"もどかしさ"の価値観
センテグラフ #3
前からずっと言っている気がしますが、僕は劣等感と不安に支配されている人間です。
自信と不安が同居する僕の心は、歪なバランスだと思います。
相反するものが共存しているわけですから。
これも前したような話で申し訳ないですが、僕は周りが"すごい奴ら"が集まる環境で生きてきました。
そういった環境は実に恵まれています。
皆良い奴で、単純に人間としてのレベルが高い人ばかりです。
コミュ力最強,モテる奴,秀才,皆が認める人柄,何かしらの目立つ特技…
仲間にするには最高な奴らです。
ただ、僕はそれを羨む日々でした。
僕にないもの、それも素晴らしい能力を持つ奴らに囲まれれば、自然と劣等感と不安に蝕まれてしまうことも無理はないでしょう。
誰かが"自分にとって凄いこと"をするたび、僕は考えます。
どうして俺にはできないんだろう?俺は何をしてるんだろう?
俺は情けない。周りはできているのに、自分にはできないことだらけなんて。
既に恵まれた環境にいるのに、これ以上を求めている自分は求めすぎなのでは?
今思うと、こういったことを考えていない小学生時代も、これを感覚的に捉えていたのかもしれません。
今でも同じです。
色んな感情や考えが複雑に絡み合い、僕の心にもどかしさを漂わせる。
そのもどかしさをずっと抱えて生きてきた。
そんな心の持ち方は、きっと一生変わらないのだろうと思っていた。
けれど、最近少しだけ変わりつつある。
ここ最近の経験で、僕は新しいことを知った。
やれないこと,到底無理で出来ないことと自分が思ったとしても、少し我慢するだけで出来るようになってくる。
それも、理屈を無視したような、思いがけないタイミングで一気に伸びる。
気づいたら出来るようになっていた、みたいな。
少しづつ伸びるわけじゃなく、ジャンプアップするように。
それが自分の特徴だと気づけた。
それに気づいた瞬間、少しだけ自信が増した。
周りができていて、自分ができていないように見えることでも、だ。
ここ最近は"どうしてできないのか?どうやったら出来るのか?"と考えることが多かった。
意図的に思考を増やしていたからである。
自分は感覚的な部分に頼って、考えることをやめていると思っていたから。
元々、自分は能力ある人間だと思う節がある。
なんなら、常に自分はなんだって出来るという気持ちを持っている。
そことの乖離が、認められなかったことが大きい。
俺だってできるのに。
そういう気持ちが強く出てしまっていたかもしれない。
ただ、感覚的なものに自分にとって大切なことが残っていた。
歪なバランスを整えようとするあまり、少し自分に合わないバランスになっていたのかもしれない。
だから、ここ最近は堅い気持ちが薄れつつある。
無理に思考し続けることをやめたから。
ただ、もどかしさは消えていない。
やっぱりもどかしさだけは、常に自分の心に漂い続ける。
それが僕の宿命だとも思っている。
元々もどかしさは嫌いじゃない。
もどかしさを感じすぎる時のメンタリティーは、よくわからないけど落ち着くものです。
もどかしさと仲良くなってしまったのかな?
でも、もっともっと仲良くなれそうな気がします。
もどかしさが僕に与えてきた毒を、今度はエネルギーに変えられる気がしています。
何かに取り組む時、メンタルをどっしり構えて我慢すれば、自分はなんだって出来るんだと、そう信じることが出来るようになったから。
劣等感と不安がベースのもどかしさは、僕を強くします。
奮い立たせてくれます。
口だけだった自信は、明確に示せるものになりました。
高校3年間で、ここまで気づけた自分を誇りに思います。
もどかしさと暮らすこの先の人生が、楽しみで仕方ありません。
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