「理想を追う自分を認める」という選択をする試練、があると思うの
スピリチュアル系の考え方で、ざっくりとだけど、
自分の今現在感じている感情や考えている物事が、タイムラグはあるもののいずれ現実化する、
という考え方がある。
ただ、この辺りの考え方を実践したり、色んな人の話を聴いた感じ、感じたり考えたりするだけでは何も変わらないことが多い気がするの。
感じたり考えているだけではだめで、実行力が大事、と言う人もいる。
実行力って何だろうと考えていたけど、特にめちゃくちゃ身体動かして何かをする実行力ってわけでもなさそう。
思ったのは、現実化における実行力って、選択力と同義と言ってもいいのかも。(あくまで個人の意見ね)
選択するのって、物事によってはものすごく重大な決定になったりするよね。
進路であっても、日々の何気ない決定であっても、その決定を境に人生が変わることってある。
このスピ系の、今感じていることや考えてることが現実化する系の話って、
「自分が本当に理想とする理想像を感じたり、本気で考える、“選択”をする」
という試練が、その柔らかい話にしれっと入ってる。
案外、「自分はそんなこと考える資格がない」と思っていたり、「実は叶える労力をかけるのが面倒くさくて現状維持でいい」と思っている人が多いと思う。
自分もわりとそういう面があるから思う。
理想に突っ走ることをわらう風潮も、少なからずあると思う。
別に、資格がないと思っててもいいと思う。自己肯定感上げるのクソムズだし。
現状維持でもいいと思う。
ただ、もし理想があるけどなかなかうまくできないって思っている人がいたら、
理想を求めたい自分がいる
っていうことを認めることだけでもやってあげてほしい。
現状は全く理想とかけ離れた状態でも、いいから。
もし、実は自分の中に理想を想ってる自分がいても、それを隠しちゃっては、想ってる自分が可哀想。
もし溺れそうな人がいて、その人をそっとしたり、むしろ水かけるなんてことしたら、おかしな話でしょ。
理想を想うことは自由だと思うの。
想っている限り、理想は終わらないの。
想うのをやめたら、そこで終わりなの。
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