写真は変化を拒む装置。
"むしり取る"為にフラッシュを使うようになったがどうにも頼ってしまっているような気がする。アンチフォトジェニックなので別にいいと言えばそれまでなのだが、パターン化しているように思う。最近はフラッシュを焚く日常写真が一つの流行りなので、流行りに乗っかっていると解釈されてしまう可能性があるのも危険だが、あまりにも撮影がパターン化している気がする。
一つの種類の表現は危険だと友達と話したが、私も一つの方法に固執する傾向がある。写真自体が機械の存在が大きいメディアだからか、もしくは脳が無意識のうちに確立した方法のアップデートを拒んでいるのかはわからない。ただ、自分自身の表現に対しても常に疑ってかからないとこの世界では生きていけないのだろう。
アップデートを拒んだ時点で作品を牙を失う。