金原ひとみの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を読んで
パリと東京
金原ひとみの作品を読むのは初めて。独特な世界観を持つ彼女の作品を一度読んでみたいと思っていた。
私がまず選んだのは、パリで暮らした6年間と東京に戻ってからの2年間を綴ったこのエッセイ。金原さんは、全て事実通りというわけではなく私小説のような作品だという。彼女が書くパリ生活とはどんなものなのか、なんとなく興味があった。
またタイトルにも惹かれた。なぜパリが砂漠で東京が蜃気楼なのか? パリを砂漠に例えた作家は彼女だけではないが、パリに20年住む私はここに慣れきって、砂漠と言われてもピンとこないし、東京が蜃気楼とも想像がつかない。
彼女はあるインタヴューでこう答えている。「パリは空気も人間関係も乾燥していて、地面からも焼かれるようなつらい場所でした。東京は楽しくて夢みたいな場所だけど、どこか見せかけだけ」
うーん、彼女の言いたいことがわかるような…
私もパリに滞在して10年に満たない時期は異国で住む孤独感と日本に帰った時の違和感によく戸惑ったものだ。
あらゆる宗教、国籍や人種が入り混じったパリでの生活を送る中で、レイシズムという言葉は日常でよく耳にしたり口にする。作家は、娘から差別的な言葉を投げかけられた友達の話を聞きながら、娘に「あなたは常に攻撃される側にいなさい」と助言する。そしてパリを砂漠に例えてこう書く。
「この砂漠のように灼かれた大地を裸足で飛び跳ねながら生き続けることに、人は何故堪えられるのだろう。爛れた足を癒す誰かの慈悲や愛情でさえもまた、誰かを傷つけるかもしれないというのに」71p
フランス人や在仏日本人、東京の人々との交流の中で描く作家の視点や思考をとても面白く読んだ。いきなり発狂するヒステリックなフランス人女性、自分の管轄でないと一切関わろうとしないお役所の人や、見知らぬ人にタバコ一本ちょうだいと堂々と言えるフランスの喫煙者たち…
また、パリに住む日本人、特に経済力のなさから、夫の浮気を見過ごして耐えるユミのよう女性が私の周りにもいたことや、親しくなったフランス人のアンナが妊娠をしたと知った途端に距離ができてしまうことなど、女性だから分かる気持ちの変化などに共感できた。
恋愛至上主義な作家は、パリと東京の酒場で不倫や恋愛の悩み相談を聞くこともしばしば。
自分の内面との対峙
自分を肯定できず、自分が存在することによって人を傷つけてしまう、辛い、死にたいというような言葉が赤裸々に綴られている。同じように自分を愛せない、生きづらいと思う人は世の中に多いのだろう…
学校に馴染めなかった子供時代の記憶と、常に抱える生きづらさから生じるいくつかの自虐的な行為をする中で、心身の痛みと憂鬱、孤独が彼女の人生を大きく占めているように思えた。
たとえ愛する旦那や可愛い娘たちがと幸せに暮らしても、多くの女友達に囲まれ、大好きなお酒を飲んでも、彼女は埋めることのできない実存の不安に常に押しつぶされそうになる。
「帰宅すると、ネットでピアスを検索し、サイズ違いのセグメントリングとサーキュラーバーベルとラブレットを二つずつ買った。
とにかく何かをし続けていないと、自分の信じていることをしていないと、窓際ヘの誘惑に負けてしまいそうだった。
これまでしてきたすべての決断は、きっと同じ理由からだったのだろう。
不登校だったことも、リストカットも、摂食障害も薬の乱用もアルコール依存もピアスも小説も、フランスに来たこともフランスから去ることも、
きっと全て窓際から遠ざかるためだったのだ。そうしないと落ちてしまう。潰れてしまう。ぐちゃぐちゃになってしまうからだ」(46p)
そんな彼女を心配するアンナにこう答える。
「誰か本音を話せる人がいるの?」
「大丈夫。私は小説に本音を書いている」
「ずっとそうやって生きていくの?」
「そうやって死んでいく」86p
終盤に近づくにつれ私は、作家はとても素直な女性なんだと実感した。今でも旦那さんと恋愛をしているようなことも書いていた。
「私はもともと生きづらかった。生きづらさのリハビリをしてくれたのは、母親や家庭ではなく、恋愛であり、小説だった」188p
ふと、金原ひとみという人は、小説を書けば書くほど幸福を享受できるようになるのではないのかと思った。
「偽善でも何でも、書かなければ生きられない、そして伝わると信じていねければ書けない。私は生きるために伝わると信じて書くしかない。どうやったって、この人生の中で信じることと書くことから逃げられる事はできない」148〜149 p
そして下記の言葉に私は救われた。彼女にはずっと書いて欲しいと、女友達を見守るような気持ちになっている自分に気づいて、思わず笑みをこぼしながら本をそっと閉じた。
「フランスに住んで良かった。そして帰国して良かった。異国に訪れたとき、帰ってきたと思える場所ができて良かった。自責の念と存在することへの疑いが薄れ始めた私は、自分の中でそう結論付けた」206p
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