【あなたのがんばりを誰よりも知っているのは、あなた自身だ】
謙遜が美徳とされるこの国では、自分のがんばりを口にすると、こんな言葉が返ってくる。
「それくらいみんなやってる」
「それくらいできて当たり前」
「自分で『がんばってる』とか言っちゃう時点で半人前」
このように言われると、せっかく膨らんでいた自信や意欲が、みるみるうちに萎んでしまう。例え言われたのが自分自身じゃなかったとしても、他の人が言われているのを耳にすれば、「がんばった」と口に出すことは愚かな行為なのだと学習してしまう。さすれば、その人は余程じゃない限り、人前で自身のがんばりを口にできなくなる。結果、気軽に「がんばった」と口にする人を見ると、フラストレーションが溜まっていく。そして、つい言ってしまう。「それくらいみんなやってる」と。「大したことない」と。その言葉の裏には、「自分のがんばりも誰かに認めてほしい」という欲求が隠されているのかもしれない。
必要以上に自分を大きく見せる言動は、時として滑稽に映る。しかし、素直に「がんばったなぁ、自分」と思った際、それを口に出すことは決して悪ではない。むしろその一言をきっかけに、互いのがんばりを認め合い、称え合う時間になれば、今後の活力につながる有意義な時間となる。
誰かに褒められるためではなく、明確な目的を持ってがんばるほうが健全なのは言うまでもない。しかし、いくら目的地が定まっていたとしても、そこに行き着くまでに誰からも褒められず、自分自身のがんばりを認めることすら許されなかったとしたら、一体どのようにモチベーションを保てばいいのだろう。
ここで、子育てを例にして話をしたい。多くの母親、父親が、日々子育てに奮闘している。育児そのものだけでも、日々のタスクは山のようにある。そこに加えて、家事や仕事、人によっては介護や闘病が重なる。高熱が出ようがインフルエンザになろうが、子育ては待ったなしだ。腹が減れば泣く。オムツが汚れれば泣く。眠ければ泣く。なんとなくグズりたければ泣く。乳児期を過ぎればメキメキと自我が芽生え、親の修行期ともいえるイヤイヤ期の始まりである。周囲の協力がなければ、とてもじゃないが息継ぎさえもままならない。
子育ての目的地は、わりと明確に定まっているように思う。子どもの健やかな成長と、明るい未来。それを願って育てている人が大半であろう。しかし、そこに行き着くまでに、少なく見積もっても18年はかかる。18年間、誰からも褒められず、自身で「がんばった」と言うことも許されない環境下で、果たしてどこまでがんばり続けられるものだろうか。
2018年10月に放映されたフジテレビのドラマ、『僕らは奇跡でできている』。この作品は、印象的な台詞が数多くあった。特に印象深かったのは、第7話で登場するこちらの台詞である。
誰でもできることを、毎日欠かさず続けていく。ときに休んだとしても、休み終えたら、またそこからはじめていく。大勢の人がそうやって生きていて、だからこの世界は成り立っていて、それなのに「すごくない」だなんて、一体誰が決めたのだろう。
夏休み、朝昼晩と3食子どものご飯を作る。仕事の合間をぬって、思い出作りにお出かけをする。掃除をして、洗濯をして、お皿を洗う。ゼロに戻した途端に増やされるとわかっているタスクを、毎日淡々とこなす。「歯磨きをしなさい」と言う。「宿題やったの」と声をかける。その合間に学校や行政に提出する書類を片付け、リモートワークの人は子どもの就寝後が勝負で、あっという間に夜は更け、容赦なく朝はやってくる。
「すごい」じゃないか。どう考えてもすごいよ。めちゃくちゃがんばってるし、めちゃくちゃ誇っていい。誇ってほしい。
ここでは一例として、子育てにおいて話をしたけれど、それ以外にもさまざまな立ち位置で自分のなすべきことをがんばっている人たちがいる。
根本的な話をすると、生きていること、生活を続けていることそのものが、もう十分にすごいと思う。おそらく大抵の人が、人生の中で一度は思ったはずだ。「もう疲れたなぁ」って。「リタイアしたいな」って。何らかの理由で絶望し、襲い来る衝動と戦った夜があるはずだ。でも、踏みとどまったから今がある。それを「がんばった」と言って、一体何が悪いんだろう。
隣にいる誰かができていることだとしても、自分が「がんばった」と思えたなら、素直に自分を褒めよう。「今日はがんばれなかったな」と落ち込む日があったら、「普段がんばっているぶん、お休みして充電する日」と捉えよう。お互いのがんばりを認めて、「お疲れさま」「がんばったね」「ありがとう」と言えたなら、きっと心が丸くなる。「誰でもできる」なんて言わずに、自分が言われて嬉しい言葉を相手に贈ろう。贈れば、いつか返ってくる。仮に返ってこなくても、贈った瞬間の相手の笑顔は、ずっと自分の胸に残る。
人を否定するのは、案外簡単だ。人を認めるよりも、ずっとずっと容易い。でも、その先にやさしい循環は生まれない。互いのがんばりを称えあえる間柄のほうが、きっと笑いあえる。
みんなみんな、がんばっている。懸命に、踏ん張って生きている。そんな自分に胸を張って、「これくらいで」なんて思わずに、今日の努力に乾杯しよう。あなたのがんばりを誰よりも知っているのは、ほかでもない、あなた自身なのだから。
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