見出し画像

ある男の失敗

 男は何でも屋だった。殺しから浮気調査まで請け負う正真正銘の何でも屋。家も職も金も無くして、何気なく始めたのが5年前。初めはとにかくどんな仕事でもやった。何もせずに野垂れ死ぬのだけは御免だと思い、必死に続けた5年は意外にも実ってくれた。もとより警戒心の強い男にとって汚れ仕事は性に合っていたように思う。裏社会でもそこそこ名の知れた存在になってきている。こんな汚い人間にも神様は微笑んでくれるものかと、男は無神論者ながらに思っていた。
 平穏な日常が崩れ始めたのは些細な仕事の失敗から。猫を一匹逃したのだ。それは1ヶ月ほど前の殺しの仕事で、闇カジノで汚い手を使って稼いでいた男を殺すことが任務だった。依頼人は反社会的組織の人間。失敗は許されない。結果的にターゲットを殺すことはできたのだが、その後がまずかった。ターゲットが持つ闇カジノの顧客リストを探している間に猫に逃げられた。これがただの猫であれば放置したものを、普通の猫ではなかったのだ。ターゲットは自分が殺されることを予期し、顧客リストを猫の首輪に隠していた。そんなことは知るはずもなく男はまんまとあの猫を逃した。これが実は大きな失敗で、男は今依頼人から報酬を受け取るどころか抹殺されかかっている。この1ヶ月あの猫を探し続けているが、見つかるはずもなく男は焦っていた。追手も迫っているがギリギリで逃げ続けている。毎晩次の朝日を迎えられないのではないかと、男は怯えていた。
 猫はもう諦め、国外に逃げるしかないと男が思いついたのは1週間前だった。チケットの手配も宿の手配も完璧にし、もう後は飛行機に乗るだけだ。急いで空港に向かう。あとは乗るだけ。飛行機に乗ってしまえばこっちのものだ。早く、早く、乗らねば。焦る男の肩に大きな質量がぶつかってきた。
「よう、兄弟。」
空気を震わせる低音が耳に響く。聞き覚えのある、同業の男の声だ。追手は彼だったのかと、何だか安心に似た気持ちを抱く。
「本当に残念だよ。」
自分の人生はここで終わるのだと男は悟った。頭に走った衝撃は、物理的なものか、それとも精神的なものだったか。
 運の良い人生だったと思う。金がなくても食うに困ることはなかった。やってきたのは良いことよりかは悪いことだっただろうと思うが。神社の賽銭を盗んだり万引きをしたり、タバコも酒も早くから手を出して、幼い頃から褒められた人間ではなかった。しかし不思議と男は運が良くて、いつからか自分は神に愛されているのだと勘違いしていた。ツキが落ちたのはいつからだったか。調子に乗って警戒心を低めたことが失敗だったのだろう。死刑執行を待つ罪人の気分で人生を振り返る。間違いなく罪人ではあるのだが、自分を殺す者には確かな正義がない。自分と彼の違いはミスをしたかしなかったか。本当に皮肉なことだ。とうとう自分が始末される側になった。陽気で狂気を孕む彼とは同業者の中でも親交がある方だったと思う。本当に、本当に、残念だ。さっき殴られた頭の傷がどんどん痛む。彼の準備は済んだようだ。
「辞世の句でも詠むか。」
「いや、そんな教養はないさ。」
「ふん、命乞いもなしか。つまらん。まあ、なんだ、来世でまた会おう、兄弟。」
「来世はもういらん。充分神に愛された。」
頭蓋骨にめり込む弾丸の感触がしたような気がした。嗚呼、もう人生はこりごり。


タロットカード
PAGE of SWORDS「警戒」

いいなと思ったら応援しよう!