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「あげる」と言われて嬉しい?

「あげる」という言葉は
いつも心に引っかかる。

どこか上から目線だったり、
他人事で主体的でない感じがする。



買い物に行った帰りに、夫が
「荷物、持ってあげる」と言った。

子どものお世話で忙しいとき、
「洗い物しといてあげる」と言った。

「ゴミ捨てといてあげたよ」とも言った。


だから数年前、夫に

「あげる、というのは
 基本的にあなたはサブなのか?」

「自分のやるべきことではない、
 妻(母)の仕事だと思ってる?」

と聞いたことがある。


残念ながら、それに対しての答えは
全て「イエス」だった。

どうしても、夫は他者に対して
「手伝ってあげる」という感覚らしい。


むしろ、こんな質問をした私を
不思議なことをいう人だな…
とでも言うように首をかしげていた。

その時の話は平行線。


ガッカリしながら
「家のことはだれの仕事?」
「子育ては、誰がするの?」

「荷物を“持つよ”と言えないの?」
と言い、


それからは
“あげる”と思っているなら
“私は欲しくない”と伝えてきた。


「あげる」という言葉は
使い方によって私を不快にさせる。


何よりも、
自分を過少評価されたと感じる。


俺が手伝ってあげないと
できない妻、できない母。


そう思われている気がして
素直に「あげる」を受け取れない。


そんなつまらないことで?
卑屈にならなくても…と
夫のように思う人もいると思う。


捉え方の問題で、
私自身が自分に
いい評価をしていなかったから

そう言われている気分に、
勝手になっていただけなのも
今なら分かる。


では例えば、子どもに対して
「遊んであげる」
「開けてあげる」
って言うのはOKだろうか。


子どもが、よその子に
「友だちになってあげる」
って言われたら?


私はやっぱり、すごくザワザワする。


お互いが遊びたいから遊ぶし、

うちの子がお願いして、
友達になってもらうものではないから。


大切なわが子を尊重されていない気が
どうしてもしてしまう。



もう一つ例をあげると、
「付き合ってください」
「付き合ってあげる」じゃ
長続きしない気がする。

少なくともどちらかが
無理していないだろうか。



ストレスのない人間関係とは、

どちらが上とか下とかなく

どちらかが優れていて
どちらかが劣っているでもなく

みんなが違っていて、
みんな、『おたがいさま』だと思う。


あなたと私の違いは、
どちらかの「間違い」ではない。


お互いを尊重し合える未来のために
そんな考え方を身近なところから
当たり前にできたらと思う。

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