リテラシー

 ある程度の年齢を越えてしまったら(そうですね二十代半ばとかでしょうか)、“そんなこと”をしている暇があったら働いたらいかが?と思ってしまうことがあります。

“そんなこと”というのは、例えばSNSへの実りのない投稿です。大雑把に言ってしまえば、ああいうものは自己顕示欲や承認欲求を満たすためのツールですから、リアルでこれらの欲求が満たされていればこういったものに手を出すことはありません(芸能人や業者さんのコマーシャルとしての使用を除いては)。ですので、SNSに大量の投稿をするような人物のリアルは荒んでいると言って過言ではありません。

 雄弁は銀、沈黙は金と言いますけれど、殊SNS上の発言についてはその通りだと思います。モラトリアムを引き摺ったように、誰に向けられたのか定かではない内面的独白(知的な表層を装った構ってちゃんアピール)をして微笑ましいのは(痛々しく写らないのは)精々学部生を卒業して一年くらいまででしょう。

 クリエイティブな自営業にでも就かない限り、多くの人が二十歳を少し過ぎる頃には社会という現実に放り込まれます(文字通り、猶予期間であるモラトリアムの終わりです)。そうすると、否が応にも現実観というものが変わってきます。時間的余剰が殆どなくなると、単純に内面的独白をしている時間そのものがなくなるし、意識は自分の内面よりも現実という外面に向かうようになります。

 私の感覚で“未だに”SNSに内面的独白を続けている同世代以上は、余程裕福であるのか、モラトリアムを脱していない(要するに自活できるほどには働いていない)ということになります。それはとても痛々しいことであるし、自らモラトリアムをこじらせていることを宣言しているようなものであることを彼ら自身に理解してほしいと思います。

 格好つけてにもかかわらず恥ずかしい英語Tシャツを着るより、無地のTシャツでも着るほうがずっとマシ。私と少しでも関わりを持ったあなたなら、こういうリテラシーを弁えて下さいますね?

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