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「200字の書評」(304) 2021.10.10



お早うございます。

本日10月10日は本来体育の日でした。57年前のこの日は東京オリンピック開会式でした。戦後復興と国際社会への存在感を示す絶好の機会として、国民は好感を持って迎えました。数年前の皇太子(現上皇夫妻)結婚を機に普及したテレビを見て、一喜一憂していたのです。それを記念して設定されたのでした。今回の五輪とは全く別な雰囲気でした。当時私は高校3年生、受験を控えてそれほどの熱狂はありませんでしたが、女子バレーボールの優勝とか体操の健闘などは覚えています。

言いたいのは五輪ではなく、国民の祝日などはその日に意味があるということです。人気取りのためのハッピーマンデー法により、いくつかの祝日が月曜日に移され意義がわからなくなっています。成人の日、海の日などはその例です。成人の日は古来元服の儀に当たり、海の日は明治天皇が東北地方を船で巡航し帰還した日に由来すると言われています。他の祝日にもそれぞれいわれがあります。伝統とか連綿と続く歴史とか声高に語りながら、明治天皇の事績さえ移動させてしまうご都合主義には首をかしげてしまいます。

さて、今回の書評は石橋湛山という稀有な政治家の評伝です。昨今の品性を失った政治屋とは趣を異にしています。著者がまた魅力的です。




保阪正康「石橋湛山の65日」東洋経済新報社 2021年

歴史にifは無いが石橋湛山が病魔に倒れなければ、違う日本が存在していたかもしれない。戦前は軍部に抗して小日本主義を唱え、戦後はGHQの専横には正論を主張し、公職追放の憂き目に遭う。昭和31年に岸信介を抑えて首相に就任し、対米自立を掲げるも65日で退陣する。自由主義者であり、僧籍を持ち優れた教育者でもあった。昭和史研究者である著者の筆には、湛山への哀惜が滲んでいる。




【神無月雑感】


▼ 郷里からの便りには、時として悲しみが伴って届きます。親しかった友人知人との永の別れの辛さとともに、避けられない地方都市の衰退も伝えられます。往時には人口22万を数え、港には内航外航の貨物船が舳先を並べ、川筋の魚揚場は漁船が列をなし戦場のような活況を呈し、炭鉱にも勢いがありました。夜の歓楽街には派手なネオンが輝き料亭やキャバレーには人があふれ、こんなに人がいたのかと思うほどの酔客が闊歩していました。私もその一人だった時期がありました。それが今では人口17万人を切ったとか。立地していた王子製紙と日本製紙の工場の一角日本製紙(十条製紙)工場が閉鎖となり、人口減に拍車がかかりそうです。時の無常を感じつつ、あの日あの時を思い浮かべる今日この頃です。


▼ 先日のテレビで「親ガチャ」について論議していました。生まれた家庭によって自分の将来が決まってしまう。親は選べないとあきらめと、僻みが存在しているような実態があることが語られていた。格差社会へのいら立ちがあるのではないか。親の地位と年収により、進学先が決まってしまう。統計的に東大生の親の年収はかなり高い。この現象については、すでに少なからぬ研究者から警告されていた。教育社会学者の苅谷剛彦の著作には学習資本と表現され、階層による学力格差が将来に大きな影響を及ぼすとした。以前から実証的な研究を積み重ねている彼の著作をお薦めします。こうした格差の拡大が深刻化していく事態に対応するのが政治だと思うのだが。


▼ ノーベル物理学賞を真鍋叔郎氏が受賞した。気象学の分野からは初めてだそうです。大変嬉しいことです。まてよ、と天邪鬼は思うのです。日本人受賞者とメディアは報じていますが、彼は現在米国籍、以前の受賞者にも米国籍がいたはずです。二つ問題があります。①日本人という表現は正しいのか。日本出身の米国人というのが正確では?②優秀な研究者が国を離れて他国で成果を上げている。日本の研究環境が貧困だから頭脳流出が続く。学術会議問題に見られるように、学問への敬意と理解が驚くほど欠落しているのが我が国の政府です。国立大学の運営交付金を削り、若手研究者のポストは不足し任期付きになっている。これでは落ち着いて研究できるはずはありません。現実に大学院博士課程進学者は減少しています。目先の成果ではなく、基礎的な研究の積み重ねがノーベル賞にもつながるはず。日本すごい!を喧伝する前に、足元を固め分厚い研究体制を確立してもらいたいものです。




<今週の本棚>


今週の本棚は再読です。


内橋克人「もうひとつの日本は可能だ」光文社 2003年

テレビよりもラジオを好んで聴いている。ラジオから流れる経済の諸現象を解説する、彼の柔らかな語り口が好きだった。訃報には愕然とした。常に現場を訪ねて、汗を流し悩み、時には笑顔を見せる働く者から学ぼうとしていた。新自由主義には厳然とした態度を示し、弱き側庶民の側に視点を置いていた。反原発集会の呼びかけ人となり、壇上から語り掛けた姿を声を思い出す。失ったものは大きい、そこで本棚の本書を手に取った。読み直してみて、批判と同時に希望を語っていることを知った。


平川克美「復路の哲学」夜間飛行 2014年

平川克美「喪失の戦後史」東洋経済新報社 2016年

老いを感じています。ふと「老いるということの意味は、老いてみないとわからない」という一節を思い出しました。何かで読んだはずだが、と本棚を探ってみました。やはり平川でした。そんな訳で再度読んだのが、この2冊です。大田区の町工場の倅として生まれた、鉄の匂いを纏ったままの学究である。大学で教鞭をとる一方、喫茶店のオヤジでもある。去り行く昭和を思い起こさせます。




☆新聞切り抜き☆

文筆家の師岡カリーマ氏のエッセイです。

『自民党は変われない』と野党は批判する。変われないもなにも、総裁選中継で見たおじさんたちの顔には、変わらなければという意思も意識も感じられない。でもそれを責めることはできない。変わらなくても、ほぼずっと与党の座にあり続けることができたのだから。変わらない自民党は、ナメられた有権者の責任でもある。来る衆議院選挙、国民は変わるだろうか。

東京新聞 2021.10.21

そうですね。国民はナメられたままではいけません。主権者として投票によって悪政にノーをつきつけましょう。




長くなってしまいました。
天候不安定、コロナ禍の先行き見えずなど芳しくない状況に加えて、関東では地震に襲われました。ご無事でしたか。
どうぞ健康第一でお過ごしください。


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