【語り部さんの意思を継ぐ】8月6日広島、原爆被爆者の戦争体験
広島で出会ったおばあちゃん、まだお元気にされているだろうか。
もう何年前だろうか。
毎年広島県で行われる「原水禁世界大会」に参加して、各地で開かれていた語り部さんの話を聞く学習会に参加した時の話だ。
まだまだお元気そうなおばあちゃんが語ったのは、悲惨で凄惨な戦争体験。
如何なる理由があろうと、戦争は物事の解決方法にはなり得ない。
恒久平和は、全人類の願いであり、達成されるべきものであり、自然としてあるべきものだと私は考える。
必死に書き残したメモを頼りに、おばあちゃんの意思を語り継ぐ。
要所要所おかしな部分もあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
思いを繋ぎ、あなたの周りにも平和の意思を広げてもらえたらと思う。
まだ語り部の活動をされていたら会えるかもしれないが、一応名前は伏せさせていただく。
戦争とは何物なのか。おばあちゃんの戦争体験談
8歳で原爆に被爆した。
終戦間近、戦争が激化していた時期。
毎日のように空襲警報、防空壕へ避難の繰り返し。
二回の大戦は日本が仕掛けたものだ。
朝鮮から来た(連れてこられた)人も多かった。
金さんであれば金田さんとか、生活するには名前を変えざるを得なかった。
日本語しか話してはいけなかった。
朝鮮から連れてきたのに仕事は何も与えなかった。
戦争してたのは日本全国だ。
広島と長崎だけが戦っていたわけではない。
実際、焼夷弾の被害は全国各地にあった。空襲もたくさん。
赤紙をもらってしまったら1週間以内に戦地に行かなければならない。
原爆だけが戦争ではない。
母も女性も戦いの訓練をしていた。
中学生や子どもだけが残った。
兵隊が一番素晴らしいと教育を受けた。
男に生まれたら、絶対兵隊になりたいとも思った。
運動会も鬼ごっこもした覚えがない。
お国のためと節約の毎日。
「鬼畜米英」。
思想も価値観も、それしかなかった。
以前、この戦争体験について話をしたときに、食べ物がなかったという話をしたらある子どもが「なんでコンビニに行かんかったん?」と言った。
今の子どもたちはお腹が空いて仕方がないということも理解できない。
それは仕方のないことだし、恵まれた社会・時代になったことの表れなのかもしれない。
国民学校で勉強した覚えはない。
赤白旗を持たされて航空指示の練習ばかりしていた。
国民学校3年生以降は集団疎開をした。
気持ちは遠足に行くくらいの気持ちだった。お寺に預けられた。
小さな子どもたちが戦争の意味を分かっているはずがない。
ただ分かるのは、親や家族が恋しいということ。
お兄ちゃんが出征してもう二度と帰ってこないのに、なんで赤飯なんか食べるのか。
めでたいことなど何もないのに。
戦争がすべてそうさせる。
お兄ちゃんを万歳で見送った。
もう帰ってこないことも、2度と会えないことも知らずに。
8月5日は一晩中飛行機が飛んでいた。
6日の朝はみんな寝不足だった。
とても晴れていて、暑かった。この上ない快晴。
空襲警報も解除され、みんな普通の生活に戻っていた。
行ってきますと家を出た12歳の姉は帰ってこなかった。
何十年経っても。お墓には名前しかない。
弟たちは飛行機に向けて手を降っていた。
日本の飛行機だと思っていた。
「あ!飛行機!」と思った瞬間に、原爆。
吹き飛ばされ失神。倒れたまま動けなかった。
母は全身にガラスの破片を浴びていた。
「助けてー助けてー」と言ってきた人、あれはもう人間ではなかった。
皮膚も肉もすべて垂れ下がり、髪は抜け落ち、火傷で膨れ上がる体。
「水をくれー水をくれー」
何が起きたか、誰も何も知らない、分からない。
吐いて出てくるのは、ドス黒い何かしかなかった。
爆風で目玉が飛び出した子どももいた。
街中は死体で足の踏み場もないくらいだった。
本当に小さい子に「助けてー」と足の袖を掴まれたが振り返るのが怖く、そのまま、次の瞬間、「お母ちゃーん」と叫んで火の中に飲まれてしまった。
誰も何も助けることができなかった。でも仕方なかった。
ごめんなさいと置いて逃げるしかなかった。
三日三晩広島は燃え続けた。
被爆者は川に飛び込んだ。
未だに広島は原爆で何人死んだかわかっていない。
死体が臭いとか気持ち悪いとか何も感じない。
人骨を粉にして男の子の火傷に塗ったりもした。
「ピカドンにやられたんや」とみんなは言う。
でもそれが何か分からない。
食べ物も何もない。
疎開していた子どもたち、お寺から広島まで歩いて親を探しにも行った。
戦争は6000人の孤児を生み出した。
広島は戦後、ヤクザの街になってしまった。
孤児たちは生きられなかった。
ヤクザの女、買春強要、人を殺してでも生きないといけなかった。
二度と戦争はしたらいけない。日本に限らず、地球全体が、全世界が。
戦争で生き残った者に対しては差別が始まる。
全身が真っ赤、見た目でわかる。
「ピカドンが移る」、と根拠もなく。
放射線は無臭無味無色目に見えない、どこへでも拡散してしまう。
地球が放射線に侵されていく。
広島・長崎の原爆だけで話を終えてはいけない。
この前も北朝鮮がロケットを発射した。
子供は地球の宝。普通に食べて、学校行って暮らせるようにだけしてほしい。
いろんな教育がある。小学生時期は、本当に人格形成に大事な時期なのだ。
終戦の知らせを受けて、空白の10年があった。
話もしてはいけない、絵も描いてはいけない、伝えてはいけない。
語ってもよくなったと知らせを受けて、何でも言えるという自由を感じた。
戦時中も戦後のこの瞬間までも、本当に何も言えなかった。
ずっとアメリカは敵だと教えられてきた。
敵意だけを植え付けられてきた。
平和を世界に広めていかなければならないんだということを感じ、敵意という気持ちは変わっていった。
平和を訴えることを諦めてはいけない。
体験してないからイメージも湧かないのは仕方がないこと。
だけど諦めてはいけない。
語り継ごう益無き戦争を、願い実現しよう平和を。
今の日本は、世界は、平和なのだろうか。
私は子どもに関わる仕事をしているので、しっかり一緒になって考えていきたいと思う。
自分の子どもも含め、未来ある子どもたちが生きていく世界。
やはり平和な世の中を引き継いでいきたいと思う。