幸せはどこにある?
幸せはすでにそこにある、と言うけれど、少し昔の自分はそれがわからなかった。
幸せは得ないとないもので、消費されてしまうものだと思っていた。
世界は自分の意識が作っている、という考え方がある。
じゃあ何で、意識を持ってる他人がわんさかいるの?って思うが、それは私にはわからない。
今まで生きてきて思うのは、他人は鏡のようなもので、あくまで鏡。言ってしまえばただの板。
本体は自分なのだ。
極論、自分以外は板。
自分の思考を映す板。
そういう考え方を投影というらしいね。
幸せを他人に、自分の外に求めようとしても、偽物しか掴めない。
掴めたとしても刹那的なものだったり、違ったり。
そりゃ、掴めない。自分以外は板だもの。
板は幸せをくれない。板だもの。
じゃあ、幸せはどこにあるのか。
周りに板しかないなら、目を向けるのはどこか。
…自分。
自分に目を向けることをしていない人は多い。
自分に目を向けるというのは、洗面所の鏡に映った自分を見ることではない。
洗面所では、自分の外見しか映らない。
自分の心を見ることが必要だと思う。
でも、心を見るってどうやって?
心は見えない。
だから、映し出して見やすくする必要がある。
心を映す鏡。
それは洗面所の鏡ではない。
心を映せる鏡は、他人。
他人という板。
他人を見て、他人に幸せを求めても、幸せは掴めない。
他人を見て、他人に映った自分を見るといいと思う。
自分の目では直接見れない自分の心は、他人という鏡を通すと、見える。
他人の反応は、自分の存在があるから。
他人との違いは、自分の個性を感じ取っている表れ。
幸せへの第一歩は、自分を知っていくこと。
幸せは自分の中にある。
自分を知らないと、幸せにはたどり着けない、そう思う。
自分を知ることは、自分の中への地図を手に入れること。
自分を知って、自分の好きなこと、やりたいことを知る。
自分の欲しい幸せは何か、それを手に入れるには、どうすればいいか。
徐々に道ができてくる。
いつか幸せを掴むときには、あなたはどうなっていたい?
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