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僕は生牡蠣が食べたかっただけ。
「朝、目が覚めると泣いていた。いつものことだ。悲しいかどうかさえ、もう分からない。」は、小説『世界の中心で愛を叫ぶ』の冒頭部分である。
「傘、また今日もどこかに忘れた。いつものことだけどめっちゃ悲しい。」は、僕が1年間に数回発する言葉である。
ベストセラー小説とお前のしょうもない日常をならべるのはどうかと思う。と、僕自身も思っているので許して欲しい。
情けなくなることが、よくある。
あまりの自分の注意力の無さに。
前の投稿から日が空いてしまった。
コンスタントに執筆活動は続けている。
下書きはもういくつか溜まっているのだが、なんだかどれもしっくりこない。
最近、エッセイを読むのがマイブームになっている。面白い文章を読む度、こんな!文章を!僕も!書きたい!と、直木賞作家の朝井リョウさんや、さくらももこさんに謎の対抗意識を燃やし、ものすごい勢いで鼻息フンフン鳴らしながら書き始めるものの、面白いのが書けた!と思っては次の日に読み返すと目も当てられないようなつまらなさに途中でiPadを床に叩きつけそうになる毎日である。
今回も旅行記とかそんな類のものを書き始めたはいいものの、途中で、僕の旅行なんて誰が興味あんねん。と当たり前の事実に気づいてしまい、最近どこでも執筆活動ができるようにと買った折りたたみキーボードを折りたたんではいけない方向に折ってやろうかという衝動にも駆られている。
執筆活動?
すみません。言ってみたかっただけです。
旅行記は今、『そうだ、(かわいい19歳に会いに)京都行こう。』というJRにブチギレられそうな最高に気持ち悪いタイトルで執筆中である。もちろん公開するかはわからない。
京都のあと、僕は、兵庫や広島に行った。兵庫や広島では、1人で行動する時間が長かった。今回は兵庫から後の出来事を中心に書く。
30数年生きてきて、誰かといる時には僕の注意力のなさはなんとか隠すことができるようになった。つもりだ。
が、1人になると、まるでダメである。
そこで、今回は旅行記ではなく、僕の注意力全然ないエピソードとしてここに記すことで、あ、こんなやつもいるのかと思っていただけたら幸いである。
どうか引かないでほしい。
京都観光を終えた僕は、甲子園球場に向かおうとしていた。
この時期だし、せっかくだし、甲子園の雰囲気を味わいたいし!
と思い、ネットを確認すると当たり前のようにチケットは売り切れていた。
「だよね〜⭐︎」と気持ちを切り替え、神戸港に向かうことにした。
(神戸といったら、あの赤い不思議な形のタワー見なきゃね!)
8月の神戸に降り立った僕は炎天下を半分溶けながら歩いていた。
えーっとタワーはあっちかな。
とりあえず海の方へ。
あれ?ない。
この辺のはず。
グーグルマップもこの辺をさしてる。
あれ???ない????
ん?
![](https://assets.st-note.com/img/1691889706093-3zVoKcT2uN.jpg?width=1200)
あ、補修中ね〜オッケ〜⭐︎
僕が観光地に行くと、大抵のものが補修期間なのはなぜだろう。
その度に、補修中を見れるのも珍しいし逆にラッキーだよね⭐︎と謎の論理で自分を慰めている。
円柱状の足場のみを見学した僕は、広島へ向かった。
広島の路面電車を降りた。
正面にいる男性のリュックが開いている。
僕は、リュックが開いている人を見るとそのことを伝えたくなるし、写真を自撮りで頑張って撮ろうとしている人を見ると、「撮りますよ!」と言いたくなる。
友だちに優しいね、と言ってもらえることもあるが、たぶん、優しいとかそういうことではなく、衝動的に動いてしまうだけだ。餌に飛びつく動物、みたいな。
ここぞとばかりに、
「あ、リュック開いちゃってますよ〜!」
「えっ」
「閉めちゃいますね〜!」
と、優しい男風ムーブで餌に喰らいつく僕。
「あ、ありがとうございます〜」
「いえいえ!」
からの、満足気に立ち去る僕。
「あ、そちらも開いてますよ!」
「え?」と立ち止まる僕。
「リュック。開いてます。閉めますよ〜。」
「え、あ、ありがとうございます。」
うまく皆さんに伝わったかは分からないが、僕のリュックも全開で、初対面の成人男性がお互いのリュックのチャックを閉め合うという不思議イベントから広島旅がスタートした。
ありがたい&情けない。
平和記念公園や原爆ドームなどを見学後、フェリーで宮島へ。
帰りもフェリーの切符売り場混みそうだし、ということで、往復券を購入し乗船。帰りのことも考えられるなんて意外とヤルじゃん、僕。
![](https://assets.st-note.com/img/1691895203489-MSLDw7Agti.jpg?width=1200)
厳島神社って本っ当にかっこ良くて好き。
海の中にそびえる鳥居。海の上に建つ社殿。
荘厳とはまさにこのこと。
初めて知ったんだけど、厳島神社の鳥居って、ドンと置いてあるだけなんだって。あのサイズの鳥居が自立て。すごすぎるよ平。
社殿の床板は数ミリの隙間があって、そこから波の力を上手く逃して建物に負担がかからないようにしてるんだって。すごすぎるよ清盛。
宮島に着いた時には、やや引き潮で神社の下にはあんまり海水が来ていなかった。どうせなら満潮の厳島神社見たいよなぁと思った僕はカフェに行ったり、島内を観光したりして時間を潰した。
約2時間後、さぁ、そろそろ満潮かな!!!!
と神社に戻ってくると、引くほど潮が引いていた。頭痛が痛いみたいな文章になってしまったが、本当に引くほど潮が引いていたのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1691895382792-swnY0drRH7.jpg?width=1200)
なぜ、時間を潰せば潮は満ちてくると思い込んでいたのだろう。潮は満ちる時もあれば引く時もあるのだ。当たり前だ。
自分の都合の良い方向に世界は動くはずだという僕の思い込みに怯えた。
お盆の厳島神社。島内はめちゃくちゃ混んでいた。
ご飯を食べるにも、どの食堂も行列。
そんなにグルメでもない僕は、「せっかくだし生牡蠣だけでも食べられればあとはなんでもいいや〜。」とあいかわらずざっくり&テキトーなこと考えていた。
ぶらぶら商店街を歩きながら迷った結果、「外から可愛いガチムチの店員さんが見えた」という理由だけで入った食堂では、もちろん生牡蠣は売り切れていたし、店員さんは思ったほどガチムチでもなかった。
「思ったほどガチムチではなかったので。」なんて理由で店を出るわけにもいかず、カレーを注文した。僕はただ生牡蠣を食べたかっただけなのになぜカレーを食べているのだ?という疑問を払拭しきれないまま、完食した。
店を出るとき、入り口にデカデカと
生牡蠣、焼き牡蠣SOLD OUT!と書かれているのに気づいた。
この文字が視界に入らなかった自分に再び怯えながら店を後にした。
一通り観光を終え、フェリー乗り場へ。
「帰りも切符売り場混んでるよな〜⭐︎」と事前に購入していた往復券はもちろん紛失していたので、当たり前のように帰りの切符を買い直し、広島駅へ向かったのだった。
旅行中の一部を切り取っただけでもこうなってしまう。
僕のどうしようもない注意力のなさも、あ、こんな奴もいるのかフフと思っていただけたら、少しは報われる気がする。
生牡蠣食べられなかったので、誰か食べに行きましょう。
僕は生牡蠣が食べたかっただけ。