偶然が重なるキャリアの話
今年の4月。
いよいよ私が社会人何年目なのか、パッと出てこなくなりました。
昨年まではすぐに言えたのに、おかしい。。
正解は8年目。
それほどまでに働く年数を意識しなくなったということだと捉えています。
9年前の春、今の会社から内定をもらった直後、大学の友人から「続くんかな…?」といわれた私。
その時は全く先のことは見えず、「どうだろうねぇ…」としか返せませんでしたが、何だかんだ続いて今に至ります。
もちろん続けることが必ずしも良いわけでもありませんが、紆余曲折でも「こんな人生もあるんだよ」と、今やこれからのことについて少し悩みを持つ少しでも多くの学生さんや若手の社会人の皆さんに参考になればいいなと思い、このnoteを書いています。
時々ふと、学生の頃思い描いていた姿とは程遠い人生を送っているけれど全ては重なりつながっていて、むしろ面白いなぁ…と思うのです。
私はどんな人?今の会社と出会うまで。
メーカーに勤めるOLです。入社8年目。
実は私、今の会社にほどんど興味がなく、フラッと門を叩きました。
当時、会社へのエントリー方法は電話。
指定された時間にかけたら興味を持った理由を聞かれ、当たり障りのない当時考えていたことを話し、説明会の案内をもらい参加しました。
とりあえずエントリーシートも出そうかな…と考えていたのですが、大学の図書館で書類整理をしていた際に目に留まったエントリーシートを見てハッとしました。締め切り日が翌日だったのです。
慌てて出す…そんな状況でした。
10年以上抱いていた夢を自ら辞めた就職活動
私には小さい頃からある夢を持っていました。
テレビの世界で働くこと。
最初はアナウンサーでしたが、その後はテレビの記者を目指していました。
小学校3年生の春に初めてお台場に行き、フジテレビの丸い展望台を見て「ここで働く!」と決めて大学まで突っ走り、見事に合格した第一志望の大学でジャーナリズムを専攻。
授業もきちんと受け、ゼミもそれなりに取り組む。
そんななかで迎えた大学3年生の秋。就職活動がスタート。
ここで大きな壁に当たります。
テレビの記者として「何を伝えたいのか?」がなかったのです。
そこまで真っ直ぐに突っ走ってきたものの「テレビの記者になる」ことしか考えてこなかったのです。つまりはただの憧れ。
結局10年以上描いていた夢を諦め、方向転換。
とはいっても「ここだ!」と思う企業もあまりなく、少なからず興味を持っていた「健康」にまつわることをしている会社をピックアップ。
そのなかに今の会社はありました。
進んだ面接で意外にも楽しくお話しすることができ、運良く内定をいただいたのですが、ほぼ同タイミングで、当時一番行きたいな…と思っていた会社からお祈りのご連絡をいただくことに。
「最終面接まで行ったのに…人生が終わった」と一晩泣き明かしましたが、「(今の会社でも)何だかいろいろできそうな気がする」と直感で入社を決めました。ここで就職活動が終了。
結果的に最終面接まで進んだ第一志望の会社がダメだったのも、神様のお告げのような気がするくらいに、その後今の会社で良かったなと思う日々がやってきます。
営業先で抱いた疑問から大きな転機がやってくる
配属は小売店さんへの営業でした。
東京が拠点でしたが、担当エリアは長野・新潟。
東京拠点なのに週の半分は長野や新潟に行く生活を送ることに。
正直想定外でしたが、未来の私にとってはこれも一つのきっかけでした。
私の地元は千葉。それでも少し田舎な場所で生活には車が必要です。
20年以上住むなかで地元が徐々に廃れていく姿を目の当たりにしてきました。シャッター商店街とはこのことか…と。
長野・新潟でもたくさんのエリアを回るなかで、同じ感覚になりました。
「この地でどんな営業をしていくべきなのだろうか?」
さらに追い討ちをかけるように、入社2年目の春に5%から8%の増税がやってきました。
小売店さんも大打撃。
「そもそもお店にお客さんが来なくなった…」と小売店の方は口を揃えて言います。
地域のお店の今後はどうなるのだろうか?
単純に地域のこれからが気になり始めました。
いろいろと調べるなかで公共政策大学院の存在を見つけます。
社会人経験が2年間あれば、社会人入試枠で受験ができるとのこと。
3年目の夏にやってくる大学院受験を決意し、こっそりとお世話になっている先輩に話をしました。
そんななか、3年目になってすぐのある日。
先日この話をしていた先輩から「東北とか興味はないの?」と。
震災以降、現在も活動をしている東北のチームで公募が出るというのです。
正直そこで何をしているのか分かってはいませんでしたが、何となく私が考えていることに活動の軸が近そうだと知りました。
当時3年目。そのチームの任期は2年。
こんな若手が選ばれるのか?と思いながらも、やらずに後悔はしたくないと思い、両親にも内緒で公募を出すことに決めます。
東北へは新入社員研修のプログラムで、訪れたことがありました。
2つ下の後輩も同様にその場所で研修をしており、3年目だった私はちょうど先輩社員として現地に2泊3日で行くことになっていました。
久しぶりに現地に行き、そこで働く先輩方と話をする。
すでに公募にも手をあげ終えていたので、いろいろな気持ちが入り混じった時間でした。
その3週間後には辞令をいただき、運良く異動が確定したのです。
長野でレンタカーに乗り、移動しようとしていたところにかかってきた電話は今でも忘れません。
確実に自分の人生が動いている。自分で生きている。
そう感じました。
初めての異動・転勤・一人暮らし。
全てが重なりすぎて、いろいろな気持ちから何度涙したことか…というのは今では笑いながら話すことができる良い思い出になっています。
気づいたら価値観が180度変わっていた
平日の日中は現地で立ち上げていた公益財団法人の事務局に出向しつつ、平日夜や土日はいろいろな地域の方々とイベントやまちづくりのお手伝いをしていました。
接する方々はみんな少し上の世代。
20代半ばの私にとっては30代でバリバリと活躍される方々が輝いて見えました。
私にできることって何だろう?強みって何だろう?
今振り返ってみると、考えすぎていたな…と反省なのですが、みんなが雲の上の存在のように感じ、自分の存在意義が見出せずにいました。
そんななかでも自分のできることをやろうと、まずは目の前のことにひたすら取り組んでいた2年間。
実はこの時間が私の価値観を180度変えることになるのです。
学んだことが大きく三つあります。
一つは、「私たちは自然のなかで生かされている」。
大きな災害があった土地。
正直その場にいなかったことが苦しくなるくらいに、一人ひとりがそれぞれの経験をし、過ごしていました。
自然にはやっぱり逆らえない。だからこそ一緒に生きていこうとする姿勢。
あわせて一次産業に関わる時間も多くあり、普段食べているものの成り立ちを初めて目にして、強く認識するようになりました。
二つめは、「ビジョンを持って楽しそうに取り組む人に仲間が集まる」。
私が現地に入った2015年。
すでに東北には自分の想いを持って活動される方がたくさんいらっしゃいました。しかもそれぞれ会社を辞めて現地に入っている。
ビジョンは異なるものの、挑戦する姿はみんな揃ってキラキラしていた。
そして何か楽しそうと感じ、たくさんの人が集まっていく。
例外になく私もその一人でした。
三つ目は、「決して一人として同じ人はおらず、それぞれが個性を持つ」。
たくさんの方と出会うなかで、3月11日を含めたこれまでの経験、今考えていることなど誰一人として同じ人はいませんでした。
時々括ってしまうこともあるけれど、私はできる限り一人ひとりと向き合っていきたい。完璧な人なんていないからこそ、個性を尊重しながら一緒にやっていきたいと思うようになりました。
いろいろありましたが、結果的にはとても充実していました。
そして決まった任期はあっという間に過ぎ去っていきます。
もっといたいという気持ちもあり、正直会社を辞めてそのまま残ろうか…とも考えました。
それでも今は大学生のボランティアと同じようなことしかできない。
チャンスをもらった会社に戻り貢献しつつ、さまざまな経験を積もうと決め、もともと伝えることが好きだったので、広報への異動を志望します。
これまた運良く通していただき、東京で広報をすることになりました。
場所が変わっても自らの価値観で動き、見えたこと
これまで同じ建物に通っており、たった2年間離れただけ。
それなのに全く異なる感覚になりました。
自然に囲まれた土地から一転大きなビルに囲まれることに対して違和感を持ち、また自分の意思で貫ける範囲の限界を感じるように。
それでも目の前の仕事はこなしつつ、引き続いた東北でのご縁から東京で行うイベントのお手伝いをさせてもらったり、気になるイベントに行くことで、社外の仲間と呼べるメンバーにもたくさん出会いました。
東京に戻ってきてまもなく3年を迎えます。
途中から社外でのインプットを社内にどんどん取り入れるのが役割だな…と自分で悟り、できる限り外に出向く日々を過ごしています。
半分は仕事、半分は自分のため。
1日の半分は仕事時間だからこそ、心地よく仕事をしつつ生活も楽しく送ることができるように。
ちょこっと勇気もいるけれど、私が考えていることや触れたものは積極的に話をするようにもなりました。
そんな生活を送っていると、ある日社外の方から「これお手伝いしてくれない?」と話をいただくことも。
時に文章を書いたり、悩み相談の相手になったり。
またそこから気づくこと・開ける世界があって、面白いな…と今つくづく感じています。
偶然が重なることって意外に悪くない
長野に通っていたある日、ご飯を食べるべく入ったお店のテレビでレポートをする同期を目にしました。
その時「私はこんなところで何をしているのだろうか?」と思ってしまったのです。
当時「テレビの世界じゃないといけなかった」との想いは拭えず、その世界にいない私自身のことを認めたくなかったのでしょう。
このことは一生忘れないと思うのですが、その後さまざまな偶然が重なって、それが今の私へとつながって過ごしています。
正直、これも自分でつくっていた固定概念だったように思います。
もちろん両親や家族、応援してくれていた学校の先生には申し訳ないことをしたな…と思う気持ちもあります。
それでも今でも時々東北の漁師さんが「みんなで食べて!」と家に新鮮な魚をたくさん送ってくださると、家族は大喜び。
「今まで食べたモノとは全然違う!!」という両親の姿を見ると、嬉しくなるし、良かったなと思うようになりました。
こう思えるようになったのも、東北に行ったからなのかもしれません。
それも担当が長野や新潟でなければ考えなかったことでしょうし、そもそも今の会社に入らなかったらこれら全てのことはなかったのだと思います。
さまざまな出来事に遭遇しても、結局は未来につながっていると考えるようになりました。「あの時…」と思い返すといろいろなことが出てきますが、全てその程度のものなのかな…と。
固定概念のレールからあえて外れてみる
私は「誰かのために動くこと」が好きです。
だからこそ小さい頃から目指していた目標に向かって突っ走っていました。
多分応援してくれる方がたくさんいたから余計に頑張れたんですよね。
でも私の場合、ゴールと目的がごちゃごちゃで、たくさんの人と一緒につくったレールを途中で外れました。
最初の1回目は「本当に良かったのかな?」と思うばかりでしたが、2回目になって時にレールからあえて外れることの大切さを学びました。
もちろん外れる時には不安になるけれど、外れたからこそ見える世界が確実にありました。意外に悪くない、むしろ良かったと振り返って思います。
「〜じゃなきゃいけない」と都度思いながら生きてきたこれまでの人生。
性格の問題だと思いますが、意外に外すことが難しいと感じています。
本来、日常の小さいことで経験もできるはずなのですが、私の場合は結構大きな場面で遭遇することになりました。
変わらないことなんてない
24時間365日、同じ時間はありません。
社会も変わるし、人間の細胞だって変わる。
だからこそ個人的には考えていることや思うことが変わることは、大いにあっていいと思います。
日々生活を送るなかで「何がしたいのだろうか?」「本当にこのままでいいのだろうか?」と思う人もいるでしょう。私もあります。
でも結局、誰一人として同じ人はいないからこそ、まずは「自分の人生を心地よく生きる」ためにどうしていこうか?と考えています。
リモート勤務をするようになってから、毎朝必ず散歩をしています。
平日の朝に散歩をすることはほとんどなかったので、初日には発見がたくさんあり、驚きでした。
今でも普段とは異なるルートを歩くと、これまでには気づかなかったことがあります。
そんな些細なレールを時々外れながら、新たな発見からまた「私の心地よさ」を見つけています。
せっかく生きるのであれば、楽しく生きた方がいいのではないか?と思うし、それは最終的に自分で選択をしていくことなのだと思います。
とはいっても…と思ったら
もちろん、うまくいくことばかりではありません。
私も日々「もっとこうだったらいいな」「あの人のようになりたいな」と思いますし、考えてばかりいると思考の負のループに陥ってしまいます。
だからこそ、まずは何か興味のあることや気になることをやってみる。
そこでの発見や気づきを大切にしながら、一定期間継続させてみると何となく見えてくることがあります。
そして誰か一人でもいいので、話すなど発信をしてみたらいいかな…と思っています。
小さくても思考の固定概念からうまく抜け出す方法を探った結果、私はここにたどり着きました。
私自身もこれから先どんな人生になるかは分かりませんが、これまでの経験から「自分の人生を心地よく生きる人を増やしたい」と思っています。
固定概念に囚われず、時に覆すことをしていきたいなと。
私の力ではどうしようもないことも起きますが、社会のために本当に大切にしたいコトやモノを見極めながら、広め、残していきつつ、振り返るきっかけをつくっていこうと考えています。
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長くなってしまったけれど、読んでくださってありがとうございました。
私自身、本当に普通のOLです。有名人でも起業家でもない。
それでもいろいろなご縁に恵まれて、今を生きていて、素直に幸せだなと思います。
人生に正解はないし、あくまでもこれも一つの例にしかすぎません。
それでも私が同じ状況でたくさんの方に助けられてきたので、今度は私が読んでくださった方のサポートができたらいいなと。
もしも「思考のループに入ってしまった」「アクションをしてみたけれど誰に話をしたらいいか分からない…」などあれば、壁打ちのお手伝いさせてくださいね。
(2021年1月追記)
コーチングを学び、2021年からはコーチングセッションを始めました。ご興味あれば、ご覧ください。
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ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。