【この広い世界のどこかで】
だいすきな映画にまつわるエッセイを書けるときの幸福感は、何物にも代えがたい。すきな映画のほとんどが邦画なのだけど、なかでもとびっきりお気に入りの作品がある。それが、『しあわせのパン』だ。
三島有紀子監督作品。大泉洋、原田知世が主演を務める。舞台は北の大地、北海道の月浦。美しい土地で紡がれる柔らかな物語は、するりと心のなかに溶け込んで良い香りと少しの切なさを残していく。
おいしいものを食べ、大切な人を正面から愛し、美しい景色を抱きながら生きる。そんな日々を営むのは決して容易くない。だからこそ、私は焦がれてやまないのだろう。カフェマーニを営むりえさんと水縞くんの姿は、私の憧憬と深く重なる。
人と人は寄り添い、支えあって生きていける。それでも、誰かが肩代わりをするわけにはいかない荷というものが、人にはある。
このエッセイを書くにあたり、本作の映画と原作を読み直した。映画もさることながら、原作本もまた素晴らしいのだ。映画にはない描写の一つとして登場する水縞くん(大泉洋)の日記。巻末付録の『月とマーニ』の絵本。そこに綴られている言葉の温度感が、私はすきだ。特に『月とマーニ』に出てくるマーニの台詞は、空で言えるほどである。
お月さまはある日、マーニに「太陽をとって」と頼んだ。しかしマーニは、「一緒にお空にいるのがまぶしい」と訴えるお月さまに、きっぱりと「NO」を告げる。
「だって太陽をとったら君がいなくなっちゃうから」
そうして、お月さまを抱きしめながらこう言うのだ。
「大切なのは君が、照らされていて
君が、照らしているということなんだよ」
映画にもこの絵本は度々登場する。原田知世演じる「りえさん」の初恋の相手が「マーニ」であることに、私はとても共感した。こんな台詞で温めてくれる人なら、恋に落ちるのも無理はない。
映画も原作も、淡々と続く日常の描写に思わずため息が漏れる。テーブルに並べられた季節のお料理。焼き立てパンと赤ワイン。淹れたての深煎り珈琲。そのどれもが美しく、視覚的に味わうだけで心が満たされる。特別大きな事件もなければ、目を見張るような驚きもない。だからこそ、私は深く安堵する。
本も映画もわりと雑食で、底知れぬ闇を描いた作品からポップな恋愛ものまで幅広く好む。ただ、神経がぴりぴりしているときに無性に欲するのは、こういう日常の風景を丁寧に描いた作品であることが多い。落ち込んでいるときはその逆で、むしろ闇深い作品を好む。理由はよくわからないが、この傾向は昔からのものだ。
深い穴に堕ちていく感覚に捉われながら東野圭吾の『白夜行』を読む。昂ぶった神経を持て余しながら『日々是好日』を観る。そうやってその時々に望むコンテンツをしっかり味わう時間は、私の心に揺るぎない休息をもたらしてくれる。
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『しあわせのパン』は、忘れがたい台詞が数多く登場する。そのため、メディアで書かせていただいた記事のなかにすべては含みきれなかった。実際に作品を味わってほしいので、すべてを書ききる必要はそもそもないと思っている。ただ、あと一つだけここで紹介させていただきたい。
「でもまぁ、他人じゃどうにもできねぇこともあるから、それは自分でやってね」
地元の野菜を主人公たちが営むカフェに届けている、農家の広川さんの言葉である。
「困ったことがあったら何でも言ってよ」
そんな台詞をかっこよく決めた主人の言葉に継いで、妻役を演じる池谷のぶえさんがさらりと言うのだ。何でもかんでも「自己責任」で片づけてしまうのは、あまりにも冷たいと感じる。しかし、この台詞が持つ真実味を私は否定できない。
最後は自分でやるしかない。生きていくというのはそういう場面の連続であり、その大変さに心が折れそうになったりもするけれど、泣きながらでも食い下がってまずは今日を生ききるのだと、そんな心持ちでここまできた。
人生を投げだしてしまいたい。そんな夜を一度たりとも経験せずに生きてきた人など、おそらくいないだろう。それでもこうして生きているのだから、人は案外しぶといものだ。あなたも、私も、みんな案外しぶといものだ。
そんな人にこそ、この映画をぜひ観てほしい。心が深く呼吸できる世界感に身を浸す。束の間だとしても現実から視点をずらし、心地いいと感じられる映像のなかに自身を溶け込ませる。正直それで何が解決するわけでもない。現実の何かを変えられるわけでもない。でも、ひと息ついた心は柔らかさを取り戻す。困難に向きあう際、自身の余白がゼロの状態ではぬかるみにハマる。一旦離れる。そういう選択肢が必要なときもある。
タイトルの通り、人を「しあわせ」へと導いてくれる。そんな作品に出会えたこと、作品への想いを書く場所を与えていただいたことに、心から感謝したい。
広く伝えたいもの。知った人がしあわせな気持ちになれるもの。この二つが合致するものを書いているとき、心がしんとする。凪いだ状態で書いた文章。大きな起伏を伴わないそれを広く読んでもらえることが、今の私の一番の課題でもある。
月浦の広大な景色を脳裏に思い浮かべながら、夜が更けていく空を窓から見上げた。この広い世界のどこかで、今この瞬間にも『しあわせのパン』を味わっている人がもしかしたらいるかもしれない。そんな想像を楽しむ時間もまた、私にとってかけがえのない、“しあわせなとき”である。