民主主義とその復元性について
この手紙を書く前に安倍晋三氏のご冥福、ご遺族と関係者各位に休息と祈りの時間が一刻も早く訪れることを心よりお祈り申し上げる。
2022年07月08日昼前、事件は起き多くの人々が混乱の最中にある。動揺や恐怖から目と耳を塞いで自らの日常と平穏を守ろうとする方も多いだろう。しかしこの手紙を読んでいるあなたは目を閉じ耳を塞いでも心はまだこの事件や政治から離れていない方だと私は思う。本文はそうした心を持つあなたへの手紙である。
事件直後に「民主主義は死んだ」という言説が飛び交った。私はこの言葉に対して少しの注釈を付けたい。確かに民主主義と代議制政治の重要な制度である選挙の期間中に起きた殺人事件であるが”民主主義”自体は何一つ終わってはいない。現に2022年07月10日投開票の日本国国会参議院選挙は続行している。
民主主義は動いている。しかし深く傷つき人々が混乱していることも確かだ。既に被疑者は逮捕されており、その身柄と処遇については司法が決定し、選挙の続行や街頭演説などの選挙活動を行うことは政府や政党関係者、立候補者たちが決定した。では有権者である私とあなたは何を決定できるだろうか。
大変申し訳ないが民主主義という思想、価値観、その歴史における経緯などについてここで詳しく説明する体力は今の私にはない。ただ自分の思うところ、自分が日常生活している場、つまり地域や国家について何をどう思っているかを決定する体力はある。この自らの日常生活と日常生活を行う場について何を思っているかを自らの自由意思に基づき決定、言行に反映することが民主主義の政治行為、その根幹である。
私は「投票所へ行き、投票しろ」と指示はしない。ただこれを読んだあなたが内心の自由の中で自らの意思を決定することを望む。その結果として投票する、投票しないはあなたの意思決定による行為と結果である。そして当然ではあるが決定と決定から生じた結果には責任が伴う。この自らの決定における責任を自らで自認して負うこともまた民主主義において欠かせない政治行為である。
ただ政治を思う、ではなく自らが行う日常生活と日常生活する場について思い、自らの責任の範疇において決定を行い、自らの言行に反映していく。繰り返すがこれこそ民主主義における有権者の政治行為である。そしてその決定と責任を記憶の中やメモ書きの片隅にでも置いてほしい。そこから今は死んだとさえ言われている深く傷ついた民主主義は復元して成長していく。
個人が自らの思いと決定を手放さず、自らの決定と異なる決定をした人とも言葉と意思表示によって近くで暮らすか離れて暮らすかを自ら選ぶこともまた民主主義における政治行為であり、今回のような事件、つまり暴力に対しても司法という言葉と制度で応じることも民主主義を構成する法治主義や文書主義といった公平平等に通じる価値観による行動である。
最後になるが私は決定し、行動した。これを読んだあなたも私と同じく自らの思いを決定をしてくれることを願う。