【小説】撮影をお願いできますか?
その1 神坂あやのの場合
人生の意味なんて、全て後付けだ。
いろんなことをやって、時に諦めて後悔して、たまたまうまくいって喜んで。全てに意味はないながら、そこに理由をごじつけて、勝手に自分で納得する。
私、神坂あやのは、今までをそうやって生きてきた。そして、これからも身勝手に生きがいを感じて生きていくのだろう。
ブラインドからのぞく穏やかな朝日がやけにまぶしい。眠たい目をこすりながら朝食の準備に立ち上がる。
薄切りしてカリカリに焼き上げたバケットとベーコンエッグ。ちょっとしたサラダとボイルドウインナー。そして、のどがひりつくほど苦いエスプレッソ。新聞の電子版を眺めながら、イヤホンでアップテンポのシャンソンを流す。穏やかな調べに、自然に体がほぐれていく。
私は、会社に近い住宅地のマンションに住んでいる、通勤の負担は比較的軽い。その分、家賃は少し高めで、ワンルーム。それでも食べて寝るだけの部屋だから、不満はない。それどころか、全てが手に届く場所にある今の生活はむしろ気楽ですらある。
私は、フォトグラファーだ。昔でいうカメラマンといえば、聞こえはいい。お店に専属で勤めている正社員なので、撮影以外にも写真の現像やレジ打ちも兼任するのだが、それでも半分、趣味が入った職場は願ってもない好条件だった。
最近は、スマートフォンの解像度が飛躍的に向上した。カメラ業界の主流は、カメラからスマホにかわっている。当然、この店でも意識改革が起こった。簡単な印刷はお店の端末で済ませるので、お年寄りや初心者のサポートをすることもほどほどある。
かつては建設現場の現像が仕事の大半だった客層がデジタル化の煽りを喰らった。そもそも最近は印刷自体をしないのだ。「現像」という単語が死語になる日は遠くない。
だからこそ、今のこのお店の強みは撮影スタジオの運営だ。
スタジオはいくつかある。結婚式、子供の誕生、七五三、、、果てはお葬式まで、対応する。生活全般を紙、ないしデータに残したいと願う客層は今も昔も変わらない。
その2 撮影をお願いできますか?
「撮影をお願いできますか?」
その日、やってきたその2人組は結婚式を迎えるのだそうだ。それにさしあたって記録を残したいのだという話だった。
違和感があった。
通常、結婚式の撮影は、ブライダル企業が仲介に入る。
「実は、、、」
とそのカップルの彼が語った。「僕たち、結婚式は写真だけにしようと思っているんです」
なるほどね。写真だけの結婚式か。しかし、その次に爆弾発言が待っていた。
「それについてお願いがありまして」
◆
「え? 2人ともウエディングドレス?」
私の報告に、店長の目が点になった。
「まいった。始めてのケースだ。最近はそういうのが流行なのかなぁ」
具体的に私たちを悩ませているのは、ウエディングドレスにかかる費用と撮影技術についてである。
このスタジオにあるウエディングドレスはお店が購入したものではなく、レンタル企業から借り受けたものだ。
プライベートの経験で知る、ウエディングドレスのレンタル料は一概に高価だ。一方で、男性のタキシードのバリエーションは驚くほど少ないし安い。男女二人でセットだったから、金額についてはかなりの修正が必要だ。
「まあ、それは先方に追加料金を求めればいいんだろうけど」
そこで店長が私の肩に手を置く。「あやのちゃん、2人のウエディングドレスをダブルキャストにした場合の構図って想像できる?」
裾が広がるドレスは場所を取る。当然、出来上がる絵は窮屈なものになりかねない。
とりあえず、そのカップルの撮影日は抑えてある。
詳しいことは追って詰める。
さあ、3ヶ月後本番までに、私はできることをしなければ。
その3 飲み友達の鳴門くん
「あやのも、相変わらず大変だな」
その夜、元旦那の鳴門くんを相手に、私はくだをまいていた。ピザ屋【ひきがえる】のテーブル席で、運ばれたマルゲリータを親の仇とばかりビザカッターを押し付ける。
「白のプリカッツを追加!」
と、一言注文をお願いする。
「ほどほどにしなよ。若くないんだから」とは鳴門くん。
現在、私たちはお互いに婚姻していない。5年前、お互いの納得で卒婚した。
結婚生活は最悪だった。
残念ながら、私たち二人は戸籍を入れる現在の結婚制度に合わなかった。
職種のちがう私たちは生活時間がくい違いすぎていたし、おまけに子供を授かる能力も恵まれなかった。互いに若い頃のヤンチャが過ぎて、無精子状態になっていたのだ。
事実を知った時、孫を期待した親族は冷ややかだった。
だからこそ、死んでも義父母の姓など名乗りたくなかったし、きっと鳴門くんも同じ気持ちだったのだろう。
当然、離婚届に印鑑を押すことに躊躇いはなかった。
それでも、こうして今も顔を合わせるのは、お互いの居心地がいいからだ。そして、こうして私の困った時には、必ず彼は助け舟を出してくれるのだ。
◆
「提案があるんだ」と鳴門くんが口火を切った。
「今度、会ってみるかい? そっちの世界の人」
唐突な提案だった。
確かに鳴門くんは新聞記者だ。だからこその人脈がある。
日頃は記者室で張り付いていることも多く、暇はないに等しい。今だって、無理に貴重な時間を割いてくれている。
「もちろん、無理は言わない。これは僕の個人的な誘いだよ」
近くLGBTの当事者の会合が開かれるのだそうで。会社には「取材」という形をとる予定だった。つまり、公式的に時間を作れる、と。
とっかかりになるだろうか。正直、私は半信半疑だった。
その4 当事集会
約束の土曜日は、あっというまに来た。
服装は砕けたカジュアルで、と鳴門くんとは打ち合わせた。
鳴門くんはフォーマルで行くけど、ネクタイはなし。ただ、記者の腕章と名札は離せない、と話していた。
ここに来るまで、つまらない考えが頭をよぎった。
今、そんな人たちの集会に出かけたら、私も同類に見られるんじゃないかな?とか。同性の人に言い寄られたらどうしよう、とか。
意外なことに、その集会は街のど真ん中、ご洒落た後パブで開かれる。
当然、多少はお酒が入る。ちょっと、今回は我慢しようかな。
「今回は、取材を受けていただきありがとうございます」
鳴門くんが名刺を出しながら、挨拶する。私もそれに釣られてお辞儀する。「こちらは私のダディです」
おいおい、ダディってなんだよ。元妻だろう。私の立場は。
「あら、可愛い彼女ね。楽しんでいってね」
答えた人を見て、びっくりした。私の目から見ても、気を引くようなキュートな美人だった。その人は、伊良部さんと言った。この会合の責任者だとか。
部屋の中は賑わっていた。
いろんな人がいる。男性、女性、一見して性別は普通に見えた。
和やかで、笑顔で。何より、みんなが生き生きしていた。何かの楔から開放された顔だ。
日頃の私に似合わない、と苦笑した。
「あなたのパートナーはいい人ね」伊良部さんが、私に笑顔で話しかける。「どう?」
勧められたジントニックを、言われるままに手に取る。
「あなたは女性なんですか?」
「うふふ。こだわるのねえ。これでも、れっきとした女性よ」
笑顔で答える。「誰もが最初は面食らうの。見た目性別が違う人だけの集まりだと信じ込むみたい」
唖然とした。どう言うこと?
「この集会は、性にこだわらない人の集会なの。もちろん、見かけ通りもそうでない人もいるわ」
ああ、それはネットと電子書籍で少しだけかじった。パン・セクシャルというやつだ。
「つまり、性別に囚われず、人が好きな集会よ。私たちは性別で恋をしないんの」
鳴門くんが取材をすませるまで、時間が少しかかりそう。そうしていると、いつの間にか周囲に人が集まってくる。
「あたしは男だよー」おさげ髪のどこから見ても、キュートな女性が言う。「でも、同性の人を好きとかじゃなくて、可愛いスカートが履きたいだけよ」
「ボクは野球をやりたいって思ったんだっけ。ほら、日本っていまだに封建社会で、女子のプロ野球選手なんて聞かないだろ?」
細マッチョが彼(?)も見た目の性じゃないらしい。
頭が混乱した。私、どこか性誤認の問題を捉え間違えていたんじゃないか?
「・・・驚いた?えっと」
「あやのです」
「そうそう、あやのちゃん。みんな現実と感覚のひずみを感じているだけ」
うんうん。と周囲がうなづく。そりゃあ、思い通りに振る舞うのを躊躇う気持ちはわかる。だからこそ、この集会なのだろう。
「あれ?伊良部さん、少しカッコつけてる?いつもは可愛いものには目がないくせに?」
ギャハハと、みんなが笑う。
やっぱりセックスの問題も含んだ上での話ってことか。
あ。
ふと耳が熱くなった。
少し、鳴門くんを目で追う。ああ、良かった。気づかれていない。
思い切って、私は手元のジントニックを飲み干した。
キウイフルーツのジントニック。味わいは新鮮だ。
一期一会の、せっかくのこのチャンスは何かの肥やしになる、そう思った。
その5 撮影写真
3ヶ月後。
カメラを下ろした私は、二人の花嫁に微笑んだ。無事、撮影が終わったのだ。
「無理難題ですいません。撮っていただいて、ありがとうございました」
「いえいえ、今回は勉強になりました。データの確認をしたのち、納品になりますので、二週間後に当店においでください。お二人の門出を心よりお祈りしております」
「あやのちゃん、一体、どんな魔法を使ったの!?」
店長が、一眼レフから上がったデータを見るなり驚いた。「この2人、構図以上に笑顔が半端ないんだけど」
「何もしていませんよ。ただ、プロの仕事をしたまでです」
出来上がった100枚の写真。ここから、納品する13枚の写真をチョイスする。
店長が言う通り、笑顔が溢れた2人の写真。最初は、オドオドとしていたそのカップルも、対話の中で少しずつほぐれていったらしい。
撮影は3時間。じっくりじっくり、私は彼らとおしゃべりを楽しんだ。一枚ごとに緊張がはがれていく。そして、それは私にとっても、気持ちのいい時間だった。
彼らの笑顔はきっと、近く社会に色づくだろう。
私たちの歩み寄りは、案外、声を聞くことだけで良かったんだ。カメラを向けることだけで良かったんだ。
◆
「あのさ、なるくん」
「ん?」
その日のピザ屋【ひきがえる】で、鳴門くんと私は待ち合わせた。
「あのさ。色々、思うところがあって」
「なんだよ。急に結婚前の愛称なんて持ち出して」
ゴルゴンゾーラを食べようとした口で、鳴門くんが答える。
この後、仕事にすぐ会社に戻る。お酒はノーサンキューらしい。言うならここしかない。
「私、なるくんと一緒に暮らしたい」
「?」
「えっと、離婚した私たちだけど、また一緒に暮らせないかな?」
結婚とかじゃないの。財産も籍も子供も関係ないの。私は、ただ同じ居場所で二人ぼっちで違う夢を見たいだけ。あの二人の花嫁の写真を撮りながら、そんなことを感じたの。
「軽々しく答えは出せない。・・・でも善処はするよ」
「返事は早めにお願いね」
「もちろん」と笑った元夫の顔を、久しぶりに見た。
私はこのターニングポイントを忘れない。
花嫁たちの結婚に「ありがとう」を言える日が、もうすぐそこにきているんだから。