窓辺には黄色いバラ
1.畑のきゅうりがなる頃に
ああ、今年もこの時期がやってきた。
アイツは今年も忙しいのか。
私は、畑のナスに水をやりながら、深くため息をついた。
現役時代、私は教師だった。
半生、この身を教育一筋に捧げてきた。
主に勤務したのは、中学校。反抗期真っ盛りの生徒たちとは現場で丁寧に接してきた。やんちゃな子供たちの補導にも力を注いでいたから、息子の教育を妻に任せっきりだったことが悔やまれる。だからこそ、息子の発病の知らせには、私たち夫婦は落胆したものだ。
8年前、信じられないことに息子は結婚した。障害を抱えたあの子をみそめてくれた陽子さんには感謝の気持ちしかない。早苗といい嫁姑関係を築いてくれているようだし。
日も高くなった時、携帯電話が鳴った。妻からだ。少し興奮しているようだ。
「シゲちゃん聞いて。智弘が子供を連れてきてるわよ」
子供?誰の子供だ。
「わかった。きゅうりがすっかり育ってるから収穫してくる。食事は先に済ませていていいぞ」
「こんにちは、岡野エリザベスです。智弘お父さんの娘です」
少女が頭を下げる。
目が点になった。亜麻色の髪。碧くつぶろな瞳。この黒いワンピースの少女は、間違いなく、私の血など引いていない。
「誰だ。この子は」
「、、、俺の娘だ」
と智弘はいう。
「嘘つけ。どう見ても、外人さんだろ」
「養子縁組したんだよ。血は繋がってないけど、大切な家族だ。小野さんには了解済みだ」
小野さんとは、嫁の陽子の旧姓だ。しかし、わざわざどうして小野家に了解をとるのだ。
「正確には、陽子さんの姪っ子の子供なんだ」
ますます意味が分からん。
年齢が矛盾する。確か、姪っ子さんはまだ結婚できない年齢じゃなかったか。
「それに今、信じられない単語を連呼したな。お父さんって誰だ?」
猫をかぶっていた少女の目が、キラリと光った。好機を見つけた狩人の目だった。
「本当はパパと呼びたいんだけど、智弘お父さんは拒絶するの♡」
思わず深い深いため息がこぼれた。
「智弘、やはり警察に行こう。ひとりが怖いなら、一緒に行ってやる」
「あーあ。とうとう拗ねちゃった」
エリザベスと名乗る少女を残して、智弘は怒って、ひとり部屋から出ていった。
残された少女を見るが、年齢にして5歳くらいだろうか。
「お嬢ちゃん、実際のところ、どうなんだろう?」
「嘘じゃないですよ。あたしが陽子おばちゃんのアパートに押しかけているのは事実ですから」
エリザベスが落ち着いた口調で話し出す。
おや。年齢の割に大人びているじゃないか。
「嫌がる智弘お父さんを焚き付けたのは、あたしです。父の日くらい、親の顔は見に行かないのかって。だから、どうか許してあげてください。ね?シゲちゃん」
「うむ。わかった。それから、その呼び方をしていいのは妻だけだ」
「じゃあ、センセイって呼んでいいですか?」
「それでいい」
ふと思った。懐かしい響きだ。私も引退してから10年以上になるのか。
「しっかりしてるわねぇ」
早苗が麦茶を差し出しながら、エリザベスの頭を撫でる。
全くだ。智弘と比べて、どっちが大人だ。
「ちなみに、心配しないでほしいんです。会ったその日に警察訪問は済ませてあります。生活安全課の警察官から、しっかりとしたいい子だって褒められました」
少女の言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。うそではないらしい。今はこの子を智弘の娘、、、と仮に話を進めてみよう。
「おい。智弘はどこに行ったんだ?」と妻に聞く。
「多分、2階の部屋でしょ。今はそっとしておきましょ」
「情けない。子供をほったらかしにする父親があるか」
「はいはい」
早苗が渋々、2階にあがる。
「智弘お父さんって、そんなに困った子供だったんですか?」
「学校のテストは良かったが、大人になって病気してからは迷走しているな。結婚して娘がいてもまだまだだ」
私の言葉にエリザベスが、相槌を打つ。
5歳の少女に言っている意味が伝わるかわからない。ただ、言いたいだけだ。私の本音は別のところにある。
「なるほど。だから今、智弘お父さんはあたしに育て直されてるわけですね」
・・・。
この子は本当に5歳なのか?
「センセイ。智弘お父さんの話を教えてください」
エリザベスの言葉に少し考える。
教育上のこともある。さんざん、意地をはって息子をこき下ろしたが、父親の立場を悪く言うのは、この子の成長のためにはよくないかもしれない。
「どうして知りたいのかい?」
この言葉を無意識に返した私は教育者の顔だ。自分でもわかる。
「私の生物学的な父親は、私の生まれたころにもうこの世を去っていたんです。人工授精で授かったのが私で。だから、私は父親の存在を知りません」
信じられなかった。この子は、そんな境遇にいた子供だったのか。日本は無理でも、海外ではそんな現実もありうるのだろう。
まったく、世も末だな。
「センセイはデートってしたことありますか?」
話が飛んだ。
なんで、そんな話に?
話を促す私。
「あたしの生まれた時代では、家族の団欒も擬似的なゲームでしか知り得ない娯楽なんです」
「あたしの時代?」
「はい。私は未来からタイムスリップしてきた人間なんです」
妄想だな。
説明がややこしかったが、エリザベスが未来から来た、、、と夢想していることについては、即座にひとことで片づけた。おおかた、変なアニメを見たのだろう。この年頃は、現実を歪めて理解するものだ。
だが、次の言葉が私の興味を揺さぶった。
あろうことか、少女はこう言ったのだ。
「だから私。家族という存在に憧れるんです」
2.家族の風景
「リリアン。具合はいかがかしら?」
早苗が寝巻きと布団を準備している。
リリアンとは、エリザベスの愛称、、、なのらしい。
「ありがとうっ、おばあちゃん!」
「まあ、リリアンは礼儀正しいわねえ」
エリザベスは、早苗とは実の祖母のように接している。
なぜ、私が「センセイ」で、妻が「おばあちゃん」なのか。突っ込むところは多いけれど。
とりあえず、エリザベスは3日ほど、うちで預かることにした。
強引にそう智弘を説得した。
かなり渋ったが、最後に少女がうなづいた。
正直、私はこの子の本音を知りたかった。
今まで千人を超える子供たちと接してきたけど、この子の存在は異質と言っていい。
一言で言うと、興味深い。
知能は高いようだ。所作も礼儀も弁えている雰囲気がある。いい指導者がいれば、この子の将来は明るいだろう。
「わー。大きいっ」
エリザベスは畑のきゅうりをもぎながら、うれしそうにはしゃいでいた。スマホのカメラを激写する彼女。
「昨夜もひと雨きたから、思ったより大きくなったな」
翌朝、私はエリザベスを家庭菜園に誘った。朝は弱いらしく寝ぼけ眼だが、断ると思った予想を覆して、私のあとをついてきた。
ちょうどたった今。畑はきゅうりが収穫時期を迎えている。
「いいかい、お嬢ちゃん。雨が降ったら、こんなに大きくなるんだ。そうなると困る」
私はエリザベスのもいだきゅうりを、手元のビニール袋に納める。
「どうして、困るんですか?食べる量が増えたら普通うれしいですよ?」
「本来の旨味が薄くなるんだ。ほら」
もいだきゅうりをタオルでふいて、手元のタッパーと一緒に渡す。
タッパーに入っているのは、今朝和えた酢味噌。目の前でパキッと、巨大なきゅうりをへし折って、たっぷりつける。
彼女の右手のスマホが不自由そうなので、それを預かり、ポケットに入れる。
「ほら、食べてごらん?」
そのきゅうりを口の中に入れた途端、エリザベスの目が輝いた。
「、、、うまっ!スーパーのきゅうりと全然違う」
それはそうだろう。鮮度が段違いなのだから。あっという間に、エリザベスはその残りを平らげる。
「センセイ、もっと食べたいですッ❣️」
「まあまあ。ここは我慢しよう。今夜の夕食を楽しみにな」
ようやく年相応の無邪気な笑顔を見て少し安堵した。
「このへん一帯がみんな夏野菜だから、他にも美味しいものがいっぱいだ」
つかみはOK。しっかり、彼女の胃袋は掴んだか。
「この紫の植物。何?」
「ああ、それはなすだ。あっちのはピーマンだな」
「へぇ。植えてあるの初めて見た。智弘お父さんがよく煮っ転がしにするの」
ほぉ。あの智弘がねぇ。食育に無頓着かと思ったが。
「そういえば、智弘お父さんは時々、なすにも味噌につけて食べてるよ」
「新鮮なのはそうやって食べる人もいるな」
懐かしい早苗の故郷の食べ方だ。
もっとも、私は加熱したナス料理が好みなのだが。
あっという間に小一時間が過ぎた。
待ちくたびれたように携帯電話がなった。
着信音でわかる。
早苗だ。
案の定。帰ってみると、家では朝食の支度が出来上がっていた。
「こーんなきゅうりがなっていたんだよ!」
台所の食卓で、興奮したエリザベスが身振り手振りで妻にはしゃぐ。
今や、彼女は完全に私の家庭菜園のとりこ。もともとが近隣の農家の休耕地を無料で借りて、土壌改良した畑である。趣味が高じて、反応が良かったので私も機嫌がいい。
これからしばらく日が高い。
ここから、この子の相手は妻に任せよう。
「センセイ?どこいくの?」
「今日はちょうど地区の会議があるんだ」
今現在、私は町内会長を務めている。
この周囲一帯は、もともとから町内会の活動が盛んな地区で、その業務も思うよりも少しばかり忙しい。
「まぁ2時間ぐらいで帰るだろう。それまで、ばあちゃんと勉強してな」
帰りが待ち遠しかった。浮き足立っていたことは、決して否定はしない。血は繋がっていないとはいえ、エリザベスは智弘の娘だ。
つまり、書類上は私の孫娘になる。
孫の誕生は諦めていたから、思いがけないチャンスに、胸が少し高まっている。
「岡野会長、何かいいことがありましたか?」
副会長の田中さんがふと私の様子に気がついたようだ。
「いやね。孫娘が今うちに来ていてね」と説明すると。
「ああ、会長のところにも初孫ですか。うちもときどき娘が連れてきますが、あのパワフルさは脱帽ですな。懐くのは構わんですが、半日も相手したらもうくたくたです」
副会長の孫は、3人全員小学生の男の子。
なるほど。子守も辛かろう。
いつのまにか、話が白熱するあまり、会議が孫自慢にすり替わっていた。
以前はこんな輪の中にも入りづらかった私だから、いつもは苦手な無駄話が楽しく感じられたのは心が躍った。
そう思っていた矢先だった。
携帯電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。
3.最悪の父の日
「お義父さん、本当にすいません!」
聞こえてきたのは、陽子さんの声だった。「いきなり、夫が押しつけたんですよね?」
どうやら、謝罪の電話らしい。
「いやいや、おかげでハリのある生活を送っているよ。孫娘がいるというも、なかなか新鮮だねぇ」
負担にならないように、言葉を選ぶ。
「それが、、、実は困ったことになったんですっ!」
陽子の話には続きがあった。
「は?」
私は思わず、聞き返す。「私の聞き間違いじゃないかな? 私の命が危ないって・・・」
「言葉通りの意味なんです。今、智弘を行かせてますので!」
陽子の切羽詰まった声。
はて。最近、耳が遠くなったかと心配していたから、青天の霹靂はなんとやら。
智弘がきたところで何が好転するのだ?
「よりにもよって、ゴンザレスとダマスカスが・・・」
「?」
それは何者だ。
「エリザベスの執事で教育役で射撃の名手で・・・ああ、言ってる意味わかりませんよね?!」
確かにわからない。
支離滅裂もいいところだ。
「とりあえず、窓という窓にはちかづかないでください!」
?
瞬間、会議をしていた公民館の窓が音を立てて割れた。
流石に、背中に冷や汗が流れた。
「それから、マドラスを振りながら近づいてくる変質者にも気をつけて!」
言われてみたら、かすかに遠くで、サンバの音楽が流れている気もするが。ああ、そう思っていたら、タコの着ぐるみを着た影がいるような。
役員全員が私にドン引き。
直感が告げる。これは猶予を許さない。
「わ、わかった。陽子さんの言う通りにする。私はどうしたらいいんだ?」
「今すぐ、エリザベスのワイフォンをOFFにしてください! それしか打つ手がないんですっ!」
「あいにく今、私と嬢ちゃんは別行動なんだ。今頃、自宅で早苗と過ごしていると思うが」
沈黙があった。
「あああっ!今度はお義母さんがっ!」
会議を私は中座した。
どういう経過でそうなったのかがわからないが、どうやら、2人の不審者が私たちを追っているらしい。
なぜ? 思った私は試しに早苗に電話をかけてみる。
「はい。どうしたの、あなた?」
聞こえる声はいたって平穏だ。どうやら、あっちはまだ無事らしい。
「実は陽子さんから連絡があったんだ。ゴンザレスとダマスカスとやらが私たちを狙っているんだとか」
携帯電話の向こう側で、エリザベスが反応した。
「何、リリアン・・・え?」
少し電話の向こうでやりとりがあったらしい。
次に私のズボンのポケットから、緊急音が鳴る。
あ・・・。
私は事情を把握した。そこにあったのは、朝、畑に行った時に嬢ちゃんから預かったスマホ。そういえば、返すのを忘れていた。
スマホを取る。
「やっぱりっ!そのGPSをたどって、ゴンザレスたちが追ってきているんですっ! 早く電源を切って!センセイ!」
早苗の携帯電話からかけたらしい。
あいにくだが、私はスマホを扱ったことがない。
そう。つまり、操作がほとんどわからない。
こういうことなら、さぼらず、スマートフォンをまじめに覚えるんだった。
打つ手がない。
慌てて、公民館に停めていた車のエンジンをかける。
車の窓ガラスに穴がふたつ開いた。
一気にスターターでエンジンをかけ、急発進。
これまで約70年。
私は日の当たる場所で生きてきた。
正直に言おう。
命を狙われたのは初めてだった。
ハリのある人生どころか。こんな日常に智弘は生きているのだろうか?あの鈍臭い男が、この窮地を娘と妻を守りながら、危険な日々を生きていると言うのか。
信じられん。
信じられんが、今置かれた状況は、紛れもない事実だ。
後ろの軽トラの荷台にライフルを構えた銀髪の英国紳士。
運転席に座るのは、ブラジル風のサングラス男。
弾丸が飛ぶ、ガラスは割れる。
ばすん。
タイヤに弾丸が当たったか。車が大きく傾いた、ハンドルが取られ、車は電信柱に向かう。
ぶつかるっ!
気を失う直前に。
私は息子がかけつけるのを見たような気がした。
4.窓辺には黄色いバラ
「つまり、嬢ちゃんの身柄は絶えず護衛の執事に守られていたのか」
「はい。つい楽しくて忘れてました」
ここは病院のベッド。
私の傍で器用にりんごをむくのは、若干5歳のエリザベス。智弘、陽子、早苗の3人は今、交通事故の処理で警察署に出向いている。
車は大破。
公民館の窓ガラス3枚が破損。
折れた電信柱。
ゴンザレスとダマスカスは留置所行き。この国籍がない上に時間旅行者という事情も相まって、実質的には国外追放となる予定。
私の方はと言うと、事故による頚椎捻挫とヘルニア損傷、そして全身打撲。医者の判断では全治1ヶ月になるとの話。
「HANAにアクセスすれば、その傷も簡単に治せるんですけど」
費用はこの子の実の母親がすべて負担するらしい。かなりの額になるそうだが、それは最後まで聞かなかった。
「いいんだ。これはこれで面白い父の日になったものだよ」
私は呑気な姿を装う。
見れば、窓辺に置かれたフラワーアレンジメントは息子からか。
「ありがとうございました」
エリザベスがしおらしい。
今の私は気づいている。
「どうして、ごめんなさい、じゃないのかな?」
エリザベスが口を尖らせる。「センセイずるいわ。数々の大発明をこなしたヒナ母さんでさえ、私を謝らせるのは難しいのに」
まじまじと顔を見る。
あか抜けた表情だ。
彼女にとっても、この数日は実りあるものになってくれたのだろうか。
「いいの?シゲちゃん」
息子夫婦とともに去る少女を、早苗が病室の窓から眺めていた。
「リリアンは賢い孫娘よ。一緒に暮らしたいって正直に言えば伝わるのに」
「冗談だろ。これ以上、智弘の尻拭いなどまっぴらだ」
ふふん。と鼻でせせら笑う。私らしくないとも思ったが、精一杯の強がりだった。
「息子は結婚する時に、家族を守ると誓ったんだ。男の決心をそう簡単に覆していいものか」
「本当に不器用な親子だわ。チャンスをくれたリリアンにはきちんと感謝するのよ」
私はもう一度、窓辺のアレンジメントを眺める。初夏に贈る花束は瞬く間にダメになる。それなのに息子は父の日がくるたびに、決まって私にこの花束を押し付けてきた。それが今、アレンジメントに変わっただけだ。
この花束の花言葉。
「尊敬と敬意」
多少の傷と忘れられない思い出、そして最後の教え子。これがアイツなりの精一杯の感謝の表れなのだろう。
そんな初夏のひと時。
窓辺の黄色いバラは、私に新たなぬくもりをくれていたのだった。
(了)