映画と睡眠
三秋縋さんの「恋する寄生虫」という小説を原作とした映画が明日から上映されるらしい。
恋する寄生虫はあらすじと表紙の繊細な女の子の絵に惹かれて購入した本で、私の好きなヨルシカのn-bunaさんおすすめの作家さんでもあったためじっくりと読ませていただいた。
原作が好きなので映画は見に行きたいと思う。
ただ原作のあるこの手の映画は、原作と全然違う内容に変えられている場合もあるため、それが面白い時もあるがそのせいで失望しないように注意したいと思っている。
京都アニメーションの名作だと、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も原作とアニメで内容がかなり違う。
私は映画もアニメもあまり見ないのだが、1年くらい前からNetflixを契約し始めたのでやっと見るようになった。
流行りものは大体見た。周りより遅れて「君の膵臓をたべたい」を今更見た。
三秋縋さんの話がどうしてもしたかったので映画の話から書き始めたが、あまり展開を広げられない話だった。失敗した。
話を変えさせてもらうと、以前人に話して怖がられたのだが、私は昔から睡眠をとることは一種の自殺未遂だと思っている。
人は寝ることによって一時的に意識を手放すのに、なぜまた目を覚ますことができると確信が持てるのかどうもわからない。
このまま死ぬとは微塵も思わないのか。
そういう私は昨日も、12時間は寝たのでたぶん死にたがりなのかもしれない。
そうではないと誰かツッコミを入れて欲しい。ただロングスリーパーなだけだ。
最近書いていた詩にも書いたのだが、「明けない夜はない」って言葉、微妙だと思わない?
「明けない夜がある世界」の方がずっと魅力的だと私は思うのだけど。
今日は割と夜遅くにnoteを書き始めたために内容がまとまっていない気がする。
明日はもっといいものを書きたい。
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