『三都メリー物語』⑰

走行中の車のフロントガラスに幾つかの雪が落ちては溶けた。仕事を終えたレイは、スーパーに寄った後、自宅アパートに帰るところだった。
アパートの駐車場に車を止めて降りると、冷たく刺すような風が肌に感じた。仕事に疲れた身体にはこの冷たい風がなおさら堪えるとレイは思う。袋に入った買い物の材料を抱え、自宅アパートの扉の鍵を解錠し扉を開けて中に入った。
灯りのない冷たい奥内は、閑散としていた。そこは、2DKでひとりで住むのにはちょうどいい広さだ。
レイは、あれから藤岡准教授とは別居している。少し時間をかけて考えたかった。大阪での仕事は辞め、アパートを急に引っ越して決めたので、レイはアルバイトとして街の郊外を抜ける主要道路の高台にあるイタリア料理店で皿洗いをして働いている。白い服装に斜めのボタン長い前掛け、そんな出で立ちは165㎝の身長のレイは颯爽として見える。
土曜日の夜は、厨房の料理も忙しく洗い場も軽く洗い後は洗浄機でさっと一分もしないうちに洗い終える。ただこの時皿は非常に熱いし皿は店がこだわって使っている皿で非常に分厚く重い。食べ終わった皿は何度も何度もカウンターの上に置かれ、ピークとなればカウンターの上に置けないくらいの皿が、洗い場に来る。しかも料理した器材もシェフが洗い場に置いていく。そうなれば洗い場に一人では無理で、四人のシェフの一人が手伝う。
よく手伝ってくれているシェフは、パテシエで作り置きが出来る事と料理が忙しい時は下ごしらえ程度だからだ。
平日、それほど忙しくない時間にレイは、そのパテシエの松田に果物を切って欲しいと頼まれる。
「このいちじくを、こんな感じに切ってもらえませんか」と言って19歳だという松田は器用にぺテイ

ナイフを使って切って見せた。
「はい、分かりました」と言ってレイは、料理は得意な方なので切っていった。
そして、切ったものを松田に渡すと、
「いちじく、私食べたことないんですよ。こんなんなんですね」とレイが言うと、
「味見してみたら?」と松田はレイにひと切れ渡した。
レイは、それを口の中に入れるとほのかな酸味が口のなかに広がった。
それからというものケーキのスポンジの切れ端をレイに、
「味見してみてください」と、松田は気軽にレイに言ってきた。洗い場が忙しい時は、いつの間にか後ろで洗浄機された皿を片付けてくれていた。

ある日、いつものように洗い場で皿を片付けていると、
「閉店時間が来たら、そのあとカラオケに行くんだけど川田さんも行きます?」と、ホールを仕切っているレイより歳上の女性が誘った。
家に帰っても誰もいない部屋に帰る事を思うと、
「一緒に行かせてもらいます」とレイは言葉に出していた。
店を終え、私服にそれぞれ着替え店の前に出ると店で働いている姿と違って見えた。仕事の緊張もほぐれたこともあってか皆和やかな感じだ。高台にあるこの店からは家々の明かりが灯り、冷たく淀みない空気がなおのこと美しく明かるく散りばめられていた。そんな背景にいた松田を見て松田君は幼い感じだ、レイはそう思った。

いいなと思ったら応援しよう!