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死も生も、思うがまま。

#XR創作大賞

21XX年、秋。長らく続いたメンタルヘルスの問題に、ある解決方法が現れた。

生死を真に自分の思うままにできる機能……「バーチャルライブ」という生き方が、倫理的・人道的な議論を経て、やっと国会でも承認された。

先進国では最も遅れた承認となった。この国では「持って生まれた身体を改変すること」に忌避感が強く、整形が受け入れられるのにも時間がかかったらしい。

バーチャルライブ、それは、恒久に生き、永遠に死ぬということ。

肉体を手放し、電子の世界に生前の記憶を移す。生きたいと思ったときに生き、消えたいと思ったときに消えることができる。

バーチャルライブでの生を生きる人は、肉体を持つ人間ープリズンド・ヒューマンなどとバーチャルからは皮肉を込めて呼ばれもしたーからは見えないが、専用のゴーグルをつけた人からは見られることができる。ただ、見られたくないと思った人間はブロックもできる。

かつて「いじめ」などという生温い言葉で呼ばれていたものは、「重程度小児致死」と呼ばれている。「いじめ」を生き抜いたとされる人間の追跡調査で、彼らには感情の起伏が少なすぎ、あるいは大きすぎ、日常生活に支障を来しているということがわかった。

「いじめ」で人は殺される。たとい肉体が生きていても、死に至る。そのことに人間は気づき始めた。生きながらにして死んだ人間は、その状態の矛盾から、「死ぬことでしか生きる道を見つけられなく」なることがある。

笑って屋上から飛び降りる女の子、電車の前に身を躍らせる男性、腕に傷を持つ人々。彼らは肉体の放棄を望んでいながら、その実、誰よりも「生きたがっている」。

僕の姉がしんでから、もう12年になった。所属していたスポーツチームでひどい扱いを受け、苦しんだ末に自殺した。しかし、僕には姉が死にたがっていたようには見えなかった。気づけなかったことへの後悔から、現実逃避しているのだと誰もが言った。だが、とある手紙を見て確信した。

姉が、将来の自分自身に送るはずだった手紙

「元気ですか

あいつらは死んでますか

私は

私が傷つかない世界で生きたい」

傷つかない世界「に」行きたいのではなく、傷つかない世界「で」生きたいと言った。それは、死を選ぶ必要のなかった願い。選択肢さえあれば、叶えられた生。

僕は、VRの研究者になった。僕は、いつか姉に会えるだろうか。

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