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丁寧な草むしり@500m美術館(札幌)

札幌で開催中の企画展「emerging artists 2023」が始まって1ヶ月ほど経ったので今回の展示について書いていこうと思う。

今回展示している作品は昨年に発表した「丁寧な草むしり」のシリーズで2作目にあたる作品だ。
展示を構成しているのはプリント作品ではなく、他者にむしってもらった生の植物を使用した。

元々、この作品のスタートがレンズベースだったので、表層だけ見るとシリーズと言えるのか?と思われそうだが、私としては従来のカメラ・プリントベースの写真から離れた事で思考とイメージが近づいてきたと考えている。
この作品を始めるにあたり、ただ突拍子もなく他者に草を送ってもらったり、自分で草をむしるのは従来の写真表現からカメラを撤廃しただけのものになってしまうので、ある程度の制限を設けた。
指示文書を作成し、その内容に沿って植物を送ってもらう。内容自体は「他者の手でむしる・植物を根からむしり取る・袋詰めにはジップロックを使用する」といったものだ。

指示文書#1



ただ、他者に対して言語で「草を送ってほしい」と伝えるだけでは、他者を利用した写真をやるに過ぎない。
人との繋がりの希薄さや、ネットワークを可視化させる、構成することが作品のコンセプトなので、草の送受信自体を「既存の言語に依存しない会話/植物を中心とする会話」つまり、コミュニケーションとして扱う方向に持っていくことにした。

他者の手でむしられた植物

そうすることで、「他者をカメラとして扱う/植物を会話にする」ことが写真の持つ性質

「反自然的で、自然にはありそうもない形式を獲得し、文化的なものになる」
※ヴィレムフルッサー 写真の哲学のために p.27 

へ波及できるのではないかと考えた。

展示空間に飾られた生の植物たちは時間の経過ともに腐敗していくが、それは袋の中の植物同士が会話を行い熱量が発生しているとも考えられるし、植物中心の会話を行った私たちの会話の内容が記憶と共に認識に変化が生じる。情報自体が変性を続けている様にも考えることができる。

孤立することに恐れていて他者と繋がるが繋がり自体が可視化されているようでされていない、生きにくさ故に腐敗していく社会構造とも捉えられる。当事者でもないのに衝撃的な事件を目撃して病んでしまうのと同じように、一つの植物が腐敗すると、チューブで繋がれた他の植物に伝染していく。
もしくは無意識のうちに周囲の環境に染まって腐敗する。

展示風景
展示風景


展示が終了する頃には、新鮮だった植物もよくわからない物体に変化するだろう。時間を画像というレイヤーに置き換えた断片を見せる写真よりも、変化し続けるが展示期間中は配置が変わらないが変性し続けることでわかりやすい形で見えるかもしれない。

この「植物を中心とした会話」が残りの会期でどの程度の熱量で行われるのか、情報がどのように変性していくのかを会話の当事者として記録していきたい。

2023.11.16

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