#44 社会人編 〜こたつとみかんと私〜
日本人らしい冬の過ごし方とはなんだろう。
そう言われて思いつくことは数多くある。
鍋を囲ってみんなで食べること、ストーブに手を当てて温まること…まあ色々とあるだろう。
雪の多い地域であれば、もしかしたらスキーや雪合戦なんていうのもあるのかもしれない。私の地域では雪が降ることはまぁないので、そんな過ごし方は夢のまた夢と言ったところだが。
では、私の思う冬の過ごし方とはなんだろうか。
一番真っ先に思い浮かぶのがやはり、“こたつでみかん”だろう。
なんと言ってもこれに限るというものだ。
まず、こたつというものを発明した人は日本人数世紀に渡る天才だと思う。
こたつは2021年となった今日でさえ未だ、めちゃくちゃ寒い冬でも生活を温かくしてくれるソウルアイテムと言える。
あのこたつ特有のジワジワくる温かさが最高なのだ。
とある童謡に“猫はこたつで丸くなる”なんて歌詞があるが、ねこに限らず大抵の日本人は、こたつで丸くなった経験があることだろう。私もその一人だ。
寒い冬の如何ともし難い厳しい風を掻い潜って家に帰ると、
「おかえり、待っていたよ。」
と言わんばかりの包容力で私を迎えてくれる…あ、こたつの話である。
まあ、実際そこにあるのは布団の挟まった正方形のテーブルなのだが。
そして、その柔らかな布団の中へ一歩足を踏み込めばそこは理想郷。そこでずっと生活をしていたくなるような、幸せを提供してくれる。
そんな素晴らしい叡智の結晶がこたつなのだ。
だがこたつでも唯一提供できない欠点がある。
それは、食べ物である。
人間一つの幸せを手に入れてしまうと、新たな幸せを欲しいと思ってしまう大変贅沢な生き物なのだ。
冬に温かさという幸せを手に入れてしまうと、今度は
「なんだか、お腹が空いてきたな」
という具合に次の幸せを求め始めてしまうのだ。
そしてこればっかりは、こたつには提供できない幸せなのだ。
そこで活躍してくれるのが、冬の食べ物の代名詞“みかん”である。
実を言うと、子供の頃はそこまでみかんが好き!というほどではなかった。オレンジジュースが好きだったのだが、みかん、という果物が好きではなかったのだと思う。
しかし、時が経つにつれてみかんという果物がいかに魅力的な食べ物かを実感することになるのだ。
みかんはとにかく栄養にいい。もちろんみかんさえ食べていれば健康、というわけではないが、ジャンクフードにまみれた私の生活からすると、みかんは唯一残された栄養源、最後の砦なのだ。
ちょっと言いすぎたが、それくらい私のために栄養を提供してくれている。
そして水分補給という点でも、デザート感覚という点でも、こたつで食べるみかんは、その美味しさは10倍にも20倍にもなっているのだ。
こたつ温かしといえども、やはりずっといると体の水分が失われ喉が渇いてくる。
しかし、喉が渇くたびにこたつからでて冷蔵庫に足を運んだり、何か温かい飲み物を淹れるというのは、みすみす手に入れた温かさという名の幸せを逃してしまう。
その点みかんはどうか。
こたつにずっと淹れるので、一切幸せを逃すことなく水分を摂取できる。そして、ある程度まとめて置いておくことで、自分が欲しいなと思った時に手軽に食べることができるのだ。常温である程度放置できるというのも良い。
これがりんごだったらそうはいかない。
まず冷やしておかないと、あっという間に酸化してしまい色が悪くなる。そもそも冷やしておいた方がりんごは美味しい。
そしてむくのにも時間がかかる。
一口大なり、食べやすい形に小分けし、芯の部分を切り取り、人によっては皮も剥かなくてはならない…大変めんどくさい。
その点みかんは、包丁もいらずてで皮をすいすい剥ける。
そして一口分がもう分けられているので、手で簡単に切り離せる。
なんて食べやすい果物だろうか。
別にりんごを嫌っているわけではない。りんごだって美味しい。しかし、食べやすさでいうと断然みかんの方に軍配が上がるだろう。
そんなわけで、こたつとみかんの組み合わせは冬の生活において最強の組み合わせだと思っている。
しかし、気をつけなければならない点もある。
それが睡眠の誘惑である。
これだけの幸せを提供してくれるからこそ、こたつでぬくぬくし、みかんを食べ、ごろごろと丸くなっていると、眠くなる。
この誘惑に私が勝てたことは、過去何度あっただろうか。
気持ちよくなり、
「こたつで寝てはだめだ。だめだ、だめだ…」
と割とすぐに陥落し、夢の世界に旅立ってしまう。そして、起きてきた時に改めて後悔するのだ。
こたつで寝るとまあ体調が悪くなる。
体は全体的にだるいし、節々も痛くなっている。そもそもこたつ自体が寝るためのものではないので当たり前なのだが、とにかく体調が悪くなる。
それでも寝てしまうのは、こたつがやはり魔性の道具だからだと思う。
最近、自分がだめになると一念発起し、こたつを仕舞い込みその幸せを感じられないように追い込んだのだが、今度は実家にあるこたつに入りにいくようになった。
こたつが悪いのか、はたまた私が悪いのか、この論争はまだしばらく結果が出そうにない。