僕の周りと音楽と、東京で生きている人
実のことを言うと、数ヶ月前から仕事を失っている。詳しいことは書けないけれど、僕は妻ともうすぐ3歳になる娘がいる家庭をもっているのに、とにかく収入が激減したのは言うまでもないです。
それでも、生きていかなければならない。何も見捨てるわけにはいかない。だけど、生活をするということも、子どもを育てるということも、無邪気なくらいに待ってはくれない。もう無理だと、すべてを投げ捨てて逃れたいと思うときもある。それは妻もたぶん同じだろうし、おそらく妻の方がずっとそうなのかもしれない。ただ、1つだけ確かに僕ら夫婦の心にあるのは、まだ小さな娘が無用な心配をすることなく健やかに成長してほしいということだと思う。
そんな中で、というか、そんな中であるにも関わらず、僕は人生で初めて音楽をやりに東京に来ました。冷静になれば馬鹿だなとは思うけれど、馬鹿みたいに成したいとうめいて、収まってくれない心のせいで、東京へ行くことでしか進めないと思った。自分の音楽に今息を吹き込んでいくには、そうして、僕自身も正しく呼吸をしていくには、僕を誰も知らない、そして僕を受け入れてくれるだろう人がいる、行ったことのない場所へ行くべきだと思った。妻は、僕が音楽をすることに両手放しで行っておいでとは言わないが、東京に行きたいと相談をしたら、それならいいよと承諾をくれ、1日じゃもったいない、もう1日くらい組みなよと言ってくれた。
どういう思いがあるのかは分からないけれど、僕はがんばれの言葉よりも、遥かに嬉しかった。
育児は並大抵の気持ちじゃできない。父母両方が家にいて、やっとぎりぎりだと思う。今の僕らは、なのかも知れないけど。母親たる人の前で、育児というのは、と堂々と語れるほどの者にはいつまで経ってもなれないのだけれど、その娘の将来をいつもどこかで考えざるを得ない良心に従った上で、自分の欲と体力に踏ん切りと紛らわしを押し付けながら、食事を作っては片付け、外や内で一緒に遊び、時間を自分で考慮しながら、四六時中イレギュラーに来る要求に応えて、朝から夜の眠りに就かせる。取りこぼしていることは無数にあるけれど、その繰り返しの中で生きている。母親がやるもの、という社会的な無言のプレッシャーに母親は苦しんでもいる。
それらを、一緒に、やろうと僕は今も試みているけれど、その苦しみが完全に拭えることはないと思う。ただ、もう1つ、夫婦の間で確実なのは、わが子が愛おしくかわいいという気持ち。それはとても無条件に。
そういう状況の中で、東京にまで行って音楽をすることは、家庭にとってデメリットしかない。僕の私欲だと思う。だから、2人には感謝をしても、し尽くせないけれど、僕は落ち込んでいる心持ちにはなりたくない。せめて、行く前以上に心身共に元気に帰って、その顔を妻に見せたいし、娘とはたくさん遊んでやりたいと思うのみです。
そうやって僕は、東京に2日間出ることができた。観光などは特にしていないし、住んだらしんどいことがきっとたくさんあるんだろうけど、東京は音楽をやる意味が浮き彫りになっているような気がした。というか自分がそれをする意味を浮き彫りにできた気がした。音楽は、すごく人間なんだと思った。それを求めたくなる体験だった。
新宿SACT!と新代田crossingという場所で演奏をし、それから世田谷区にある友人のアパート、あと、下北沢のいくつかのライブハウスに足を運んだ。
街がずっと静かに無言でひしめき合っているように見えた。とても濃密に、隙なく、無尽蔵でありながら計画的に街があった。
そして、その中で、人が生活をしていた。髪を白水色に染めた若い母親が電車で幼い子を抱いていたし、清潔感のあるスーツに囲われたサラリーマンが快活に話していたし、酔い潰れて仕事を休んでいる若者がいた。柵と防犯カメラに守られた校庭で縦横無尽と思い思いに遊ぶ、どことも変わらない小学生たちを見たし、野菜と果物を売る郵便局員を見たし、僕を受け入れてくれるミュージシャンとライブハウスの人たちにも出会った。久しぶりに会う3人の友人とも、それぞれ別々の場所で杯を交わした。
どこの街とも違って見えた。全然、冷凍した都市ではないけれど(もはやそう思うのは、僕が一応の大人になっているからなのかもしれませんが)、岐阜とも、名古屋とも、京都とも、大阪とも、浜松とも、福岡とも、神戸とも、福島とも、鹿児島とも、札幌とも違った。悪く言えば窮屈そうな街で、みんなが、それぞれ、人間を営んでいた。健全になろうとしているような気がした。たくましいなと、僕は思った。
音楽をしに行ったからかもしれないけれど、街が音楽をどっしりと抱いている気もした。こっそりではなく、どっしりと。それは、通り過ぎる街としては、僕にとっては幸せなことのようにも思った。
この街の土台に埋もれない音楽になりたいと思う。その深くて尊大な海に溺れないようにしたい。僕はまだとても小舟だけど、仲間が増えた気もしたし、信じたいとも思った。自分を、もっと。
また数ヶ月の内に行く。なんでかは、まだよくわからないけれど、すごく東京にいたい。
すべてを幸せにすることは無理か?僕はそれを望んでいます。利己的になり過ぎることがないように、だけど、押して殺してしまうことがないように。
長々と書いた。読んでくれて、嬉しいです。ありがとう。またね。