見出し画像

昔の「連絡網」

その昔、まだ携帯電話もメールもSNSもLINEもなかったころ。
学校から各家庭への連絡は「連絡網」というのが使われていた。
1980〜90年代くらいだろうか。
私は昭和の終わり頃生まれだが、平成の途中まではあった気がする。

令和の学生さんには信じがたいかもしれないが…当時は新学年になると、連絡網という名の紙が配られ、そこにクラス全員の家庭の固定電話の番号が書いてあった。
全家庭が3班くらいにわけられて、各班のトップバッターの家庭から順に、先生からの連絡事項を電話のリレーで伝言していくのだ。

例えばトップバッターのA君宅に担任が「明日の運動会は雨天予報のため、◯日に振り替えます」と伝えたら。
A君宅から2番目のお宅へ電話し、その内容を伝える。
それをリレーし、連絡網の最後のご家庭まで伝達する。

途中不在でつながらなかったら、一つ飛ばした次のお家にかけて、あとで飛ばしたおうちにもかけなおしておくか、留守電にいれておく。
つまり、大部分の保護者が専業主婦だったからこそ、成り立ったシステムなのだ。

(ちなみに、現在小学生の我が子の学級連絡は、アプリで一斉に通知が来る。PTAからのアンケートや、欠席連絡までアプリで完了する良い時代だ。)

その連絡網、いまなら個人情報保護の観点から、アウトということになるのだろう。
ただ、あの時代だからこその趣きもあった。

例えば、普段小学生の保護者同士というのは、懇談会くらいしか会う場がないだろうが。
連絡網が前後の家庭の親同士は、平素からわりと頻繁に、電話越しに会話することに。
すると、参観日なんかのときに、「あら、いつもお世話になってますぅ〜」みたいな会話も生まれるだろう。
当時の親の立場は経験していないが、今の親より保護者同士で話す機会が多そうだ。

また、子供の側ならではのドキドキもあった。
専業主婦の家庭であっても、親が留守にしている場合はあるし、親が働いていて子供が留守番をしている場合もある。
その場合、親が留守のときに連絡網の電話があり、子が出ると、クラスメイトのお母さんから連絡網の内容を聞かなければならない。
キチンとメモを取り、親が帰宅したら伝えたりするのだ。
ただでさえクラスメイトのお母さんと話すのは緊張するしはずかしいのに、重大な任務。

あるいは、まれに「好きなクラスメイト」の家庭が、連絡網の自分の番の前後どちらかになっていることがあった。
つまり、自分の親と、好きな子の親が「あらまぁ〜いつもお世話になりますぅ〜」みたいに話すのが聞こえるのだ。
あれは、かなりドキドキした。
今、〇〇君の家からかかってるのかぁ…どんなご家庭なのかなぁ…お母さんいつも優しそうだなぁ…とか。それはもう、ドキドキするのだ。

そんな、いろんなドキドキと緊張をつなげる連絡網。

今はなくなってしまったが、なかなかおもしろかったなと思う。

タブレット端末を華麗に操るわが子を見ていたら。
そんな時代があったんだよ、となんだか書き留めておきたくなったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?