大和路うろうろ・二月堂
手向山八幡宮の鳥居を出ると、すぐ目の前に東大寺三月堂(法華堂)があった。
今まで入ったことはなかったが、日記を書くとなるとモチベーションが違う。拝観料を払った。
建物は奈良基準で見ても古くて、国宝ではなさそうだが古そうな仏像も沢山。開け放たれた扉の向こうは八幡宮。天平人の気分になってゆっくり過ごすにはいい。
帰ってリーフレットを読むと東大寺最古の建物とあった。なるほど。
ただしやはり特に東大寺マニアとかでない方については、三月堂は省略して良いと思う。
お次は地元のマダムにも大人気の二月堂。わたしは6年ほど前になるか、以前の勤務先が近くだったので、仕事帰りに散歩に来たこともあった。
階段が多いと言っても、息が切れるほどでもない。
石に模様が刻まれていて、飽きずに登れる。刻まれているのは登り始めと終わりの部分だけなので、瞬間移動的なおまじない(不思議と楽に登れた!みたいな)のようにも見えるが、単なる滑り止めかもしれない。こういう細工は昔は職人さんのサービスで行われ、技やセンスを世に知らしめたと聞いたこともある。ここまでやるのは、東大寺の金払いが良かったという証拠でもある…だろうか。
二月堂は舞台からの眺望を楽しみに訪れる人も多い。大仏殿の向こうに奈良の市街。奥には生駒山。1300年前と何も変わらない、変わりようのない風景である。
都が栄えたり廃れたり、ビルが建ったり、テレビ塔ができたりしても誤差の範囲。この「変わらんなあ」という感慨が、わりと好きだ。
奈良と生駒の中間地点(学園前)に住んでいたころは朝は若草山、夕方になると急に生駒山が存在感を現した。日が暮れると、ケーブルカーの線路に沿って灯りがチラチラ登ったり降りたりする。上空に金星と月。
また逆に、現在の自宅がある生駒山からは、登大路の突き当たりに大仏殿と二月堂、その奥に若草山が見えている。都の端と端だ。
御本尊は秘仏らしいが、お賽銭をして、手を合わせた。スポーツウェアのハイカーに囲まれ、少し慌ただしい。
ここは修学旅行の定番でもある。側面に回ると、こんな張り紙がしてある。
なんだか面白くて、来るたび写真を撮ってしまう。
己の運命を引き受けるってこういうこと…と教えて貰ってる感じがする。張り紙をした人はこんな卑俗なものをと、悔しかったかもしれない。そういうことも飲み込んでゆく大寺院のゆとりのようなものを、勝手に感じている。
また二月堂には大きな休憩所がありお水取りに関する資料が展示されている。年季の入った茶釜のお茶、ぜひ飲みたかったが、もう使っていないよう。
しばし休憩して、お帰り道。
奈良らしい土塀と芝の色合い、鹿がかわいい。
東大寺はあまりに盛んでかえって宗教的な気分になりにくいけれど、こちら、お水取りのとき水を汲む「若狭井」は見るからに神秘的な雰囲気。中は井戸なのだろうけど、壁と屋根が設えてあり、椿の枝でぐるりと囲ってある。何やら原始的な儀式を思わせる。
お水取りは、たしか福井の鵜の瀬から10日かけて流れてくる水を汲むという伝説を小学校の道徳で習ったような記憶も微かに。岡野玲子の漫画『陰陽師』でも読んだ。好きなエピソードだ。
亡くなった祖母もお水取りの伝説をとてもロマンチックに感じていたようで、時期になるとよく話してくれた。そんな時、福井から流れてきた水かどうか、どうやったらわかるの?と、訊いた。本気で知りたかった訳でもなく、ただ大好きだったおばあちゃんと大人のように会話したくて。さあ〜勉強と違うからねぇ…などと困っていたのを思い出す。
ふたたび手向山八幡宮の横を通る。
ここ2年の間に生まれた若い鹿は観光客のいない奈良しか知らないのだろう。人が怖い様子で、なかなか道を渡れない。インバウンド以前の鹿は若草山・大仏殿付近を除いてまあこんな感じだった。
先ほどバスで通った道がきれいだったので、歩いてみた。ものすごくきれいだが、自動車専用道のようで、大回りだし坂がきつい。ここからでもバス停に戻るべきだろうが、方向音痴の性として、迷ったら前進する。ショートカットのため小道に逸れ、芝生を横切り、鹿フンを踏んで歩いたが、遠かった‼︎
やっとのことで大仏殿前のバス停に到着!疲れていて、ちょうどきた「ぐるっとバス」奈良公園ルートに乗ってしまったが、これが判断ミス。駅は目の前だったのに、高畑→元興寺→JR奈良→油阪と30分かけて「ぐるっと」回ってしまった。今後のためにバス停の位置の確認をしたと思えばいいか。
出発時、みたらし団子を食べておいて本当に良かった。
ほうほうの体で、餅飯殿商店街へ。ピノキオでオムライスを注文した。シンプルなレトロオムライスがおいしすぎて一気に食べて、上顎の皮がめくれました。
年幾つやねん…。
この日のうろうろは、これでおしまい。