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それでいいのだ

優しい気持ちが持てないときがある。

自分の中の黒いものが、ふつふつと煮立っているとき。忙し過ぎて余裕がないとき。突然降ってわいたような出来事に、心がわたわたしているとき。

自分という人間のことだけに心も脳もフォーカスしてしまって、視野が極端に狭くなる。

多分私は、元々の視野があまり広くない。一点が気になると、もうずっとそこが気になってしまったりもする。余裕がないときは、さらにそれが変なかたちでエスカレートしてしまう。


波は定期的にやってくる。原因も分かっている。でも今の私には、その根本的原因に立ち向かってやっつけるだけの根性や気概がない。自分の中での主張は腐るほどあるのだけど、多分それは表に出した途端にただの「言い訳」になる。


優しい気持ちが持てないとき、私は即座に色々なものを閉じてしまう。不用意に人を傷付けないように。八つ当たりで刺のある言葉をぶつけることのないように。Twitterやnoteでの会話、コミュニケーションも閉じるし、友人からの誘いも全て断る。

それは優しさからくるものではない。私は、私の放つ言葉で誰かが傷付いたり追い詰められたりすることが、極端に怖い。


感情の起伏が激しく、すぐに笑うしすぐに泣く。それと同じくらい、私はすぐに怒るしすぐに落ち込む。

昔、幼馴染に「お前ってトランポリンみたいに忙しいやつだよな」と言われた。その通り過ぎて返す言葉もない。要するにアップダウンが激しいのだ。


もっとフラットに生きたいなぁ、と思う。自分の感情の波に溺れそうになるたびに、やれやれと思う。昔よりは受け入れることが上手くなったけれど、それはおそらく表面的なものだ。それを表に出さないようにするのが上手くなっただけのことだ。


フルオープンか、クローズか。その両極ではなく、半開きくらいを留められる人間になりたいなぁと常々思う。

オープンでいられる時の私を白とするなら、クローズしている時の私は黒だ。クローズしているから、周りからは見えない。もしくは見えにくい。でもそれは存在していないということではなく、ちゃんと私という人間の中に居座っている。

半開きくらいにしていられたら、そういう私も少しずつ表に漏れ出すのだろう。それが正しいかどうかはよく分からないけど、少なくとも真っ白なだけの自分よりは人間らしいとも思う。


無遠慮に周りを傷付けるのは絶対に違うし、そういう人間にはなりたくない。でも、もっと等身大の自分でいたいな、とは思う。

背伸びを続けていると、足首の裏が震えてしまう。アキレス腱が痛くなってしまう。心もきっと、同じなんだと思う。


やれやれ、な自分。しょうもない自分。弱くて狡い自分。腹黒い自分。

そんな色々な自分を、「人間だもの」と思えるようになりたい。「それでいいのだ」と、バカボンのパパみたいに朗らかに言える人で在りたい。

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碧月はる
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