むしられる可能性。
「庭・草むしり」で自分にとって都合のいい空間を作り上げることは孤独から逃れられないように思う。特定の他者との共生を拒み、その時によって手元に置く人間を変える。こういった考えを持つ人間は増えていくが、最終的にはコミュニティそのものが消えていくだろう。
むしられた人間が集まって新たなコミュニティを作るかもしれないが、植えられた経験が残っているので無意識下で人間の選別を行うはずだ。
根こそぎむしり取ることは、むしり取った相手の運命を握ることになる。植え替えられれば生き延びることができるが、捨てられるとそのまま枯れる。
人間の都合で作られる庭に訪れる人間が来なくなることも考えられる。そもそもクローズドな場所に新しい人間がどれほどやってくるのだろうか。カルト的だと称されると警戒する人間も出てくる。そう思われないために欺く必要があるのだが、いずれメッキは剥がれていく。
自分自身の経験や人間関係から始めた草むしりだが、むしり取って植えると言い切らないとどこか自分が捨てられてしまいそうな不安があるのではないかと感じる。自ら独裁的でエゴイストだとレッテルを貼ることで、他者との人間関係を築こうとしているのか。他者に対しての優しさがあっての警告というよりか、保身の為の警告なのかもしれない。
2023.1.15 辻悠斗