私は統合失調症を持った、ただのひとりの人間。ただのスピを齧った占い好き病人です。Twitterで突発的に長く語りたくなった時用の、語りnoteです。

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最近の記事

【メモ】白色に近づくにつれ、死に近づく。

久々に更新するよ。 誇大妄想状態に陥っていたときに、自分がこの世の真理だって思ったこと。 白い光・色に近づくにつれ、人は死に近づく。 加齢による白髪もそれのひとつなのかも。 人が目で感知する光による色というものは、カラフルな色が混じり合うほど白に近づく。 逆に、絵の具は色が混じるほど黒に近づく。 生きて日々を目で見ていくことは、人生(光の色)が積み重なって(混ざり合い)死(白)に近づき、人が人生(塗る色)で形作った実績(絵の具による混色)は、逆に混ざり合って黒くなってい

    • 想像は、いつか実のなる種だから

      きっとよくなっていく、と明言するようにしている。 想像していないものは現実にならない。 種がなければ実はならない。 実際、精神面で欠けていた家庭も、意識の向け方を変えたら、15年以上の時間をかけて改善されている。 やっと、家族に対して愛情が芽生えるところまで来た。 自分の人生では有り得ないことが、隣の人の人生では当たり前なこともある。 逆もしかり。 私たちは、ひとりひとり違う個性でできている。 違う個性が掛け合わさることで、人間関係や世の中が成り立っていく。 皆同じもいいけ

      • 日記を書いてみようと思うの

        久々に、本を読みたいと思って、買った。 ひとに借りたものも含めると、4冊溜まっている。 いきなり溜めすぎである。 ずっと、本が読めなかった。 病気してから、病気についての本以外、殆ど受け付けなかった。 だから、ほぼ15年振りくらいの読書である。 読書に気持ちが傾いた理由は、元彼に振られてデートをしなくなり、暇ができたからである。 贅沢な悩みであるが、恋愛って時間とお金を使うのだなと実感した。 別れて相手を失くして悲しみもあるが、得るものもある。 時間と交際費にあてていたお

        • 精神のピアサポートについて考えたことをつらつら

          肉体の器の中に精神がある。 精神は心?心はどこに宿る? 思考回路?感情? 心って皆言うけど、何処にあるかはわからない。 個人的に感情が近いのかもと思う。 感情が動くと思考も動くから、思考も心に近いのかも。 考えること、感じることが心。 だから、考えることを放棄すること、感じることをやめることは、心をころすことになってしまうのでは。 人間は心が大切だと思う。 心をころしてはただの動く駒のようなもの。 駒になったら、ただただ、他人に使われてしまう。 精神疾患の問題は、大体が心

          私の夢ややりたいことを、言葉にしてみます

          目標を明確にすることが大事という話を読んだ。 なので、私の現時点で思い描いている夢を語ってみる。 とはいえ、そんなにまだ中身が詰まっていないのだけども。 私は、一言で言うなら、 「デザイナーで、イラストレーターで、占い師になりたい」。 特に最後が「?」と思われるだろうが、理由がある。 デザイナー(今はチラシ作成をメインにやってます)は、私の今勉強してる本命だ。 イラストも、我流ではあるが、素材として使えそうな絵を描けるようになってきた。 じゃあ、何で占い師なん? と思

          私の夢ややりたいことを、言葉にしてみます

          幸せはどこにある?

          幸せはすでにそこにある、と言うけれど、少し昔の自分はそれがわからなかった。 幸せは得ないとないもので、消費されてしまうものだと思っていた。 世界は自分の意識が作っている、という考え方がある。 じゃあ何で、意識を持ってる他人がわんさかいるの?って思うが、それは私にはわからない。 今まで生きてきて思うのは、他人は鏡のようなもので、あくまで鏡。言ってしまえばただの板。 本体は自分なのだ。 極論、自分以外は板。 自分の思考を映す板。 そういう考え方を投影というらしいね。 幸せを

          幸せはどこにある?

          「理想を追う自分を認める」という選択をする試練、があると思うの

          スピリチュアル系の考え方で、ざっくりとだけど、 自分の今現在感じている感情や考えている物事が、タイムラグはあるもののいずれ現実化する、 という考え方がある。 ただ、この辺りの考え方を実践したり、色んな人の話を聴いた感じ、感じたり考えたりするだけでは何も変わらないことが多い気がするの。 感じたり考えているだけではだめで、実行力が大事、と言う人もいる。 実行力って何だろうと考えていたけど、特にめちゃくちゃ身体動かして何かをする実行力ってわけでもなさそう。 思ったのは、現実化に

          「理想を追う自分を認める」という選択をする試練、があると思うの

          私の中に、とある世界があるの

          タイトルからすると、おめえ大丈夫か?な内容に思えますが。 少し不思議ではありますが、至って普通の人間の話です。 私は10年以上前から、同じ世界の夢を継続的に見ています。 夢の中の時間経過は、現実よりも早いのですが、ある大きな土地に私がいて、その土地が耕されたり、開発されたり、荒廃して、また人が来て、という様子をずっと観察している、という夢を見ます。 丁度、統合失調症を発症した頃から見始めたのですが、病との関係はわからないです。 でも、なんで今更この話を取り上げたかと言うと

          私の中に、とある世界があるの

          スピリチュアルに染まるのが私ではなく、個性を探ったらスピリチュアルが好きだったのが私

          考え方が好きで、YouTubeの投稿を追ったり、本を読んだりしている、尊敬するスピリチュアルな発信をしている方がいる。 その方が仰ることはとても素敵な発想で、自分もそういう考え方をしたいと思うのだが、どうしてもできないことがあった。 どうしてできないのだろう、と思っていたが、あるきっかけで潜在意識について学ぶ機会があった。 潜在意識の知識も混ぜて考えていたら、もしかしてこれかなと思う原因に気づいた。 スピリチュアル的な考え方は好きで、今までガチガチにルールで縛って生きてき

          スピリチュアルに染まるのが私ではなく、個性を探ったらスピリチュアルが好きだったのが私

          運は立体状の形をしてるんじゃないかな

          スピリチュアル、好きです。 占いも、好きです。 でも、どちらかと言うと占い派かな。 スピリチュアルは考え方の分野だと思ってて、占いは運の仕組みを説く理論という認識。 で、占いの方に焦点を当てて、個人的に考えていることを書いてみる。 今まで調べてみた占いは、どれも周期的に運が巡っているものばかりでした。 運には周期があるようです。 でも、不思議なことに、占いによって周期(波)の年数が違うんです。 同じ「運」を扱っているのに、周期が違うって不思議ですよね。 思うのは、運自体

          運は立体状の形をしてるんじゃないかな

          情報収集家と情報分析家と情報発信家

          タイトルは私の造語です。 あくまで私の考えなんですけど、これからの時代、情報の拾い方が重要な世の中になると思ってます。 「情報屋(仮)」という職業ができて、その地位が上がってくるんじゃないかなとすら思ってます(もうそういう傾向があると思うけど) 情報屋って、なんか秘密のお仕事的な響きがあるけど(言葉の選び方の問題)、たぶん表立ってそういう職業ができるんじゃないかな。 で、情報屋というのがどんなお仕事になるのかな〜というのを、妄想したいと思います。 情報屋には3種類の仕事があ

          情報収集家と情報分析家と情報発信家

          言葉はエネルギーで質があるんだと思う

          言葉には質があるのだと思う。 気持ちがどれだけ込められているかというべきだろうか。 気持ちが込められているほど、その言葉はエネルギー(と言うのが一番しっくりくるかな…)が強い。 そして、エネルギーのこもった言葉で、自分のことを想われた言葉を浴びると、人は気持ちよく感じるようだ。 ただ、エネルギーが強い言葉を発するということは、言う方はそれだけ消耗する。 自分のことを想った言葉が欲しいという人がいる。 それは普通のことだが、想った言葉を貰う味をしめて、想った言葉を言ってくれ

          言葉はエネルギーで質があるんだと思う

          自分が安心できる言葉を、自分に

          自分を大切にすることって、とても大事。 以前の私は、全然できていなかった。 自分を大切にするやり方すら知らなかった。 自分が自分のために、トキメキを覚えた商品を買うのも良い。 疲れている時は休憩を多めに取るのも良い。 自分を大切にするって、物質的に与えるだけじゃない。 気持ちも大切。 自分がリラックスできたり、安心できる声掛けを、自分自身にすることも良い。 尊敬する人が言っていた。 「自分の発する言葉を一番聴いているのは、自分の脳みそなんだ」 と。 自分が自分にかける言

          自分が安心できる言葉を、自分に

          自分を認め、信頼し、他人をも認める

          ※自己肯定感や自己承認等々、似たような言葉がごっちゃになっているかもしれません。あと深夜で寝ぼけてます。 最近、自己肯定感や自己信頼感を増やしたいと思っている。 今のややキツめな自己肯定の仕方では無理があるなと思えてきた。 いくら自分に自信があると思い込ませようとしても、自分を認められない原因を解消しないとできない。 周りから褒められたりすれば自己肯定感などが増えると思っている方が多いかもしれないが、残念だがそれだと一時的な満足感で終わってしまう。 褒められ効果が消えると

          自分を認め、信頼し、他人をも認める

          人生は川の流れの如く

          人は流れだ。 行動の流れもあるし、歳を重ねていき老いていく流れもある。 川の流れもそうだけれど、滞ると水は腐ってしまう。 流れがあることは変化していくということ。 流れを滞らせないためには、変化していく必要がある。 言いかえれば、成長だろうか。 人間の加齢を変化や成長と捉えるか、衰退と捉えるかは人によると思う。 身体は一定年齢を超えると弱っていく。 でも、精神は加齢とともに磨かれていくものと信じたい。 人の加齢は流れだ。 一桁から始まり、10代、20代、30代、……50代

          人生は川の流れの如く

          私はどこまでいっても、私なのだ

          私は私なのだ。 私が居なければ、私は何も感じられないし、思うことも出来ない。 私は私のことを嫌いでもいい。 好きだと良いけど。 私を他人に取られちゃいけない。 それは自己犠牲になることもある。 人への貢献と自己犠牲は別物だ。 私を引いてはいけない。危険だ。 私に足すのだ。拡張するのだ。 私に人間関係や環境、チャンス、好きなもの、わくわく、色んなものを足していくのだ。 引いたら、いつか私にとって大切なものを失う。 私は私だ。 どこまでいっても、私は他の何者にもなれない、私なのだ

          私はどこまでいっても、私なのだ