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新型ウイルスがもたらす昔の友人との別れ道に立って

圧倒的な絶望の底に立つと、「じゃあ何をするのが希望になるのか」が見えてくる。それは生優しい「いつか昔のあの日に戻れるだろう」なんていう楽観的な希望ではなく、「上がるしかない」なんていう漠然としたそれでもない。

別の道を探ること。

僕も含め、農耕民族の血が流れている者にとっては恐ろしいことかもしれない。同じ場所で田畑を耕し、狩りに出かけては家を養ってきた民族にとっては、経験的に「やまない雨はない」と思うのかもしれない。

その逆を、遊牧民族とすることもいいかもしれないけれど、猿が猿のままでいたことと、猿が人間に進化していった別れ道はなんだったのか。それは、森がなくなった時、地上に降りて火と武器を手にしたのか、少ない木々にしがみついたのかだと聞いたことがある。

この「猿と人間の別れ道」の話が歴史的な事実であるかの検証うんぬんではない(そこは語りたいことの本質ではない)。森が無くなるという未曾有の緊急事態が起きた時、新しい場所へ歩み出すか元の場所に居続けるのかで大きくその後の進化が違ってくるということの例え話だとしても、この話から学ぶ意味がある。

環境の中で生きているのだから、環境が変われば自分も変わっていきたいというのが僕の立場。また、猿も今でも立派な猿であり、ちゃんと生命を繋いでいるのだから、それにはその美しさや美学があるのも理解できる。

どちらになりたいか。これまでの友人とは別の道になるかもしれない。それでも、生きているならば選べるのが今だと新型ウイルスの近づく足音が教えてくれている。


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