『三都メリー物語』⑬
朝からどんよりとした厚い雲に空は覆われている。昼間は15℃を越えているのに、朝は2℃といった日中の寒暖差が何日か続いた。
そんな2月が終わる頃、いつものように通勤電車は、満員で終点駅の大阪で吐き出すように人が降りて行く。
社内のデスクに着くとレイは、既に出勤していた稲垣とお互い目を合わした。社内では、そんなに話すこともない。メールだけでやり取りしているだけだ。
そんなとき、レイの上司の島田が、
「井上と森本、花本三人は、クライアントにポスターのデザインを頼まれてたのを担当してくれ。今すぐ取り掛かって」と言った。
三人は、言われた通り会議室を使って仕事を始めた。
会議室の硝子越しにその様子を見てみると、ユマは花本さんと笑いながら喋っているし、井上さんにきちんと提案しているようだ、よく平気でいられるな、自分の場合絶対笑えないし、きつい顔になっていただろうとレイは思う。
その日、定時に帰宅したレイは、直ぐに夕食に取り掛かった。蓮根を輪切りにして小麦粉にまぶし、卵と小麦粉と醤油の入った挽き肉を挟んで油で揚げる。もう一品は、セロリと茹でて冷ましたイカとレモン汁とオリーブ油と醤油と砂糖で和える。
出来上がった頃に藤岡准教授が帰宅した。二人で食事しているとき、藤岡准教授は、今日読んだ本の話をし始めた。
「普通に人々は、いただきますと言うだろう?食事前には、『命をいただきます、決して無駄にはしません』と手を合せって文章があってね、いただきますと言うのはそう言うことなんだと改めて思わされたよ」
「料理を作った人に対して、いただきますだと思ってた」
「そうだね」
藤岡准教授は、いつものように丁寧に食事を味わった。
翌朝、雨のせいか気温が暖かい。
電車の中も何処と無く湿った空気だ。傘を忘れないように電車から降りた。
社に着くと鞄をロッカーに入れて鍵を掛けておく。この日も鍵をつけたままのロッカーに鞄を入れようと、扉を開けた。
すると、鞄を置く下の網のところに、一通の手紙があった。
稲垣さんにメールをしているのは、あなたでしょ。
稲垣さんが迷惑しています。気安くメールしていいと思っているの? 会社、クビになってもいいいの?
と、不自然な、少し乱暴な字で書かれていた。
誰が書いたかレイは検討もつかない。
誰かに相談するべきか、何にもなかったかのように振る舞うか、どうすべきかレイはロッカーの小さな鏡に写る自分を見て悩んだ。