
みんなが「挑戦できる」社会をつくるために必要になる最低限の「守り」の話。
入社8年目のOLが考える、COMEMOのテーマ企画。
今回のテーマはこちら。
仕事は「守る」ものなのか?
タイトルを目にした時、ふと感じた「守る」との言葉。
確かに私は会社員として守られていることを痛感しています。
特にコロナが猛威をふるうようになってからも、基本的には仕事はある・お給料は今のところ変わらずにいただける…。
今回は一人ひとりの状況が細かく異なるが故、正直発言もしにくい状況だなと感じています。
そんななか今私が感じていることをあえてストレートにいうと、「守られてしまっていることに対して申し訳ない気持ちでいっぱい」になっています。
ホワイトカラーの正社員、独身で比較的悠々自適な生活を送る私。
たくさんの支えがあってきた今日までに感謝をしつつ、これからの未来に向けて、どう一歩をつくるのか。
そんなことを日々考え、時に手を動かしています。
だからこそ、そんな私は今「攻める」人なのだと考えています。
「守る」人と「攻める」人がいていいのだと思う
平時だからこそ、なのかもしれない。
しかし普段の生活のなかでどれだけの人が労働組合の存在から「会社に守られている」ことを実感しているのでしょうか。私の純粋な疑問です。
ちなみに私が会社の労働組合を意識し始めたのは、3年目になってから。
大きな拠点にいたそれまでは、就業後にあった集まりにもほとんど参加したことがありませんでした。
小さな拠点に転勤したので、みんなで組合長の話を聞く習慣がついて、ようやく「守られていること」を感じるようになった私。
決して見えないけれど、交渉をしてくださることで、私の生活があるのだと感じるように。
そしてまだ一社しか勤めておらず、時々する他社の人との会話でも深い話になるわけでもない。他の労働組合の様子はまだまだ想像でしかありません。
どんな組織であっても同じですが、映画でいう出演者ばかりの会社は撮影部隊がいないと映像にならないし、撮影部隊ばかりでも演者がいないことには映像がつくれず映画にもならない。
一定のバランスが整ったうえで、その時の社会状況に応じて、いつどのような配役でつくるのか調整をしていく必要があると考えています。
そしてそれは社会でも同じなのではないでしょうか。
攻める人にも一定の保障を
最近ではギルド式やフリーの方々が、自由にチームを組むケースが多々増えてきました。
ある種、想いに共感し合い集ったチーム。掛け持ちをしても良い。
さらにはこういった集団が、社会への一大ムーブメントを仕掛けることも。
一方で、これら組織に属していない方々には国の「守り」のネットワークが薄いとの今回の話。
社会で生き、少しでも社会を彩るひとつとして活動をしていこうとしている彼らは「組織」という一つの門をくぐっていないだけで私たちとは状況が一気に変わります。
そんな状況を私の感情を素直に表現すると「なんかおかしい」なと。
もちろん入るかどうかは人それぞれですが、組織と一定、同程度の「守り」ネットワークもつくらないといけないのではないか?と考えています。
それでも権利があることで、一人ひとりの能力はより発揮されると考えますし、これからの未来はみんなでつくっていくものだからこそ、最低限の保障はみんなにあった方がいいのではないか?と考えています。
みんなが「挑戦できる」社会を
もちろん状況に応じて、スタンスが変わることは否めません。
そして一人ひとり、誰一人として同じ人はいないからこそ、一概に「守る」ことも簡単ではない。
それでも『一人ひとりが「何かやりたい」と思った時に、自分のなかで「できない」理由が物理的な問題であることはできる限り減らしていきたい』と考える私。
私は今回、コロナの影響が様々なところに出てきたときに、まずは私にできることとして、一次産業など生産者の皆さんから直接買ったり、テイクアウトを利用するなどを始めました。
もちろんここに辿り着くまでに、物流の方などたくさんの方にお世話になりました。
それでも今は「攻める」状況である私が今できることを考えた先にあった答えがこれでした。
もちろん私の力も微々たるものでしかないけれど、これからみんなで小さくても「やってみたいことに挑戦できる」社会にしていくため、最低限の保証はみんなにありながら、「攻め」「守り」それぞれのバランスを個々で保ちつつ、みんなで支えあえる社会をつくりたいです。
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