間を作り往なす
センテグラフ #4
久しぶりに書く気が起きた。
新生活が始まり、忙しくも恵まれた僕は、素晴らしい人々に囲まれ楽しい日々を過ごしています。
ここ最近は自分のことをあまり見つめすぎることはなかった。なぜなら楽しかったから。
人といる時間が増えれば当然のこと。
人といる時の自分と、独りでいる時の自分が別人である僕には尚更なのです。
最近は余裕が出てきて、少しづつ前のネガティブに己を見つめ続ける自分が戻ってきている感覚があります。
独りの夜の意識改革は、いつも僕に生きるヒントを与えてくれます。
その感覚が、最近戻ってきていることを嬉しく思います。
ここ最近、落ち着きと余裕がない自分が嫌いです。
それは今に始まったことではないのです。
昔から僕はそう。人といる時は落ち着かない。
メンタルも強いわけではないから、余裕もない。
周りにもそう思われてることでしょう。
不確定な周りからの印象を自覚するということは、掴めないものを無理矢理掴んでるようなもの。
どれだけ信頼してる人でも、その仮面の下は懐疑的な目をしているのでは。
典型的な疑心暗鬼なのでしょうか。
それでも真に恨むべきは過去の己なのです。
環境が大きく変わっても、自分の人生上の課題は何ら変化していない。
課題が明確なことが必ずしも良いとは限りません。
打開できなければ、蛆虫のように心を蝕むのです。
今僕は、全方位に同じ課題が纏わりついています。
勉強もバイトも人間関係も、もっと言えば恋愛もそうでしょう。
人生の構成要件全てに該当する、途方もないことです。
改善を試み続けて、一度消えたと思ったらまた現れた。
それだけここ数ヶ月が夢かのような良い時期でしたが。
ここから数ヶ月、様々な現実に直面するでしょう。
現実は、想定外の連続です。
今の僕のレベルでは、現実と向き合えば己が食い荒らされてしまう。
落ち着けないメンタルと余裕の無さが僕の捕食者となります。
己そのものに埋没してゆく自分を見殺しにはできません。
僕には今、年齢立場相応の精神力が求められている。
いや、自分の心のヘルプサインが求めてることなのでしょう。
それでも、すぐに改めるのは難しいでしょうし、不純物を取り除き切ろうとは思っていません。
むしろ、己の焦りすらも笑い飛ばせるくらい、笑いと歓びを絶やさずに生きたい。
直面し受け止めるのではなく、いなしたい。
ネガティブ思考で考えすぎる僕ですが、力の抜きどころを良い加減心得るべきなのでしょう。
己由来の課題の答えは、己のみぞ知る。
ここ数ヶ月、変わってるようで変わっていなかった僕は、理想を目指して現実を往なします。
何ら変わってなかった自分に、僕は少しだけ安心しました。
三日月のようなしなやかさが、僕の道筋です。
p.s.
画像の作間神社は、3月に撮影したものです。新しい環境に移る前に出会っていたことは、ある意味運命なのかもしれません。
僕の苗字と同じ読み方だから画に収めましたが、間を作るってことは、今の自分にとても必要なことです。
自分の苗字の意味が、一つ増えた気がしました。
何気ないものにこそ、宝が眠っているのかも。
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