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愛する母へ

 母の香りが好きだ。
 まだ母と同じ布団で寝ていた頃、母にぎゅっと抱きつくとおそろいの香りがするのが嬉しかった。同じシャンプーと、石鹸と、柔軟剤の香り。大好きな母とのおそろい。でも、やっぱり母の香りは特別で、やさしいやさしい愛の香りだった。
 弟が生まれて、母の香りを独り占めできなくなった。弟が母と一緒に寝るようになり、布団の香りは寂しい香りになった。ひとりっきりの布団で私は孤独な王様。母の香りがしない夜の闇が苦手で、くまのぬいぐるみを抱きしめて眠った。母とは違う優しい香りに、あたたかい穏やかな夢を見た。
 外で手をつなぐのが恥ずかしくなった頃、母からはいつも香水の香りがした。私の大好きな母の香りとは違うけれど、とっても優雅な香り。ブルガリの香水を纏う母はいつまでも美しい人で、私の誇りだった。私もいつか、母の誇りになれるのだろうか。
 大人になりたくて仕方がなかった時、母が私の持つオードトワレと自分のオードパルファムを交換してくれた。友だちとおそろいにしたくて買った自分のものよりずっと気に入って、纏うたびに一歩大人になった気分だ。私は母のように素敵な人になれているだろうか。あなたと同じ香りを纏うにはまだまだ胸を張れない。
 母が私を想って買ってくれたキンモクセイの香りのハンドクリーム、タイのお土産の香りの強い石鹸、グレープフルーツのアロマオイル。どの香りも大好きで、ささやかな母の愛が萎れた私の心を優しく包む。でもね、お母さん、あなたの愛の香りに優るオードパルファムなんて私にはないの。台所に一緒に立った時、洗面所で一緒に歯磨きをする時、今も変わらず貴方からは愛の香りがする。いつまでも変わらずそばにある、泣きたくなるほどやさしい、やさしい愛の香り。いつか私も母のように愛の香りを纏う日が来るかもしれない。けれど、今はまだ、母の愛の香りに満たされていたいの。ほんのちょっとだけ、あとちょっとだけ、わがままでいさせて。

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