子どもからの問い「いのちってどこ?」
先月の母の日に、おばあちゃんが天国に旅立った。101歳だった。
コロナ禍で、お坊さんが(県をまたいでいるからか?)来れないとかで、親族だけで、火葬だけしてもらうという質素なものだった。でも、おばあちゃんは生前に、「な〜んにもしていらん」っていっつも言ってたから、ほんとにそうなったなぁと家族で話していた。死に方も決めてくるっていうから、たぶんこうと決めてたのかな。
先日、四十九日法要が無事終わり、お墓に納められたおばあちゃん。よかったね。
さて、5歳の息子、物心ついて初めての"死"に出会う。出てくる質問の数々。
「天国ってどこにあるの?」
「どうやっていくの?」
「心臓ってどこ?」
「いのちってどこ?」
「終わるの?」
「ありも貝もいのち?」
「息子くんもいのち?」
小さなこころと身体とあたまの中で、色んなこと考えたんだろうね。
"終わりがあって、また始まりがあるんだよ"
って伝えたら、
「はじまりはない。はじまったってことだよ」
と言われた。
その真意はよくわからない。
だけれども、素朴な疑問を口に出して、
親といくつかのことばを交わして、
自分なりに咀嚼して、
人が死ぬとはどういうことか、
真正面から受け止めたんだろうね。
昨日、図書館でこんな絵本が目に飛び込んできた。
『イノチダモン』 荒井良ニ
みずのわくせいの イノチダモン
なにかになるまえの はじまり の イノチダモン
もんをくぐって なんどもなんども
くぐってくぐって イノチダモン
はじまりの しゅくふくの イノチダモン
はじまるよー はじまるよー の イノチダモン
はじまりの おと ドクンドクン ドクンドクン
おおむかしの おと ドクンドクン ドクンドクン
いままでも これからも ずうっと イノチダモン
息子は「イノチダモンばっかりや」って笑ってた。何かとっても大切なことをこんなふうに笑わせるユーモアがあるって素敵だなぁ。
おわりがあって はじまりがある イノチダモン