クイズ王になりたくて。
第13回アメリカ横断ウルトラクイズ。それが全てだった。特に、準決勝のボルティモアの「通せんぼクイズ」。クイズに答えて勝ち抜けようとする者を、クイズに答えることで阻止する。なかなか通過者が決まらない本気の戦いに、私はすっかり魅了されていた。「ウルトラクイズでニューヨークに行きたい!」小学5年生にして、私の夢が定まった。
中学時代は、クイズ王になるためにクイズの本をたくさん読んだ。実母にオタクと呼ばれようが、どうでもよかった。上述の第13回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝した長戸勇人さんが、クイズについての本を何冊か出していたため、全部購入して読んでいた。特に、クイズの問題集は何度も何度も回して、
「勉強もそれくらい熱心にやったらいいのにね…」
と言われ…るわけがなかった。正直、勉強あってこそのクイズだと思っていたので、勉強を疎かにすることはむしろあってはならないと思っていた。
だけど、私の出身は所詮はド田舎。クイズの大会があっても、予選に参加するのに、どえらい交通費がかかってしまう。当然ながら親の許可を得ることも必要で、勉強(成績)のことは親の許可を得る際の道具にしようと思っていた。
中学2年の夏休みのことだっただろうか。私は実母に聞いてみた。
「3年生になったら部活も引退するし、もし仙台でクイズの予選があったら参加してみてもいい?勉強は絶対手を抜かないから。」
実母は
「そこまで言うならしょうがないなぁ~~」
と許してくれた。
そこまではよかった。だけど、その直後、
・アメリカ横断ウルトラクイズの打ち切りの発表
・病気(障害)の発症
という、個人的災害に見舞われてしまう。
番組打ち切りの発表もかなりショックだったが、病気もなかなか厄介で(ちなみに、発症のきっかけはウルトラクイズではない)。物事に本気で打ち込むことができなくなった。どうせ本気で打ち込んでも、それが一体何になるというのか?命懸けで打ち込んだとしても、打ち込む対象がなくなってしまったら、どうやって生きていったらいいのか?元々やる気のない人間ではあるが、あの無力感には耐えられなかった。物事に打ち込むことができないどころか、生きることにさえ意味を感じなくなってしまった。目の前に曇りガラスが常にあるような気分で、目の前の物事を現実として捉えることが難しくなった。そのような状態で学校に通い続けることも難しく、親の理解もなかったため家にいることも難しく、どうしたらいいのか本当に分からないまま生きていた。
その精神状態の立て直し(あれから30年以上は経っているが、まだ精神状態が立て直ったとは思っていない)に手一杯で、というより、クイズにさえ本気で打ち込むことができなくなってしまい、私のクイズ王への道は早々に閉ざされた。出場したのは、高校生クイズくらいで、その他は何の予選にも参加していないし、クイズのための対策もしていない。そのうち、大学に入ったら再開しようか…とも思っていたが、学業と生活を優先し、クイズは全くやらなかった。私は完全にクイズから足を洗っていた。
今なら思う。本気で打ち込んだものが他者から評価されなくても、自分のやりたいことに打ち込めているなら、それでいいのではないか。命懸けで打ち込んでいた物事がなくなってしまっても、それで自分までなくなることはないのではないか。むしろ、それでも生きていかなくてはならないし、生かされてしまう。なくなってしまったかつて打ち込んでいた物事の思い出を胸に、また新たな対象を探せばいい。なくなってしまったことは悲しいけど、どこかで折り合いをつけて生きていかなくてはならない。
それが現実。そう思えるようになるまで、時間がかかりすぎてしまった。
あのままクイズを続けていたら、私はクイズ王になれていたのだろうか?仮に病気にもならず、ウルトラクイズも終わっていなかったら、私は今もクイズの対策を続けていたのだろうか?答えは誰にも分からない。ただ一つ思うことがあるとすれば。一度足を洗ったクイズに、向き合えそうになっている今の自分が意外と嫌いではない、ということ。昔を思い出して少し胸は痛むけれども。
時間は無情なほどに流れてしまうけど、ときには自分の味方にもなってくれる。そんなことを痛感している今日この頃なのであった。
追記
7年前、ニューヨークに旅行に行く機会に恵まれた。当然ながら、自由の女神を見に行った。本当はクイズに勝って行きたかった場所。空の青がとても濃くて、女神はとても素敵だった。違う形ではあったけれども、「願い続ければ叶う願いもあるのか」という感覚でいっぱいだった。