例えば勉学に趣味、二兎を追いたい人のために(執筆に夢中になって留年した人より)
自己紹介
簡単にですが私の自己紹介をいたしましょう。私は某国立大学の理学部物理科に通う、いわゆるリケジョなるものにあたります。しかし、私自身その呼び名はあまり嬉しくありません。物理という学問の前に性別は関係ないと思っているからです。いち物理専攻の大学生、と思ってください。
一方私は昔から小説を好んで読む文学少女で、直木賞を取ることをガチで目標にしていました。ちなみに直木賞は商業出版デビュー済の中堅エンタメ作家に与えられる賞で、その頃の私はそこまでいけることは確信してたんですね。若いっていいな。
そんな文学少女の私が物理に目覚めたのは、高校2年に全国を石鹸、否、席巻したとあるニュースでした。それも「ヒッグス粒子発見か?」
物質に質量をもたらしたヒッグス粒子(ヒッグス場)というものに無性に興味がでてきて、Newtonという科学雑誌を買って読みふけりました。そして、知らぬ間に理系になり、素粒子物理学を志すことに……。
二兎を追う者は……
無事大学にも合格し、意気揚々と勉学に励む……1~2年のころまでは、順調に大学生活を謳歌できていました。異変は、2~3年生の時期に現れます。物理なんていう理系バリバリの専攻にいながら、私は小説執筆に夢中になってしまったのです。
エブリスタという小説投稿サイトがあることをモバゲーというゲームのプラットフォームから知り、恥ずかしい小説を投稿、お星さまという応援の証が会ったこともない日本のどこかから届く。文学少女が抜けたわけではない私は夢中になりました。こんなサイトがあったなんて!
そんな私の小説にある日、厳しいレビューがつきます。いわく、これは小説の体をなしていない。普通ならしょげかえって執筆をやめてしまうところかもしれませんが、私はやる気に火が付くのを感じました。罵詈雑言のない純粋な批評に出会えたというのも大きいですが、指摘に応えることを「やりがい」と思えたからです。
これがただの趣味と一生付き合うことになる使命との違いだと思います。
それでも趣味を続けたい!
好きなことを仕事にするのはたやすいことではない、という言葉はよく聞きますよね。それはある意味で真でありある意味では偽なのです。
前提条件として、誰でも人格否定や罵詈雑言は身に堪えます。それは本当に大前提として……、批評というものをどれだけ受け入れられるかで、自分の趣味が自分の人生でどんな位置付けになるのかがわかります。
長い間(といっても3年くらいですが)芽のでないウェブ小説書きなどをやっていますと、否応にでも直面する問題があります。それは、「何のために書くのか」
小説投稿サイトのアマチュアが書いた小説からヒット作も生まれるようになった現代において、「①文法のミスのようなことは指摘されたくない、こっちは趣味で書いているんだ」という派閥と「②本気でプロを目指している。批評でもいいから反応がほしい」という派閥がでてきます。
両立させるべきか
趣味となにか別の、もっと大事なことを天秤にかけるよう求められてしまったとき、あくまでも私見ですが、①に当てはまるタイプの人は問答無用で「もっと大事なこと」例えば勉学や仕事などを優先させるべきだと思います。
趣味で書きたいことだけ書いている――そこに市場分析もなければ、読みやすくする努力もありません。言い換えれば、努力してまで見てもらう必要性はない、つまりあなたの日常を台無しにしてまで発信しなければならないコンテンツではないということになります。
息抜き程度にたまにやるならいいですが、それが主になってはいけません。そして趣味と使命を別つのは「批評に対して謙虚であれるかどうか」だと思います。
一方、②のタイプの人は、難しいですが十分に本業と趣味を両立する権利のある人でしょう。ただし、権利はありますが誰にでもできるというわけではありません。
②のタイプの人は、市場の分析や文法の順守も済んでいるころだと思います。そんな人には、恐らく「そうまでして読んでもらいたい物語がある」人でしょう。
正直、本業も抱えたまま趣味にそこまで本気になるのは効率が悪いです。テキトーに手を抜いてやった方が楽に違いありません。それでも、その人が苦難の道を歩き、時に厳しい批評に晒されるのも耐えられるのなら、それはその人に伝えたいなにかがあるからに違いありません。
「好きなことは仕事にするな」の意味
好きなことには2種類あります。「息抜きとしてイイ」と思っていることと、「普通の人なら苦痛と思える試練にも多少は耐えられる」&「他の人がやれない作業を黙々とやれる」の2種類です。
前者が「仕事」になることはありません。息抜きとしての良さしか感じていない趣味を本気で、社会人同士の職務としてやらなければならなくなったら、誰だって一瞬で熱は冷めます。そんな様子を見て、大人たちは「好きなことは仕事にするな」というのです。
しかし、後者ならばむしろそれは率先して仕事にするべきです。社会人として求められる試練にも立ち向かえるでしょうし、何より「伝えたい物語がある」人、つまり使命のある人はそう簡単にへこたれません。それに、普通の人ができないことをそれほど苦痛に感じずできるならばそれは天才と呼ぶべきでしょう。
しかし、世の中の「天才」に対する理解は十分ではありません。量産型の歯車がもてはやされる社会で、1つのことに異常な執着を示してしまう人はむしろ能力がないと判断されがちです。よって、「好きなことは仕事にできうる」人も何か本業との両立を強いられてしまうわけです。
自分が②のタイプで、ぜひとも本業と趣味を両立したい、という人のために、私の経験談からくるアドバイスの記事を次回配信します。
春瀬由衣
いつもありがとうございます。執筆のエナジーチャージのためいいなと思ったら「スキ」していただけると幸いですー(*'ω'*)