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【小説】 星降る夜と気になるアイツ 後編


第4話 弱点

「トーヤが本当に好きなのはママよ。どうして気づかなかったの?」

エリザベスが呆れたように、ため息をつく。

ここは翌日の病室。
あの後、王子のお姫様抱っこでベッドにあたしは連れられた。
少し怖かった。なんかされるかもって思うと、言葉もでなかった。
でも、王子様はそこは王子様らしく。無言で彼は部屋を出た。

気になる人が、あたしだって?考えもしないじゃない。

「まぁ、私は救われたけど。なんの解決にもならないよね。それ」

そりゃそうだ。

「おじさんに話して、面会制限をかけるしか・・・」

「それ無理。トーヤも親戚だから」

「あ」

そうだ。未来において、トーヤとエリザベスは親戚だって言ってた。
エリザベスはあたしの娘。トーヤは誰の子供なんだ?

「あたしと結婚できるけど、ママとは法律が許さない人間関係よ。時間干渉になるから、あとは教えられないわ」

彼女の言うとおり、タイムトラベラーは、過去の事象に影響を与えることをやってはいけないことになっている。

疑問は晴れないけど、あたしたちはその日のレッスンに入った。


レッスンが終わっても、病室にトーヤは来なかった。
ターゲットがあたしに変わったから、あたしがこの場から逃げられないから、安心して来ないのだ。

「よかった。これから安心して、アパートに帰れそう」

エリザベスがのびのびと背を伸ばす。

「ひとつ教えて。あの王子様の苦手なものってないの?身の安全のために知っておきたい」

「王子様?」

「あ、ごめん。トーヤ・・・くんの弱点よ」

トーヤくん、と口にしてみて、思わず赤面するあたし。

「弱点? 一応、知っているけど、参考になるかな?」

エリザベスが頭をかしげる。
ぜひ、教えてほしい。何せ、あたしはこの病院から逃げられないのだ。

「苦手なのは女性の家族よ。確か、トーヤには姉がいてね」

「そのお姉さんはどこにいるの?」

 いざ、頼れるものなら頼りたい。

「40年後のトーキョーね。売れっ子女優で、今、2人の子供がいるわ」

ああ、この時代も距離も離れた、僻地にいきなりお呼びすることは不可能かも。

「でも、連絡くらいは・・とりたいわ」

「電話番号とIDは知っているから、このスマホを使えば・・・」

といいかけて、エリザベスは首を振る。
あたしに目を向けて、思案する。

「ひとつ確認してもいいかな?この病室に『電化製品』の持ち込みはできる?」

「できると思うけど」とあたしの即答。

 ・・・。
 エリザベスがにやりと悪魔の笑みを浮かべた。



「ヒナ博士。お久しぶりのはじめまして、です」

ウォン、と挨拶して、目の前の犬がしゃべった。

「電化製品よ」

エリザベスは断言する。「彼の名前はスクランブル。ママに貸したげる」

ウォン。とスクランブル。

「あたし、この犬とは初めて会うんだけど・・・」

「ママが開発したんじゃない。忘れたの?」

ウォン。合わせてスクランブルが吠える。「それから、この子はニホンオオカミよ」

あー。細かい。
それにしても、未来のあたし。タイムマシンに量子コンピューターにデジタルペットって、あまりに開発に節操がなさすぎる。14歳のあたしは、将来どの分野を目指せばいいのさ。

「あれ?確か、ママって。自分で学校法人を作ったんじゃなかったけ?・・・あ、違った。理事は務めたけど、理事長じゃなかったか」

頭をひねるエリザベス。
うん。もういいわ。チートすぎる未来の自分は何の参考にもならないから。
でも。確かに。とあたしは話をふりかえる。
護衛がいれば、、、トーヤくん撃退に手を貸してくれるかもしれない。


エリザベスが去った後。あたしはおじさんにスクランブルの許可をとった。
かなり難しい顔をされて、いったん明日の引き継ぎで、職員会議が行われることになった。
したがって、結局あたしは今夜もひとり、病室のベッドに過ごす。

うとうとしていた時だった。
風を感じて、あたしはまぶたをあげた。

「ヒナ様」

ベッドのそばに王子がひざまづいていた。
ああ、やっぱり。この隙をついてきたか。
怖いと装っていた、あたしの心のどこかで希望が灯った。

頬が紅潮する。

「未来のあなたは、病弱なボクをよく見舞ってくれたものです」

未来の過去の話を、憂いのある顔で嬉しそうにトーヤは話す。

あたし、ほんとは怖いんだけど。というか、嫌なポーズをしていたんだけど。それを裏切るように、その時のあたしの口元は、彼に微笑みを返していた。動けないこの入院を嬉しいと思ったし、逃げられないという言い訳ができるこの環境を喜んでいるあたしがいた。

「よかったら、また外を散歩しませんか? 今夜もいい夜です」

「・・・うん」

あたしは王子の申し出にゆっくりうなづいた。

なんだろう。どきどきが止まらない。
エリザベスの助言ももっともだと思うし、王子様も素敵だし。
理性ではわかるよ。わかるんだけど。
間違いなくあたしの心は、彼に会えたことで弾んでいるんだ。
頭の端が警鐘を鳴らしているけど。
不安をエリザベスにはぶつけていたけど。
今のあたしは、、、あたしの体や心は、あたしの思う通りに動いてくれない。
泡のように次々と言い訳を浮かぶ。
あたし、本当はトーヤから逃げちゃだめなんじゃない?
だって、あたしをおいかけろって言ったのは、あたし自身なんだよ?!

逃げちゃダメ。きちんと責任、、、とらなきゃ。

「トーヤくんは、どうしてあたしのことが好きなの?」

あたしは車椅子を押してくれるトーヤに尋ねる。

「あなたなら初恋の相手を自分で選べますか?」

選べないな。皮肉にも、この今の状況をあたしは自分で選んだわけじゃない。

「ボクの初恋がヒナ様ですよ。やさしくて綺麗で、賢くて、まるで聖母のようだ」

「やだな。聖母なんて」

恋人がいい。とつづけそうになって、口をつぐむ。
うれしかった。こんなあたしを選んでくれる人がいた。
しかも王子様。
これを否定する必要があるだろうか。

「小さいころから、ヒナ様は自分の仕事でいそがしいはずなのに、ボクをお風呂に入れてくれました。父、母が仕事している間の遊び相手もヒナ様でした」

ああ、わかる。あたしにもそんな存在がいた。今頃どうしているだろうな、陽子おばちゃん。

ふっと、意識が戻る。

陽子おばちゃん。

結婚してから、おばちゃんはあたしと遊べなくなった。かけがえのない存在を失ったあたしは、家で泣きはらしたのを思い出す。
ああそうか。それが悲しかったから、未来のあたしはトーヤにそう接したんだろうな。
理解できてしまう未来の後悔。

それを振り返った時、確かめなくてはいけないことがあった。


「そこまでよ!」

中庭に待ち構えていた2人の少女があたしを指差した。

2人の少女は、スクーターに二人乗りで、フルフェイスのヘルメットを被っている。
体格が大人な女性と小柄な女の子。

それを見た王子様の顔が曇った。
彼女たちのスクーターのライトがあたしを照らす。

「やっぱり、きたわね。変態誘惑魔!」

楽しそうに弾む声で大人な少女がヘルメットを脱ぐ。
エリザベスだ。

「おねえ!パパとママに話しちゃうぞ!」

え? もう一人は妹のまりん?
あまりにお似合いの凸凹コンビ。それにしてもなんで?!この2人が?

「おおっ!」

その2人に、王子様が青ざめている。どうしたんだろう?

「申し訳ありません! お母さま!」

信じられない言葉が王子の口から、悲鳴のように響き渡った。そして、こともあろうか、王子様が土下座したのだ。

「・・・え?」

あたしは唖然として、後ろを振り返る。
王子が怯えている。なにを恐れているんだろう?

「申し訳ありません!出直して参ります!」

あたしを置いて、脱兎のごとく王子様が逃げる。あっという間に、闇に溶け込んでいく彼。

「どういうこと? それに『お母さま』って?」


「トーヤは、まりんおばさんの息子よ。言ったでしょ。女性の家族に頭が上がらないのよね」

「よね」

エリザベスとマリンが勝ち誇ったように、あたしにVサインを繰り出したのだった。


第5話 自分らしい生き方

「とうさん!やめて!絶対、やだあ!」

あたしは泣き叫んだ。

「だめだ。男と夜な夜な密会しているなんて」

憲一父さんがあたしの車椅子を車に乗せる。あたしはなすがまま、涙を流して駄々をこねるだけ。


翌朝、事情を知った両親は、あたしをおじさんの病院から強制的に退院させた。
今のあたしは、トモエおばあちゃんの家で、鍵のかかった軟禁状態。


「ママ、拗ねてるの?」

その夜、そう言って、エリザベスがあたしの部屋に遊びにきた。

「・・・当たり前よ!」

あたしは自分の部屋で泣き叫ぶ。

「何が当たり前なの?嫌がっていたから助けてあげたのに」

エリザベスの言葉に絶句する。
彼女は真相に気がついている。あたしが、王子を好きなこと。そして、もしかすると両思いかもしれないこと。
フツーにあたしが、ライバルのひとりでもある、元カノに事実を打ち明けられようはずがない。

「・・・はい」

エリザベスは気がつかないふりをして、保冷バッグの中のお菓子を手渡す。
あ、病院に置いてきたシャトレーゼのフルーツゼリーだ。

「陽子おばちゃんが持って行けって言ってたから」

 え? あたしは、流す涙もそのままに、顔を上げた。

「今、いるの?おばちゃんが」

あたしは涙のあともそのままに、あっけに取られてエリザベスを見る。「おばちゃんが来てくれているの?」

「たまたま、だけどね」

エリザベスが答える。「描いた絵が、象印の全国コンペで入選したんだって。トモエおばあちゃんのところに報告に来たらしいわ」

数えてみても、何年ぶりだろう。陽子おばちゃん。もちろん会いたい。会って話したい。
あたしはコックリとうなずく。

「わかった。呼んでくる。・・・その前に、顔ひどいわよ。鼻くらい噛んでおくのよ?」


陽子おばちゃんは、今、イラストレーターの仕事をしていると聞いている。

小さい頃から、誕生日のたびに、愛情たっぷりのお祝いの手紙が届くのを、密かにあたしは楽しみにしていた。なかなか返事は書けないけど、あたしは、おばちゃんを心から尊敬していた。

その時。

トーヤくんでいっぱいだった気持ちの矛先が、おばちゃんに向いて、ほんのちょっぴり軽くなったんだ。

「大きくなったわね。ヒナちゃん」

部屋に入ってきた、おばちゃんは変わらなかった。

あたしは幼少期、おばちゃんとよく遊んだものだ。おばちゃんは紙芝居をするように、目の前のメモ紙にボールペンの一筆書きをしてくれた。描かれたウサギにいろんな亀が現れて、一緒にかけっこをしたり。なぜか、亀の方が早くて、ウサギがスクーターに乗ったり。負けずに亀が空を飛んで、と奇想天外なお絵描きをしてくれて、あたしその描かれたメモ用紙を捨てられなくて。あたしも描きたくなって、一緒に絵を描いて。

ああ、あの時のおばちゃんだ。
今でこそ思う。
あたしの美術への関心は、この陽子おばちゃんがくれたんだ。

「大丈夫?事情はざっくりとは聞いたけど」

おばちゃんとフルーツゼリーを口に運びながら、あたしは事情を打ち明けた。


トーヤくんが、本当は未来のあたしのことが好きで。
追いかけられなくて、エリザベスを見つけてこの時代に来て。
あたしもトーヤくんを好きになっていて。でも、トーヤくんは妹の息子だったりして。
正直、すべてを子供の妄想だって断言すれば終わってしまうけど、おばちゃんはそれを傾聴してくれて。何も言わず、あたしは言葉を吐き出し切って。

「・・・信じてくれる?」

恐る恐る見たおばちゃんの顔は、真っ直ぐあたしの瞳を見つめていた。

「そうかぁ」

おばちゃんがうなづく。「うん。確かにいい初恋ね」

え・・・? いい恋・・・ですって? こんな間違いだらけの恋愛が?
あたしは、まじまじとみる。

おばちゃんが爽やかに微笑む。

「うそ・・・そんなわけない」

「本当にそう思ってる?」

わからない。そんなこと言われたって。

「失敗したらやり直せばいいじゃない。無難なサクセスストーリーより、間違いだらけの情熱を生き延びる。そっちの方が素敵だわ」

おばちゃんが、あたしの枕元のタブレットとペンを差し出す。

「はい。ヒナちゃん」

あたしは恐る恐る手を伸ばす。

「思いは絵にぶつけてごらん。絵に問うの。なぜ、なぜって、キャンバスにペンで殴りかかるの」


おばちゃんの言っている言葉の3割も、あたしは理解できなかった。
学校でも教えてくれない、難しい難問中の難問だ。
でも、あたしの直感は告げる。
その先に、たどり着けるきちんとしたゴールがある事を。
きっと、それがあたしの・・・これからの自分の生き方だ。

「ありがとう。陽子おばちゃん」

涙が流れた。悲しみの涙ではなかった。
そこに答えはない。あるのは解き方。
何度も何度もあたしはその言葉を、繰り返し反芻し続けたのだった。


第6話 夕暮れのデート

足の骨折が完治したその3ヶ月後。
あたしは、いま、街中にある陽子おばちゃんのアトリエに来ている。

「え?コンペに挑戦するの?すごいなぁ」
あたしの報告に、智弘おじさんが目を丸くした。なんというか、この伯父。苦手なんだよな。

「ちょうど、プリンが冷えているんだ。食べてくかい?」

「あの・・・」

「あら、いらっしゃい」

戸惑う、その時、アトリエの奥から声がして、陽子おばちゃんが出てきた。
あ、本当にプリンのスプーンをくわえてる。

「じゃあ、お邪魔します」

通されたアトリエの中はアットホームなつくりになっていた。
吹き抜けの作業室には、簡単なキッチンと水回り。別室には簡単なシングルベッドが置かれている。なんでも、仕事の依頼が来るたびにおばちゃんはアトリエに籠るんだそうだ。

ちゃっかり、スクランブルもプリンを食べている。
あたしは、アトリエのはしに置かれている小さな椅子に腰掛けた。

どん、とテープルに置かれる山盛りのプリンアラモード。
年頃の女の子の目の前に、、、、これはもはや暴力だ。

「元気してた?」

「はい。おばさんは?」

「んー。少し寝てないこと以外は、問題ないかな」

最近、仕事も軌道に乗ってきたと聞いている。今も依頼が立て込んでいるのだろう。

「エリザベスは?連絡があったときは一緒だと思ってたけど」

「彼女には、ちょっとお願いごとをしてて」

あたしは笑顔で明るくふるまう。

「・・・そうかぁ」

と、プリンのスプーンを置いたおばさんは、アトリエのはしっこに立てかけた油絵のキャンパスを持ち出した。包み紙に覆われているが何かが描かれているようだ。

「はい。だいぶ遅れてしまったけど、誕生日プレゼント」

「?」

「家に帰ったら、開けてみて。今のあなたなら、理解できるんじゃないかな?」


あれから、トーヤくんはあたしの前に現れていない。

月日がたってみて、あたしは探るように考えた。感情に流されず、建前も傍において、直感だけで手繰り寄せる。


昨晩。

あたしの決心を聞いた時、エリザベスはあたしの顔を覗き込んだ。

「本当にそれでいいの?ママ?」

こくり、と、あたしはうなづく。

「後悔するわよ?」

あたしはタブレットをきゅっと抱きしめる。
エリザベスがため息をついた。「まったく・・・。ママらしいというか」

「これが人生において記念すべき初恋よ。後悔なら後でするわ」


あたしは絵を抱きしめたその足で、あたしは駅に向かった。
陽子おばちゃんのアトリエから、電車で2駅。さらに乗り継いで、バスで30分。
あたしは、おじさんの病院に来た。
3ヶ月前、王子が通ってきたあの病院だ。
約束どおり、そこには2人の男女が待っていた。

「ヒナ様!」「ママ!」

ひとりはトーヤくん。もう一人はエリザベス。

「ボクを探しているって、エリザベスから聞いたから」

トーヤくんがこたえる。
うん。18歳になっても、ボクだなんて。なんて、かわいい王子なのだ。
と、冷静になった私は思う。

「あのね、トーヤくん。今日、あたしとデートしてくれないかな?」

「え?」

完全に意表をつかれた王子様。
エリザベスは、もじもじと王子とあたしを見る。

「絶対ついてきたらダメよ。エリザベス」

あたしは彼女に念を押し、トーヤくんの腕をとった。「行きましょ、トーヤくん」


「どこに行くんですか? ヒナ様?」

トーヤくんが、あたしに引っ張られる。

「きょう1日は、対等に呼んで」

「え?」

「今のあたしは、ただの14歳の女の子よ。絶対におばさんとは思わないで」

「わかりました、、、ヒナさん」おそるおそるこたえる王子。

「そうよ、その調子」

駅で電車を待つこと5分。
のぼりの電車がプラットフォームにやってきた。
目指す行き先は、隣町の美術館。
あたしとトーヤくんは、無言で電車に乗り込んだ。

「あのね。あれからしばらく考えたの。スマホ・・・もってきてる?」

「はい。持ってます」

「じゃあ」

メッセンジャーアプリに添付した、とあるデータを送信する。

「あたしのことを好きだと言ってくれたお礼よ。ありがとうね」

そのイラストは、トーヤくんの肖像画。

「だから、目の前のあたしは恋人だと思って」

トーヤくんの顔が驚きから喜びに変わった。

「本当に?!」

「うん」

あたしはにこやかにうなづく。「だって今のあたしは、1人の男性が好きな、ただの14才の中学生よ」


美術館から始まって、映画館で映画を見て、カフェに行って。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。

「トーヤくんの夢って何?」

カフェで今時のパフェを食べながら、あたしはなんとなく聞いてみる。

「世界をまたにかけるアーティストになりたいです」

目をキラキラさせるトーヤくん。「たくさんの歌でみんなの人生を応援したいんです。励まして勇気づけたいんです。みんなの人生に花を添えたいんです」

その答えはまるでまぶしい少年のようだ、とあたしは思った。

「未来のヒナ様がボクの歌を褒めてくれて、それが嬉しくて」

「なるほど、それも、あたしの言葉だったんだね」

あたしはうなづく。

「あたしの夢は、今を精一杯積み上げることよ」

「・・・」

王子が意外そうな顔をする。


「そりゃあ、あたしは将来、すごい発明家になるのかもしれない。数々の発明で、世界を変えてしまうのかもしれない。でも、あたしはゴールに興味はない。大事なのはプロセスだと思っている。必然から生まれる今日という日の積み重ねに、あたしは後悔なく生きていきたい」

あたしたちは町外れの夕暮れを歩く。
たくさんの話をした。
恋の話も将来の夢も、なぜお互いがお互いに興味を持っているのかも。
あたしはふと足を止めた。

立ち止まったそこは、夕日が染める河川公園。
繋いだ手をそこで外す。

「ちょっと、目閉じてくれる?」

「・・・はい」

あたしたちは向き直る。夕陽が地平線に沈んでいく。
あたしはトーヤくんの頬に手を当てた。

そっと唇を彼の頬に寄せる。


「トーヤくん。バイバイ」

あたしは用意していた言葉を、決意を込めてささやいた。


夕日が落ち切った公園の片隅にひとり。
トーヤくんが、ただ立ち尽くすのが見えた。


さようなら、トーヤくん。

さようなら、あたしの初恋。

さようなら、こどものあたし。



あたしはひとり、帰りの電車で泣き腫らした。


エピローグ

さて、ここは小野家のあたしの部屋。
目の前のエリザベスがいつものように数学のレッスンをしている。

結局、あたしは塾をやめて家庭教師一本に絞ったのだ。
なんでって?
テストよりももっと面白いものを見つけてしまったから。

「完全に大学レベルクリアしちゃったわね。今更、高校受験なんて意味ないんじゃない?」

「高校は行かない」

あたしは断言する。「最初の一年で大検とって、できた3年間でじっくり絵を描こうと思うんだ」

「可能だと思うけど、それは家族が許さないわよ?」

「無理なのはわかってる。でも、説得はするつもり。もともと日本で描こうとは思っていないし」

「・・・そんなところもママらしいというかなんというか」

エリザベスがため息をつく。「まぁ、私も似たような人生送っているから、大きなことは言えないか」

あ、そういえば、今更だが。
期末の追試は、5教科を平均95点以上でクリアした。学年でトップの成績だったとか。

1分1秒がもったいない今。だらだら勉強してた時とはやる気の度合いが桁違いだ。集中力が変われば、ケアレスミスは自然となくなっていく。

「そういえば」

とあたしはニヤニヤ顔でエリザベスを見る。「あなたたち、また付き合いだしたんですって?」

ぎくっ。エリザベスの額に冷や汗が流れる。

「ママ、、、どうしてそれを知ってんの?」

「トーヤくんが逐一、恋の経過をラインしてくるのよ。あたしからは一切、返事を返していないけど」

「うー。あの男も懲りないというか・・・」

エリザベスが、あたしをみる。

「ママ、ひとつ聞いていい?」

「ん?」

「どーして、振ったのよ?せっかく恋愛が成就したのに。あれからのトーヤの落ち込み具合半端なかったんだぞ」

コツンと、あたしをこづくエリザベス。

「ん。それは、お互いが追っかけていたのが、すれ違いの幻想だって気づけたから。彼は未来に恋していたし、私は今しか見てなかった。もう一つ理由があるとしたら、あたしも初恋だったということ。間違いだと知っていても、情熱に満たされる時間は必要だったの」

先日、陽子おばちゃんのくれた絵が、あたしの部屋に飾ってある。

生まれたての赤ん坊の絵。

解釈はいくらでもできるのかもしれないけど、それはきっとあたしの姿。
陽子おばちゃんから見れば、まだまだ子供のあたしなんだ。

「さて、今日は何の課題なの?」

後悔しないように生きるために、あたしは今夜もエリザベスのレッスンを催促するのだった。


<了>

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