚醒状態のまま、のろのろと支度を始める。
今日は、兄、シノブの墓参り。
命日から二ヶ月経っているが、秋の彼岸も重なるので毎年一緒に済ましている。
まだ暑さは残っているが蝉の声は止んだ。
窓の外で、赤い曼珠沙華が揺れている。

曼珠沙華は、天上では白い花だと、昔、シノブが教えてくれた。
声を思い出そうとしても、記憶には浮かんでこない。

シノブが自殺した後、アカツキは精神的ショックによる一時的な記憶喪失で入院していた。
初夏、窓の外にひろがる青空の清澄さが、身に沁みてきれいだった。
兄がいたことすら、忘れていられた、あの一時期。
記憶が回復してもなお、当時の心は置き去りにしてしまった。
アカツキはすっかり大人に成長し、今では子を持つ父となった。

昔を思い出そうと目を閉じても、シノブとの思い出はおぼろげで、
入院中の初夏の暑さや眩しさの方が、よっぽど鮮明に思い出せる。
――今朝、どんな夢を見ていたのだろう。
記憶の渦に光るものが見える。白い花。
また見てみたい、と思った。
しかし、次の瞬間には子の声に呼ばれて、忘れてしまった。

◆◆◆

心中を夢見たのは、
春の午睡のように穏やかな心

一掬いの希望

シノブと魂を一つにするための。


シノブへの憧れを、
満たすための、

幼い恋慕だった。


(了)




*見出し画像はこちらのクリエイター様から拝借いたしました。



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