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最短距離1mで寄れ Industar-61 L/D 55mm f2.8 (L39)
古今相場物語
自分がオールドレンズに手をだす少し前だったか、このIndustarやJupiterといった旧ソ連製レンズは二つの側面を持っていた。一つは他の国産レンズや舶来レンズと異なり桁一つくらいは安価で販売されていた。質と数でいえばオールドレンズ人気がここに到達する前にまだ有名な銘玉や癖玉が安くはないが今よりは買える価格で販売されており、ソ連製レンズを使う意味を見出せないユーザーにとっては視界の外だったのだろう。そしてもう一つの側面は俗にいうところの”ソレンズ沼”で語られるレンズだった。確かに安価ではあったが今でこそ好まれるボケ方や収差によって生じる回転ボケや絞り羽を絞った際に生じる形状が夜景撮影で独特の光芒を写したりと意味を見出すに値するものがあった。さらに言えばこの沼の歴史は古く、名称が同一でも生産時期によってレンズ設計や鏡筒、素材や指標の色などが異なり戦禍を跨ぎ生産されたドイツ製カメラWERRAシリーズやライカのようにコレクションとしての価値が見出されていた。
そして現代、相場は変わった。銘玉癖玉と呼ばれるレンズたちは往時に比べて桁が一つ二つは増えて分類としては癖玉に類するこのIndustar-61も例外ではなくジャンクコーナー2,000円がL39マウント用レンズ棚に専用の区画を設けられてその値上がり撮影用フィルムの如しと言わんばかりの値札を付けられている。
「値札がレンズ性能を表すのではない、レンズ性能が値札になるのだ」
鏡筒のガタつき? ソ連らしさだよ。だってほらAkだってガタついてい
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最短撮影距離は1mと指標にある通り、このレンズは対象に寄るマクロレンズ的なものではなく標準50mmより若干狭い画角の55mm、この5mm長い焦点距離を用いてどう撮るかを問われるレンズである。ソ連製フィルムカメラFEDシリーズに付いていた時のようにレンジファインダー機で使用する際は他のオールドレンズと同様に日中でも開放より一段か二段は絞り込み被写界深度を作った状態で撮影する方が合焦点が外れるといったことは減るだろう。しかし今回使用するカメラは現代のミラーレス機であるためピントのヤマとカドはEVFかチルトモニター、つまり液晶画面を見ながら合わせていくことになる。よく言えば厳密に撮れる、難しく言えばモニターで合わせるからこそ絞りの管理に隙が生じやすく合焦はしているがどこか粗い画像を撮ってしまう危険性がある。この辺は他のレンズにもいえることなのでここからはこのIndustar-61 L/D 55mm f2.8について述べていく。
手元の使用感で言えば見出しにある通り、若干鏡筒がガタついている。しかしそれが使用上の問題になるかと問われれば全くそういったことは無かった。絞り環やヘリコイド環の操作はスムーズ、レンズの固定も光軸が歪むといったトラブルはなく厳密に固定されているべき箇所は固定されておりレンズとして使用上の問題は無かった。分解清掃してみればガタの箇所や意味を追えるだろうとは思うが現状で特に内部の問題はないので「Akだってガタつきがあるから動作するんだしこういうものだろ」の精神で使っていく。なお国産レンズでこのレベルのガタつきがあれば良くてネジ留めの緩み、悪ければ部品欠品や破損を疑う。
異様な使いやすさ
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このレンズ、なぜか今まで使ってきた他のレンズと比べて異様にピントの合わせがやりやすい。一眼レフ機とは違ってミラーレス機はEVFやモニターの宿命があり見える映像は液晶画面の性能にその品質を拘束されている。無論、オールドレンズの使用はマウントアダプターを使用する通りカメラ本来の使い方ではない例外的な使用方法である。本来ならばカメラ側でレンズのオートフォーカスやプログラムオートを制御して適正をとるがオールドレンズを使う以上はマニュアル使用が前提となり絞り優先オートであっても肝心のピント合わせと絞り値決めは人間側の視覚や感覚に任せることになるためカメラとレンズで相性が悪かったり暗い環境だとファインダーの拡大鏡機能を使っても狙ったピントと解像を狙うことが難しくなる。
今回は明るさこそ問題は無かったがそれ以外は通常のミラーレス機とオールドレンズの関係にあり使用者次第の部分が多大にあるが今までの経験からしてもファインダーを覗く前に脳内で「この位置にピントを置いてこの辺りはボカして」と大まかなイメージを作ってから撮影に入るがまずイメージの中で欲しいと思ったピントの位置にヘリコイドがスッと動いてその位置で安定する。オールドレンズによってはヘリコイドの調子が悪く一度手元で合わせたピント位置がプラスになってしまったりマイナスになってしまうことがあるがこのレンズはそういったことはなく、力加減などせずとも一度合わせた位置でぴたりと止まり撮影姿勢に入れる。
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上記のような回転ボケを起こす際は絞りを最大開放にして光を多くレンズへ取り込みレンズ性能が許容できる以上の明るさを作ってからシャッタースピードで適正をとる。この際に難しい操作はかなり厳密にピントを合わせないと画像が破綻してしまうため古い言葉でいう前ピン、手前ピント合わせが重要になるが先述したピントの合わせやすさと安定によって回転ボケを狙いやすい。
レンズ設計ではなくレンズ品質を見よう
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この画像は絞った状態で無限遠側にピントを合わせて撮った。このサイズでもわかる通り、飛び立った椋鳥の羽や草、アスファルトの色合いがそれぞれ潰れもせず一つ一つのオブジェクトがしっかりと撮れている。では個別に見るとどう解像しているか、ちょうど飛び立ってくれた椋鳥の部分を拡大してみよう。
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椋鳥より奥にある枝や草はかなりぼやけているがちょうど被写界深度内で合焦しているとこの距離ほど離れていても羽の動きや広がり、体毛の質感が撮影できている。回転ボケが生じる時点でレンズとしての設計を優秀とは言えないがレンズ、もっと言えばガラス自体の品質はかなり良い。レンズに入ってきた光がレンズ内部や鏡筒の内部で意図しない屈折を起こしていると”撮れてはいるけど粗い”写真や画像になってしまうがこの通り撮って出しをそのまま拡大切り抜きをしても僅かな合焦点のズレといった人間由来の現象だけで入った光自体はしっかりとカメラのセンサーへ届いている。昔何かで読んで出典を覚えていないがソ連製のレンズはコーティング技術が他のドイツ製や日本製と比較するとあまり発展していなかったらしく、より良いガラスを作りより良い研磨技術で撮影用レンズを作ることに特化していったと。読んだ当時はあまりわからなかったが実際に使ってみるとこの通り、あの時に読んだ内容通りの画像を撮影することができた。
雑感
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指標上、最短撮影距離は1mだが実際の性能でみれば寄らずとも寄った画像が撮れるレンズだと感じた。というのも確かにカメラを近づけてしまうと最短撮影距離より深くなり焦点は合わないが被写界深度と指標の範囲で撮影すれば撮影された空間にあるオブジェクトは開放ならば合焦点で絞りこめば合焦面で線が潰れたり色が曖昧になることがなく撮影できる。そして合焦していないオブジェクトに対してもレンズの品質は活きており近い色が重なっても溶け込むことはなく、線は粗くなるが色や影は空間の明暗通りになる。つまりマクロ的な解像による大きな写真は撮れないが空間にあるオブジェクトに対しては無類のレンズ品質を発揮することで寄れないが寄った画像を撮影することができる。
古今、値札は市場人気を反映するが昔の値札で言えばこのレンズ品質があの価格帯だったことはお買い得であり評価としては足りない額面だったかもしれない。このレンズの性能でいえば癖玉の部類だがレンズの品質はとても実直で真っ直ぐ光を受けてセンサーに届けることができる実力がある。Industar-61 L/D 55mm f2.8は大枠でみれば癖玉、しかし丁寧に使うことでレンズの品質に内在する実力を発揮する実玉といえる。オールドレンズといえば銘玉か癖玉、作例は絞りを最大開放値でが流行りだがこのレンズに限らず実力を発揮する使い方を探ることもマニュアル操作で人間が介在する余地が多いオールドレンズの楽しみ方として忘れてはならない。
使われることを嫌い、使うことを望むならばIndustar-61 L/D 55mm f2.8を追求するといい。ここ一切の下駄はなく、使った通りに応えてくれる。
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