今のライブ会場と、そこに集まる人たち(美談したいわけではない)
名古屋 吹上 ライブスペース鑪ら場。どうしたらインターネットの向こうの人に、生のライブ体験のよさや自分の曲の良さが伝わるのか考えてる。
いい曲を書いて歌っていれば、お客さんが自然と寄ってきてくれる。そんな夢みたいな憧れを、僕はもうもっていないよ。
いい曲を書いて、歌って、なんやかんやいろいろやることが大事。100個くらいあるんだけど、その中で1番ちゃんとそのもののあり様が伝わるのがライブ。
僕がお客さんとして好きなミュージシャンを観に行って1番がっかりしたのもライブ(思ったよりも演奏が下手で威厳もなかったある海外バンド)、自然と涙していたのもライブ(昔の地元岐阜のあるバンドのある日のライブの名曲)。
だから、いい曲を書いて、いいコンディションを保って、いいライブをするしかないのだ。
2021.7.3(土)の名古屋 鑪ら場でのライブでは、最後に新曲を披露した。出だし、これまでの人生で確実に初めての盛大な間違え方をした。こうなったらもう終わりだ。それまですごくいい演奏をしていたんだけど、そんなことは吹っ飛んでしまうくらいに間違えるっていうことは印象深くその空間に刻まれるからね。(昔、レッドホットチリペッパーズの単独公演を観に行って曲の入りに間違えて曲が止まったことが印象的でそのライブはそのことしか覚えていない経験をしているからそう思う)
それでも、ライブが終わった後、最後の新曲がすごくよかったって出会う人出会う人みんなが言ってくれた。僕は愛ある人たちにその新曲の初めての演奏を観てもらえてよかったなあって思った。本当に幸せ。この曲は絶対レコーディングしてリリースすると決めているんだけど、この日のこのことも忘れることがなくなったと思う。
この日、観てくれた20人くらいの人のためにもいい音を録りたいと思った。(ほら、間違えたからこの日のライブはこのことばっかりになっちゃった。他の曲もすごくよかったんだよ。僕はあんまりこういうこと言わないけど、今回はそうだから言う。)
もう一つ、この日思ったことは、制約の中で開催される音楽ライブには、本当に音楽を大切にしたい気持ちが空間に見える。これは嘘だと思うかもしれないけれど、本当に見えるよ。
それはお客さんの表情でわかる。大きな声を出す人なんていない。出演者が少し可笑しなことを言ったとき、少しだけクスクスって笑い声が漏れる。もちろん、マスクの下からね。僕はとても尊い時間だと思った。そしてまた音楽が鳴らされると、みんな思い思いに身体や心を揺らすんだよ。座ったままね、少し隣の人と合間を開けたまま。
それはもはや寂しさなんてひとつもない。もうとっくにそれが普通なんだよ。人間は愛おしいと思った。どうやっても慣れながら、それでも大切にしたいものを大切にしたい人が大切にしていく。
僕はいつもライブをしにいく時、少しだけ覚悟をしていく。もしかしたら、新型コロナにかかるかもなって思わなくはない。同じように電車に乗る時、仕事で人に接する時、コンビニで買い物をする時、いつも少しの覚悟を繰り返して生活している。(この先ワクチンを打つことになるのかもしれないけれど、その時だって副作用で死ぬかもしれないなって小さな覚悟をして打つんだと思う)そして、そんな覚悟を脅かす心配をいつもマスクと消毒とうがいでリセットして生活している。きっとそういう人は、僕だけじゃないんじゃないかな。
そうやって毎日、みんなが大切にしたいものを小さな覚悟を繰り返して大切に生きているのが今だって思う。
医療崩壊は悲惨なこと、自分のもったウイルスで誰かが病気にかかるのは耐え難いこと。だから、無茶はしない。僕がこれまでの人生で育ててきた自分の心のまともな部分の感覚を信じるだけだよ。そして、自分が安心できるなって思える場所にだけ、自分の身体を動かしていく。
片道切符なんて買わないよ。今はね。行きの燃料しか積んでない飛行機になんて乗らない。ちゃんと毎日、帰るべき場所に帰って来れるように、丁寧に生活を紡ぐだけ。その一つに僕は歌を歌うことも入っているのです。
みなさま、いつもお疲れさま。
これからも大切なものを、大切に。